五月六日に行われたギリシャ総選挙で「緊縮策反対」を掲げる急進左翼連合(SYRIZA)が第二党に躍進し、「緊縮策」を押し進めてきた連立与党(ギリシャ社会主義運動党、新民主主義党)を惨敗・過半数割れに追い込んだ。その後の連立協議が不成功となり、六月一七日に再選挙が行われる。急進左翼連合が「反緊縮」の勢いを加速させて第一党となるのか、それとも旧与党が「ユーロからの離脱か否か」の脅しと「財政再建と成長の両立」という怪しげな政策で巻き返すのか、ギリシャの未来とグローバル金融資本主義の生死を分かつ重大な局面を迎えている。
不当債権の返済拒否
ギリシャでは、三年前に財政赤字の粉飾が明かになって以降、債務返済のための金融支援と引き替えの「緊縮政策」が、EU・欧州中央銀行・IMFの三者(=トロイカ、代表団がアテネに常駐)によって進められてきた。公共サービスの廃止、公共料金の三〇%引き上、給与の二~三割引き下げ、貧困支援策の中止、団体交渉の廃止、付加価値税の引き上げ(一九%↓二三%)、年金カット、公有資産の売却などなど。それはギリシャの社会のあり方を一変させた。とくに若者の失業率は五割を超えた。「緊縮策」はギリシャ社会から「希望」を奪ったのだ。五月の選挙で「緊縮策」を進めた連立与党が大惨敗したのは、民衆の悲痛な叫びの結果そのものだ。
躍進した「緊縮反対」勢力は、それとセットになっている「債務返済」自身にも切り込み、返済の凍結・削減・停止・拒否などを訴えた。これらの主張には正当性がある。
ギリシャの財政赤字が膨張した原因は、ギリシャ人が「怠け者」だとか「公務員が多い」ということではなく、ギリシャのユーロ加盟以降、欧州単一金融市場の誕生で自由度を増したフランスやドイツの銀行マネーが、ギリシャや南欧の国債市場になだれ込んだことにある。そして、ギリシャ社会主義運動党と新民主主義党の旧二大政党は、選挙の度にこのマネーをばらまくことで政権を交互に手にしていたのだ。
さらに驚くべきことは、ギリシャの財政に化けた独・仏の銀行マネーは、ドイツやフランスの戦闘機や潜水艦などの兵器の購入代金として、再びフランス、ドイツに環流していたことである。(海外ドキュメンタリー『ギリシャ財政破綻の処方箋――監査に立ち上がる市民たち』NHKBS1より)
ギリシャ政府はこれまで、債務の中身について、誰が、何のために、誰から借りたお金なのか、一切を明らかにしていない。「債務は返済しなければならない」という一般的な理由だけで返済のための新たな金融支援を受けることに合意し、すべてのツケを「緊縮政策」として民衆に転嫁してきた。ここには何の正当性もない。ギリシャの民衆が六月の選挙で「NO」を突きつけたのは、まったく当然のことだったのだ。
ユーロからの離脱をめぐって
「緊縮策」の遂行と「債務返済」はトロイカとギリシャ政府の「合意」である。この合意をくつがえす左派政権が誕生すれば「ギリシャのユーロからの離脱は必至」となるのだろうか。六月一七日の再選挙をめぐるマスコミの論評は、「緊縮問題」から「ユーロ離脱問題」へとシフトしている。
再選挙で第一党をうかがう急進左翼連合(SYRIZA)は、五月選挙ではユーロとの関係については言及していなかった。(二六議席獲得した共産党は「離脱」を明言)。これは選挙戦術上の「あいまいな路線」とも受け取れるが、トロイカの側にボールを投げ返す戦略、と見ることもできる。つまり、ギリシャのユーロ離脱は、トロイカの側にこそ痛手である、という見立てである。
先に見たように、ギリシャの財政危機、その救済と称する金融支援、さらにそのバーターとしての民衆への「緊縮策」の押しつけは、ユーロマネーにとって実においしい話なのである。国債へ投機が何倍にもなって返ってくるだけでなく、更なるビジネスチャンス(金融支援)をも生む。ギリシャがトロイカ体制にとどまり債務を返済し続けるということは、このマネーの蓄積シシテムが永遠に続くということなのだ。トロイカにとって「情けは他人のためならず」だ。
これに対して、ギリシャの側はどうか。これはギリシャの民衆が決めることだが、ユーロからの離脱で手に入れることができるのは、ギリシャの民衆にとって最も大切なもの、すなわち自己決定権だ。それは取りあえずは通貨発行権もふくめた国民国家を金融資本主義の側から取り戻すことだ。民衆はそれを武器にして社会防衛・形成へと進むだろう。
