2014年01月02日
■ 映画『永遠のゼロ』から受け取ったメッセージは、 『反報国』 『反特攻』 『反靖国』

 昨年末、ある忘年会で映画「永遠の0」のことが話題になりました。
商店街のチラシ持参で1000円で観てきたという女性が「もう号泣した」というのです。

「岡田准一君が特攻するシーンで顔がアップになって、その瞬間映画が終わる。終わったあと涙が出て、顔がクシャクシャなってしもた」

「安倍なんかに見せてやりたい!」

 私は、映画「永遠の0」が自衛隊内で上映されている、との記事を朝雲新聞のWebで見ていたので、批判のために一度見ておく必要があり、とは思っていましたが、それ以上の知識は、まったくありませんでした。

 でも、最近、何事にも感動しなくなっているので、この映画を観て、ぜひ、感動してみたい、と思いました。

 そこで、翌日、カミさんをその映画に誘ったところ、大目玉を食ってしまいました。

 カミさんが言うには、原作者の百田尚樹氏は、安倍ちゃんの「家来」で靖国参拝を進言したり擁護したり、中国・韓国からの批判を「内政干渉」と反論したり、そのおかげでNHKの運営委員の候補にもなっている、とのことでした。年末には対談集も出しているのだとか。

 カミさんは、そのことを靖国参拝当日の「朝日」の夕刊で知り、原作に感動し、百田氏が手がけた「探偵ナイトスクープ」のファンということもあり、「裏切られた!」とカンカンでした。私は仕事が繁忙期で新聞もろくに読んでいなかったので、急いでページをめくり、百田氏の「右翼的」な言動を確認した次第です。

 では、映画「永遠の0」も右翼的で靖国的な映画なのか。

 観たあと涙で顔をクシャクシャにしたという女性。一方、安倍の家来の映画なんかどんな内容であれ見たくない、というカミさん。ウーン、ここは自分の目と感性で評価するしかありません。

 ということで、元旦の早朝から「一人」で映画館に行ってきました。

 結論的に言うと、原作者の百田氏や映画制作者の意図はどうであれ、この映画は安倍ちゃん流の「愛国心」称揚、「靖国」賛美のイデオロギーとは一線を画する内容だ、と感じました。

・「国」への愛よりも「妻子」への愛
・「死」の賛美よりも「生」の賛美
・「精神論」より「実理論」
・「特攻=散華」ではなく「特攻=無駄死」
・「死んだら靖国で会おう」ではなく「死んでも妻子のもとに帰る」

 私は、途中から、特攻を拒否する「天才」戦闘機乗りの主人公・宮部久蔵(岡田准一)と、元読売巨人軍のエース桑田真澄氏(最近は体罰批判論者とし有名)が重なりました。

 技量は一流、しかし根性論に与せず、時流に流されず、安易に仲間と群れない。そして、一流であるために日々鍛錬を怠らない。

 それでも最後の最後に主人公は、特攻を志(死)願します。しかしそれは決して「国」のためではありません。では誰のためか?

  (これを書くとネタバレなので書きません)

 この最後のところが安倍ちゃんが気に入ったところなんでしょう。つまり他人を「助ける」ために「身代わり」となって「死」を引き受ける。

  (あっ、半分以上ネタバレ)

 昨夏、横浜の緑区で他人を助けようとして踏切で亡くなった村田奈津恵さんを、安倍ちゃんが「勇気をたたえる」として書状を贈りましたが、あのロジックです。

 しかし、安倍ちゃんが自分のオデオロギーに忠実であろうとするなら、この作品で利用できるのはこの点だけのはず。それ以外はすべて反報国、反特攻、反靖国の内容だと、私は見ました。

 もっとも、映画は一つの作品ですから、観る側が自由に解釈できる余地はあります。だから、これを特攻賛美の映画と評価する人があっても、それはそれで結構だと思います。ただし、そう思う人は、その根拠をこの映画の中に示さなければなりません。

 それにしても「永遠の0」が発するメッセージと、百田氏の最近の言動が大きく食い違うのは何故でしょう。

 戦争批判者が作家として名声を博して「転向」したのか。それとも「永遠の0」は戦争反対勢力をガバっと靖国の側に引き連れていくための「罠」(カミさんの評価)なのか。

ウーン、わからん!