経済的には、ユーロによって作り出された欧州の南北格差、周辺問題を「南側」「周辺」の側から超える一歩となる可能性がある。
欧州のソブリン危機は、ギリシャが焦点化されているが、ギリシャの経済規模はEUの二%弱にすぎない。それにくらべて、同じく「緊縮策」を強いられている南欧のスペインは大国だ。このスペインがディフォルトすればユーロは暴落・崩壊し、壊滅的な金融恐慌となる。
その時、ドロ舟のユーロ圏から「脱出」していたギリシャは、非ユーロ圏のヨーロッパ諸国と連帯して「もうひとつの欧州」を形成し、ユーロ崩壊で苦しむ欧州民衆のアジールとなることができる。
六月再選挙の勝利をめざし、「緊縮策」と「不当債務」の拒否から「もう一つの欧州」へと向かうギリシャ民衆に連帯しよう。
『グローカル』2012年6月1日号 掲載予定
■「止まった」のではなく「止めた」のだ
久しぶりにブログを更新することにします。今日は連休最後の日であると同時に、日本列島の原発が全て止まった記念すべき「原発ゼロ」第一日だからです。祝っても祝い切れません。これは「止まった」のではなく市民が「止めた」のだ、と誰がおっしゃいましたが、その通りです。政府や電力会社は、何とか「原発ゼロ」を回避しようと大飯原発の3~4号機を「再稼働」させようと躍起になりました。しかし再稼働は阻止されました。
大飯原発から50キロ圏にある大阪、京都、滋賀の首長が「住民の安全を守る」立場に立ち国と渡り合ったこと。経産省のごり押しの「地元説明」の茶番に、市民が敢然と抗議行動を貫いたこと。そして、その(都市部の)市民が展開した「地元」おおい町住民との「ポステング=対話活動」が、長いあいだ口をつぐんできた住民たち自ら声をあげるきっかけを作りだしたこと。このきっかけ作りには、遠く関東から原付バイクでやってきてテント活動をはじめた若者の存在も大きかったと聞きます。
■槌田劭さんの18日間のハンガーストライキ
そして、京都では、4月18日から5月5日まで、京都駅前にある関電京都支店ビルの南むかいの交差点の一角を「占拠」して、使い捨て時代を考える会・代表の槌田劭さんが大飯原発の再稼働に反対するハンガーストライキを行いました。御年76歳。同じスペーで支援の座り込みや「さよなら原発1000万人署名」が行われ、かけつけた支援者は延べ400人を越えました。最終日の5月5日には、200人の仲間が関電前交差点に集まり、原発ゼロを祝い、槌田さんの18日間のハンストを慰労し、歌、トーク、キャンドルアクションなどを行いました。
ドイツから来ている立命館大学の先生が「ドイツは脱原発の先進地でしたがまだ8機の原発が動いています。でも日本は今日、市民の力で原発ゼロを実現しました。次は政策転換でゼロを実現してください」と激励されたのが印象的でした。
途中から小雨混じりの天候となりましたが、それとは裏腹に、久しぶりに晴れ晴れとした気分なれた集まりとなりました。槌田さん、ホントにお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
■原発ルネッサンスを諦め切れない推進派
この「原発ゼロ」を「一瞬」ではなく「永遠」のものとするには、まだまだ大きな壁があります。政府・経産省・電力会社は「電力不足キャンペーン」と「安定供給の責任」をタテに、再稼働をごり押ししてくるでしょう。田中優さんが言うように「偽装停電」という戦術には警戒を強めなければなりません。
また、日本がダメでも世界があるさ、というグローバリズムの精神を発揮して「原発輸出」が更に推進されようとしています。一機4000億円~5000億円、一ヶ所4機で2兆円。消費税1%分のお金が動くおいしいビジネス。日本で原発をゼロにしても、日本の原子力ムラやIAEIなど世界の原発推進機関が「原発ルネサンス」をあきらめない限り、世界で原発は増え続けます。「国内ゼロ」から「世界でゼロ」を実現したいものです。
さらに「政策転換」をめぐる場での反動も強まるでしょう。この夏、政府、経産省、環境省の三つの「エネルギー長期戦略」に関する審議会が答申を出し、政府の新方針が「決定」されます。政府においては「脱・原発依存社会」という方向は既定方針(のはず)ですが、問題は「いつまでに」にあります。へたをすると「2050年に原発ゼロ」などという現状維持そのままの「政策転換」になりかねません。
■地元の住民が公然と「原発NO!」を語れる社会に
そして、忘れてならないのが、フクシマ事故の行方と福島の人たちの安全と民主主義。福島県内に住む知人から「この”原発ゼロ記念日” 福島県内での動きは全くありません」というメールを頂きました。「原発に関して自治体はなんら表明できないでいます。情けないばかりです。自治体、商工組合関係は地元復興の動きばかりです」とメールは続き、さらに「放射線量の高い公園でラーメンフェスタを開くなど心配派には信じられないことも行っています」と憤りが表明されます。
そうなのです。この「日本列島原発ゼロ」の実現が、フクシマ事故の前だったらどんなによかったことでしょう。しかし現実は「ディー・アフター」なのです。原発に「YES」か「NO」かを口にできないばかりか、放射線への恐怖を口にすることすらもはばかられるような空気が、事故を経てもなお(否、それが故に)彼の地を支配しているのです。このことを忘れないでおこうと思います。
原発ゼロ・脱原発の実現とは、福島や原発を抱える地域(の住民や作業労働者)が、公然と原発について自分の意見(「YES」であれ「NO」であれ)を言えるように変わることです。その意味で、これから「原発ゼロ」を日々積み重ねることが、原発城下町の住民にとっても、原発から解放され民主主義を取り戻す、大きなきっかけとなることでしょう。
「原発ゼロ」を永遠にするための「壁」はぞれぞれかなり高いです。しかし、いまま現在、民意が力となって原発を「止め」続けているのですから「永遠のゼロ」も民意の力で実現できるはずです。10万年先まで影響をあたえる原発に、トドメをさすことが出来る決定的なチャンスを、いま、私たちは迎えています。

2月5日(日)木津川マラソンに参加してきました。
いやいや、フルマラソンじゃありません。
「5km男子55歳以上」という種目(^^;)
タイムは27分57秒で、この種目の中では完走44人中13位。
5kmの全男子の中では完走276人中102位でした。
目標タイム(30分)は切ったものの、20分に近いタイムを密かに期待していたので、ちょっぴり悔しい。
写真はゴール風景。主催者が、全ランナー(約6000人)のゴールをカメラに収めてくれている。すごい!感謝!
新年明けましておめでとうございます。
本来は歓びのあいさつのはずですが、今年ほど、口にするがためらわれる年はありません。
それは、原発の事故が収束せず、放射能汚染がつづき、それを要因とする病気の発症がこれから本格することに、誰もが気付いているからではないでしょうか。
さらに、TPPや消費増税など「1%」の連中のための政治が強まっていることもあると思います。
正月休みに、切り抜いたままになっていた朝日の「プロメテウスの罠」を読み通しました。また、ネット上で評判になっていたNHKの「追跡・真相―低線量被ばく、ゆらぐ国際基準」や、福島原発事故の真相にせまった28日放映の「報道ステーション」も、動画でじっくり見ました。
http://www.dailymotion.com/video/xnbnjg_20111228-yyyyyy-yyyyyyy_news#rel-page-under-4
そして思ったことは「やはり、この国は本気で国民を守ろうとしていない!」ということでした。
私たちはよく「原発依存社会」という言葉を見聞きします。私はこの言葉に昔から違和感がありました。そして、幸か不幸か、フクシマ事故は、この言葉の本当の姿を明らかにしたと思います。それは、私たちの社会が「原発に依存」しているのではなく、電力会社、建設企業、政府官僚、御用学者などの「原発利益共同体」が、逆に私たちの社会に「依存・寄生」しているという姿です。
こうした出発点に立つと、脱原発の課題とは、自然エネルギーへの転換にとどまらず、原発や電源をめぐる「権力構造」(それは「99%」対「1%」の対立構造と重なる)を解体していくことを、重要な柱にして進めなければならないと思います。