2014年01月01日
■ 新年のごあいさつ

★新年のごあいさつ

 新年になりました。しかし「おめでとうございます」とは言いにくい状況が続いています。本格化する原発再稼働の動き、米国と一体となって進める中国抑止の「新冷戦」、持たざる者からむしり取る消費増税などなど。

 特に危惧されるのは、近いうちに中国による尖閣諸島占拠があるのではないか、ということです。その時マスコミと世論は一斉に、自衛隊による「上陸・奪回・確保のための水陸両用作戦」(新防衛大綱)を支持する側に廻るかも知れません。

 これに対して私(たち)は「軍事行動ではなく、話し合いによる解決を!」の声をどれだけ説得力あるものとして広げられるか。

 奇しくも自衛隊と共に還暦を迎える私。
 公私ともに波乱の一年となりそうです。
 本年もよろしくお願い致します。

 2014年 元旦

2013年11月27日
■ 「赤ちゃん取り違い裁判、判決」への違和感

 今朝、このニュースを知ってから、ずっとひっかかっていました。この裁判の判決内容とこれをめぐる報道に、どうしても違和感があります。

 NHKのニュースでの判決文の紹介は次ぎの通り。

 「本来、経済的に恵まれた環境で育てられるはずだったのに、取り違えで電化製品もない貧しい家庭に育ち、働きながら定時制高校を卒業するなど苦労を重ねた」。

 別のメデアでの判決文の引用は「取り違えによって被った不利益は明か」ともあります。

 「本当の両親との交流を永遠に絶たれてしまった男性の無念の思いは大きい」…これには同情します。でも、貧しい家庭に産まれたりそこで育つことを「本来」あってはならぬことのように扱う裁判所の見解や報道には、強烈な違和感をもちます。

 損害賠償の裁判ですから、本来得られた利得が人間(機関)の過失によって得られなかった、そのことの当否を判断するのは当然なのですが、「恵まれた環境」と「電化製品もない貧し家庭」の社会的な分岐を当然のこととして是認した上で、どちらに産まれ育つのが得か、という立て方自身に、寒々とした気持になります。

 「本来」という言葉をあえて使えば、本来、どの家庭に産まれようが、例え、乳児の時に取り替えられようが、人間として生まれてきた限り、等しく、「健康で文化的な生活」ができるのが「憲法25条の世界」です。

 日本人に生まれようが、朝鮮人に生まれようが、男に生まれようが、女に生まれようが、障害者に生まれようが、親の無い子に生まれようが、被差別部落に生まれようが、皇族に生まれようが、貧困な家庭に生まれようが…人間として生まれた限り、そのような属性に規定されず、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有」するのです。そうしたことを可能にするために「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」のです。

 この赤ちゃん取り違え事件で賠償を求められているのは、直接に赤ちゃんを取り違えた賛育会病院ですが、憲法25条の観点から言えば、取り違えられた男性が「健康で文化的な」生活を営むことを保障してこなかった国こそ「賠償」の義務があるのではないでしょうか。これが理想論と分かっています。でも、この理想を実現するために、人類は時を重ねてきたのではないでしょうか。


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赤ちゃん取り違えで病院側に賠償命じる

2013年11月26日 17時56分 NHK
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60年前に生まれた東京の男性について、東京地方裁判所はDNA鑑定の結果から病院で別の赤ちゃんと取り違えられたと認めたうえで、「経済的に恵まれたはずだったのに貧しい家庭で苦労を重ねた」として病院側に3800万円の支払いを命じる判決を言い渡しました。