さて標題の件。
昨日(二日)ずっと気になっていた、大阪の原発「市民投票」の応援に行ってきました。
署名数が思うように集まっていないということ、知人から「人手が足りない」とのSOSがあったこと、そして、後学のために、直接請求の運動を体験しておくのもよかろうと考えたこと、等々の理由で、我が身の非力を省みずに助っ人となりました。
参照:大阪市民投票
http://kokumintohyo.com/osaka/
当初の話では「仕事内容」は宣伝カーの運転手ということでしたが、大阪の地理にまったく不案内な私は使いものにならず、結局、都島区と生野区の2ヶ所のスーパーなどの商業施設の前で「署名収集活動」の「補助」を行うことになりました。(運転手役は、前半は泉大津市議の高橋さん、事務所までは、茨木市議の桂さんにお願いしました)
この署名、法定署名なので色々な制約があります。まず、署名を集める人が限定されていること。署名を収集できるのは、条例の「直接請求者」と「受任者」に限ります。(それ以外の人の「署名活動」は、前記2者が行う「署名収集活動」の「補助」という位置づけになります)
また、署名出来る人も「有権者」に限定されています。つまり、20歳未満と在日外国人は署名できないのです。さらに、署名には捺印が必要です。
そして、さらに、さらに面倒なことは、署名は、署名者の住む区ごとに、冊子を分けなくてはなりません。都島区の人と旭区の人が、同じ署名冊子に書くと無効なのです。
とまあ、直接請求の署名収集がしにくい仕組みになっているのですが、それにもめげすに通行人や買い物帰りの人に呼びかけると、こころよく応じてくれました。得て不得手もありますが、私で1時間で15筆から20筆ほど頂くことができました。私の体験では、署名に応じてくださるのは高齢者の方が多かったように思います。
また、大阪ならではの「ボケ」もあります。
「すみません、捺印が必要なんです…。拇印でもいいですけど」
「ボインならなんぼでもあるがな。胸のボインでいいんかいな」
さすが大阪のオバチャンです。
場所を移しての生野区での署名はちょっと困惑しました。「受任者」の人が「有権者かどうか確認してください」と指導して下ったので、それに従ってターゲットの通行人や買い物客に話しかると、5人に一人くらいの割合で次のような反応が帰ってきます。
「原発のこと投票で決めるの賛成やけど、オレ、日本人ちゃうねん」
この「市民投票条例案」が請求者の内容通りに成立すれば、在日の人でも、高校生でも、投票できます。条例はそんな内容になっています。しかし、その条例を請求する署名者に在日の人は残念ながらなれないのです。これが、今の、日本の民主主義の現状です。
それにしても、有権者の1/50以上(大阪市の場合42,000名以上)の署名というのは、ハードルが高いですね。重複や無効な署名を考えるとやはり60,000筆は必要ですが、現在28,500筆だそうです。
もう少し準備を整え、受任者を拡大してから始めたらいいのに、と思うのが率直のところですが、しかしこの運動、失敗するわけには行きませんね。議会に提出されて可決か否かの攻防に入る前に、署名数が有権者の1/50を超えられずに挫折することだけは避けなければなりません。
あとラスト一週間。近隣の人で時間の許す方は、ぜひ、応援に行ってください。事務所に連絡すれば、仕事を割り振ってくれるはずです。私も、最終日には再び行くつもりです。
新年あけましておめでとうございます。
一月下旬に下記の講座を開催します。
チラシはココ
御参加、よろしくお願いします。
■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■
「座標塾」京都出張講座(2012年・冬期)
日┃ 本┃ 版┃・ 緑┃ の┃ 党┃
━┛ ━┛ ━┛ ━┛ ━┛ ━┛
を┃ 考┃ え┃ る┃
━┛ ━┛ ━┛ ━┛
■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■
第1部 なぜ必要? どう作る?
〈講師〉宮部 彰さん(「みどりの未来」副運営委員長)
第2部 《自由討論》私はこう考える
脱原発/反格差/女性の立場、などから(発言歓迎)
(終了後、交流会を予定しています)
■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■
▽日時 2012年1月29日(日)午後2時~4時
▽場所 喫茶うずら(黄色いビルの1F)
京都市伏見区深草西浦町6-31
電話 075-642-8876
アクセス 京阪「藤森駅」下車 徒歩10分
地図 http://mamoru.fool.jp/blog/uzura.jpg
▽受講料 1,000円(コーヒー付き)
■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■
【主 催】京都工人社
京都市伏見区納所星柳17-2
セントラルハイツ淀607 五十嵐気付
電話・FAX 075-632-1389
mamorukunアットマークnike.eonet.ne.jp
アメリカ・ニューヨークで「ウォール街を占拠せよ」の運動が続いている。カナダの環境問題を扱う「アドバターズ」誌の呼びかけで、九月一七日からズコッティ公園を中心にして始まった「占拠」とデモ。大量の逮捕者を出しながら、またたく間に全米各地に波及し、一〇月一五日には全世界的な同時アクションも行われ、日本でも「オキュパイ・トウキョウ」が取り組まれた。
この運動を評して「アラブの春に触発」「リーダー不在」「ツイッターやフェイスブックで参加者拡大」「政治目標(要求)が不鮮明」などと語られているが、いずれも「当たらずとも遠からず」にとどまる。運動参加者が何に怒って「ウォール街を占拠」し続けているのかが見えて来ないからだ。
『インサイド・ジョブ』
「リーダー不在」「ツイッターやフェイスブックで参加者拡大」とは、問題の本質がそれだけ多数の民衆に共有されている、ということの現れだ。では、運動参加者は何に怒り、何を求めているのか、それを理解するのに役立つDVDがある。『インサイド・ジョブ―世界不況の知られざる真実』(監督・チャールズ・ファーガソン/二〇一〇年/アメリカ)。三年前のリーマンショック(投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻を契機にした世界的な金融危機)とは何だったのか、関係者のインタヴューで明らかにしたドキュメントだ。
映画は、発端となったサブプライムローン問題を、証券会社と銀行と格付会社と学者、それに政府がグルになって、一般市民から金を巻き上げるために作ったネズミ講だったと、断じる。さらに、リーマン破綻の一方で、FRBからの融資(八五〇億ドル)で救済された保険会社AIGからゴールドマン・サックスに巨額の資金が流れたことも明らかにする。そして、勝ち残ったゴールドマンサックスをはじめウォール街の強欲金融機関の幹部が、今もオバマ政権で要職についていることを告発している。
映画は最後のシーンでこうよびかける。「相手は手強い。だが闘う価値はあるのだ」。
リーマンショックは「九九%」の人達から、家を奪い、職を奪い、健康保険を奪った。これに対して「一%」の人達は、金融機関救済のために投じられた税金を自分の懐にしまい込み、今も政府の要職に就き、金融機関を優遇する歪んだ政治を続けている。こうした政治全体を変えようと、リーマン・ブラザース破産から三年目の本年九月一七日、「ウォール街占拠」が始まったのである。
「占拠闘争」はウィスコンシンから
アメリカの民衆が、金持ち優遇政治に対する抗議運動を「占拠闘争」として始めたのはウォール街が初めてではない。ウィスコンシン州では、本年一月に就任したスコット・ウォーカー新知事が「赤字対策」とし称して、公務員労組の団体交渉権を大幅に制限する法案を含む予算修正法案を提出し、これに反対する公務員労組をはじめ警察や消防の労組や市民七万人がデモを行ない、州議事堂を三週間にわたって「占拠」する大闘争が展開された。
知事が州兵を動員する姿勢をみせると「戦争に反対するイラク帰還兵の会」の元兵士が、州兵に対して、民衆のために働く公務員として出動しないよう、呼びかけたという。(参照『世界』六月号「米国に広がる民主主義の崩壊と寡頭政治の台頭」金克美)。
反動知事スコット・ウォーカーの狙いは「州財政の赤字」を演出して労働組合との「最終戦争」に決着をつけることであった。ナオミ・クラインはこの手法を「ショック・ドクトリン」と呼び、ウィスコンシン州にも適用されたと言う。