この裁判は、東京・江戸川区の60歳の男性と実の兄弟らが起こしたもので60年前の昭和28年に生まれた病院で取り違えられ、別の人生を余儀なくされたとして病院を開設した東京・墨田区の社会福祉法人「賛育会」に賠償を求めていました。
判決で東京地方裁判所の宮坂昌利裁判長は、DNA鑑定の結果から男性が赤ちゃんだったときに別の赤ちゃんと取り違えられたと認めました。
そのうえで、「出生とほぼ同時に生き別れた両親はすでに死亡していて、本当の両親との交流を永遠に絶たれてしまった男性の無念の思いは大きい。本来、経済的に恵まれた環境で育てられるはずだったのに、取り違えで電化製品もない貧しい家庭に育ち、働きながら定時制高校を卒業するなど苦労を重ねた」と指摘し、病院を開設した社会福祉法人に合わせて3800万円を支払うよう命じました。
判決によりますと、男性は同じ病院で自分の13分後に出生した別の赤ちゃんと何らかの理由で取り違えられたということです。
去年、実の兄弟が病院に残されていた記録を元に男性の所在を確認し、DNA鑑定を行った結果、事実関係が明らかになったということです。

2013年11月15日
■ なぜ今「特定秘密保護法」なのか、を理解する二つのキーワード

 特定秘密保護法案に反対する世論と運動が、この一週間で急速に大きくなってきたように思います。私が住む京都でもいくつもの集会が準備されていますので、下に貼り付けておきます。

 その前に、この特定秘密保護法案を私がどう見ているか、を書いておきます。私は、ごく大ざっぱに言って、この法律の産みの親(まだ産まれてないけど)は日米安保体制だと思っています。そうです、今の安倍の動きは、日米軍事再編の中から導きだされてきています。そうした状況を理解するキーワードは二つ。「GSOMIA」と「JASBC」。

 一つ目の「GSOMIA」はジーソミアと読みます。「General Security of Military Information Agreement」(包括的軍事情報保護協定)の略です。日本はアメリカとの間に2007年8月に、GSOMIを結びます。日米間の協定の名称は「秘密軍事情報の保護のための秘密保持の措置に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」という長ったらしい名前です。

 ようするに米日間で軍事情報を提供し合う際、日本の軍事情報保護のレベルをアメリカ並に引き上げることを約束したものです。つまり、「日米軍事一体化」を進めるために、この対米協定の国内法版として出されてきているのが、今回の特定秘密保護法案なのです。これで軍同士だけでななく、これまで米国でやっていた日本配備の米艦船のメンテナンスを、日本の企業が請け負うことができ、経済的にも日本の軍需産業が潤うことになります。(本当にそうなるかどうか、米国の失業問題もからむからビミョー)。

 ネットで「GSOMIA」を検索すると色々なことがわかりますが、PP研のwebに山口響さんがざくっとした解説を書いていますので、参照してください。

「特定秘密保護法案になぜ反対するか」
   山口響(ピープルズ・プラン研究所運営委員)
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=158

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 でも「日米軍事一体化のさらなる強化、となかんとか言って批判しているけど、左翼はもう何十年も前からそういう批判をしているんじゃないか」といぶかしがる方も多いと思います。

 そうなんですよね。左翼は万年「戦争危機論」で来たので「平和」が続くと力と信用を失っちゃうんです。また、「日米軍事一体化反対」を叫ぶ方も、今の日米安保の実態、つまりアメリカのどんな戦略の中に日本が位置づけかれ、どこの国との戦争を想定しているのか、いまいち理解していない人が多いんですよね。

 このあいまいな認識を、ぐっと現実に近づけるのに役立つキーワードが、二つめに示したキーワード「JASBC」です。読み方はとくにありません。「Joint AirSea Battle Concept」の略です。直訳すると「統合・空海作戦・構想」となりますが、一般的には「エアシー・バトル構想」とよばれています。