法案が強行採決された翌週にはトラクターも含め、一八万人がデモで抗議した。これだけ多くの人々が立ち上がったのは、事の本質は一労組の権利問題にとどまらず、財政赤字の解消を口実にして一層の市場化=貧困化が進められようとしていること、そして、政治がますます一握りの富裕層によって牛耳られることへの危機感と怒りがあったからに違いない。
「デモス(九九%)による政治」へ
アメリカも日本も、政権交代があったにも関わらず、格差拡大―企業・富裕層優遇の政治から脱することが出来ない。それは「ポスト・デモクラシー」と呼ばれる、不利益を被る圧倒的な多数者を政治参加から排除する体制が、高度成長の終焉、グローバル化の進展とともに構築されてきたからである。
しかし「ウォール街を占拠せよ」運動は明らかに「ポスト・デモクラシー」体制への民衆側からの挑戦となっている。打倒すべきはウォール街の強欲どもとともに、「一%の一%による一%の政治」(ジョゼフ・ステグリッツ)、つまり、格差拡大を生む政治構造それ自身だ。替わって創りだされるべきは「デモス(九九%)による政治」に他ならない。それは「アラブの春」として、ウィスコンシン州議事堂占拠として、ウォール街占拠として、そして、日本では「原子力ムラ」への挑戦として、すでに始まっている。
「相手は手強い。だが闘う価値はあるのだ。」
* 『グローカル』2011/11/01号、掲載予定稿
■「国民負担」で東電救済
「原子力損害賠償支援機構法」という法案が国会に上程されている。「東京電力」とか「福島原発事故」などの文言は条文のどこにもないが、苛酷な原発事故を引き起こし、巨額の損害賠償を迫られている東京電力を資金的に支援しようという法律だ。
法律の内容は単純である。柱となるのは法案の名称でもある「原子力損害賠償支援機構」という組織(法人)を作ることだ。この「機構」に原発を持つ電力会が「相互扶助」の立場から一定の負担金を出し、政府は国債を交付し、この「機構」を経由して事故で損害賠償を迫られる電力会社に資金提供するというものだ。
注意すべきは、電力会社の負担金は電気料金に転嫁され、国債も税金から返済されるので、いずれの支援資金も最終的には「国民負担」となることだ。また、この法律は今回の福島事故に適用するために作られるが、今回だけではなく「将来にわたって原子力損害賠償の支払等に対応」とうたっており、原発政策の継続がしっかりと宣言されていることにも目を向けておきたい。
東電の賠償問題と今後の経営形態をどうするかを巡っては様々な意見が出されてきた。それは大きく二つのスキームに分けられる。
一つは、東電自身が債務超過になることを認めているので、一般の民間企業と同様に破綻ないしはそれに準ずる手続きをとって、公的な機関の管理下におく。その上で資産の売却などで債務(賠償)を返済し、再建・再生の手続きに入る。もう一つは、債務超過を避けるために外部から資金を注入し(条件にリストラなどを要請)、東電を現状のまま存続させる。
国会に上程されている法案はもちろん後者の「存続スキーム」だ。ではなぜ政府は「破たん回避」のスキームを選択したのか。「東電が破たんすると迅速な賠償と電力の安定的な供給ができなくなる」というのがその理由だ。はたして、それは本当だろうか。
■十四兆円の総資産と三兆円の「原発埋蔵金」
まずこの法案が作られる前提となっている「賠償金は東電一社で対応できる額をこえる」という東電の主張を検証しよう。政府はこの東電の主張を鵜呑みにして支援法作りに走ったのだが、二つのことを誤った。一つは東電のグループ会社、子会社もふくめた全資産の調査を行わなかったこと。もう一つは株主や金融機関に負担を求めなかったこと。
現在公開されている東電の総資産は約十四兆八〇〇〇億円。その内、株主資本が二兆五〇〇〇億円、発電所・送電設備などが七兆六〇〇〇億円となっている。これに東電本体以外のグループ会社や子会社の資産も加えれば資産は膨大だ。
これらを踏まえた上で東電を「破たん」させ資産を売却すれば「東電一社で対応できる」。「どこまで一社で賠償できるか」ではなく、膨らむ賠償額にあわせて必要な資産をすべて売却すれば資金は捻出できる。また、破たん企業の株主、銀行、社債所有者の債権の棄損は、市場原理の中では健全なルールだ。株主や銀行に支払う金があっても原発事故被害者に支払う賠償金が無い、などというモラルハザードが許されるはずがない。
東電は、すでに六〇〇〇億円の資産売却と五〇〇〇億円の経費削減計画を発表しているが、これは「存続」を前提とした話だ。政府に設置された「東電に関する経営・財務調査委員会(委員長・下河辺和彦弁護士)」は、今後の課題として「年金減額」や「資材調達コスト減」を上げているが、これも「存続」を前提としており、資産売却の本丸である七兆六〇〇〇億円の発電所・送電設備の売却については「慎重に議論する方針」(「日経」六月十七日)とならざるを得ない。
東電やグループ企業の資産の売却でも賠償資金が不足する場合は「原発埋蔵金」を取り崩せばよい。「原発埋蔵金」とは、公益財団法人「原子力環境整備促進・資金管理センター」が、使用済み核燃料の再処理に備えて積み立てているお金のことだ。この積立金充当の提唱者である飯田哲也氏によれば、「再処理当資金(積立金)」は本年三月末現在、約二兆四〇〇〇億円。これに「最終処分積立金」約八〇〇〇億円を加えれば三兆円をこえる。それでも足りない場合は「原子力関連の独立行政法人や公益法人を徹底精査し、補助金を全面的に引き上げるとともに、積立金等がある場合、それを充当する」(飯田、四月五日)。
繰り返すが、東電の賠償原資は東電自らが身を切って捻出するのが原則であり、それは可能である。そうした「破たんスキーム」のオプションをすべて実行してもなおも賠償原資が不足するならば、市民は喜んで増税でも電気料金の値上げでも引き受けるであろう。東電を「破たん」させると賠償ができなくなるというのはウソで、東電を「破たん」させなければ賠償はできないのだ。
■地域独占に替わる新しい「電力ネットワーク」
政府は東電の「破たん」を回避して存続させるスキームを正当化するために「電力の安定的な供給」を上げる。まるで東電や現在の一〇電力会社の「地域独占」がなければ「電力の安定供給はできない」かのような主張だ。しかし、フクシマを境にこの「神話」も崩れようとしている。
例えば「古賀プラン」。経産省きっての「改革派」といわれ、今は閑職においやられている古賀茂明氏(大臣官房付)は、政府の東電存続スキームをいち早く批判して勇名をはせたが、「電力の安定供給を維持することと東電を守ることは違う」と主張する。そして、東電の公的な管理―東電の分割―発送電分離―電力自由化―電力産業の再生という「古賀プラン」を提起している(『日本中枢の崩壊』講談社)。
また、前出の飯田哲也氏も、政府スキームを「地域独占体制の維持」と批判し、東京電力の分割(賠償責任のある「持ち株会社(東京電力)」と電力供給を行う「電力供給会社」に分割)―電力供給会社の一時国有化―電力供給会社の発電所部門売却―全国一体管理の「送電管理機構(会社)」という独自スキームを提案している(五月十三日、プレスリリース)。
今、各電力会社は、夏場の電力の需給を口実にした「節電要請」を需要家に行っているが、かつては効いた「節電恫喝」も、例えば大阪府の橋下知事に「一つの会社しか選べない電力の地域独占体制に問題がある」と逆襲され、これに反撃できない始末だ。
発電と供給をめぐる在り方は、日本の歴史においても多様であった。数百もの電燈会社や電気会社が競合・合併を繰り返していた創成期(一八八〇年代~)、五大電力の時代(一九二〇年代~)、日本発電株式会社と九配電会社という戦時下の電力国家管理の時代(一九四〇年代~)、そして日本発電解体=九電力体制の時代(一九五〇年代~)と変わってきた。
今年、還暦をむかえた一〇電力会社による地域独占体制は、原発などの巨大発電施設と遠距離送電をセットにした高度経済成長に固有の在り方だった。成長の時代が終わったいま、原発とともに、一〇電力による地域独占体制も過去のものとしなければならない。
新しい時代を拓くキーワードは「発送(配)電分離」と「電力自由化」だという。原発から再生可能エネルギーへのシフトに「発送(配)電分離」と「電力自由化」は大きな役割をは果たすだろう。それは同時に、電力ネットワークの在り方も変革せずにはおかない。「集権的一方向型ネットワーク」から「分散的双方向型ネットワーク」への張り替えである。
しかし、その転換の道はバラ色の道ではない。新しいネットワークは「電力」だけではなく「削減・節電」をも商品化して売り買いするビジネスの場となる。粉飾決算で破たんした新自由主義の旗手エンロンが叫んでいたのも「電力自由化」であった。「電力自由化」を「新しい公共」としての電力ネットワークの創造に結びつけるのか、それとも、発電コストをめぐる下方にむけた新たな競争の場とするのか。原発と一〇電力体制の揺らぎのむこうに、新しい課題もまた見えてきている。
この文章は『グローカル』2012/07/01号掲載用に書いたものです。