 「エアシー・バトル構想」は現在のアメリカの太平洋戦略の要になっている構想です。 簡単にいうと、内陸国家から海洋国家化への転換をすすめる中国が、西太平洋にアメリカが軍事的に進出(アクセス)できないような拒否、阻止戦略をとっている(西太平洋に第一列島線や第二列島線などの阻止線を策定)ことに対して、アメリカが、これを軍事的に打ち破る力を、西太平洋の同盟国(日本、韓国、ニュージーランド、オーストラリアなど)と一体となって形成しようという構想です。(旨く説明ができたか不安)。

map.jpg 

 このアメリカを中心に、中国との戦争に備えて多国間ですすめる軍事一体化が、日本国内において、集団的自衛権問題や、国家安全保障会議、そして今回の特定秘密保護法を浮上させている、と私は見ます。

 この「エアシー・バトル構想」の中で日本の自衛隊は今、アメリカの中国抑止の軍事作戦をどこまでも肩代わりしてになって行こうとしています。尖閣など島嶼の防衛の強化も、日本人の「領土」意識に訴えていますが、本質的にはアメリカの「エアシー・バトル構想」での、中国の「第一列島線」への肉薄戦です。またフィリピンへの自衛隊の派遣も中国の阻止線への軍事部隊の派遣の既成事実づくりで、アメリカンの「エアシー・バトル構想」にとって好都合というわけです。

 でも、平和運動家の中に「エアシー・バトル構想なんてはじめて聞いた」という人がいても不思議ではありません。なんせ民主党政権時代に、防衛大臣だった田中直紀氏が「エアシー・バトル構想をどう理解しているか」と小池百合子に聞かれて、しどろもどろになったことがありました。時の防衛大臣も「エアシー・バトル構想」を知らなかったのです。

 幸いなことに、この「エアシー・バトル」の概略と、それに対する民衆の対応について、これもピープルズ・プラン研究所の武藤一羊さんが、水準の高い分析をしたためています。いくつかありますが「『アメリカの太平洋時代』」とは何か─米中『複合覇権』状況の出現と非覇権の立場」「季刊ピープルズ・プラン」58号)が、まとまっています。webでも読めますので、精読をお薦めします。
  http://www.peoples-plan.org/jp/ppmagazine/pp58/pp58_muto.pdf

 また、海上自衛隊関係の論文もお薦めです。(武藤さんも参照しています)
 「エアシー・バトルの背景」(八木 直人)
 http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/1-1/1-1-2.pdf

 秘密保保護法案を「戦前の闇黒政治の再来」というようなレベルで批判する人が多く、煽動の文句としては間違ってはいませんが、宣伝の中身としては「ジーソミア」(総括的軍事情報保護協定)と「エアシー・バトル」の危険性を訴え、反安保闘争の新たな地平を構想する必要があるように思います。

 とは言え、個人的には、やりたいことが山ほどあり、時間だけはない、という状況が続いており、ごまめの歯ぎしりの日々です。

★京都での集会

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<憲法を活かす会  学習会のご案内>
■日時: 11月22日(金) 午後6時30分より午後8時50分まで
■場所: ウイングス京都 会議室1
      (四条烏丸東洞院上る 四条烏丸から徒歩5分)
■参加費: 300円
■講師: 澤野義一さん(大阪経済法科大学教授)
■演題: 「憲法9条と集団的自衛権見直し論議」
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 <緊急講演会企画だれのための「秘密」なのか
スノーデン事件と秘密保護法からはじまる監視社会>
・とき 11月24日(日)午後1時(開場12時30分)
・ところ 京都弁護士会館地下大ホール
・入場無料
・講師 臺 宏士(だい ひろし)さん
 毎日新聞社会部記者。1966年埼玉県生まれ。 早稲田大学卒。
90 年毎日新聞社入社。著書 に『個人情報保護法の狙い』(緑風出版)ほか。
・主催、市民ウオッチャー京都/京都・市民オンブズパース委員会
/全国市民オンブズマン連絡会議
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<11・29秘密保護法を考える緊急学習会>
「原発問題と特定秘密保護法」
■日時:11月29日(金)午後7:30
■場所:キャンパスプラザ京都 第3会議室
■講師:小笠原伸児 弁護士(自由法曹団、「憲法9条京都の会」事務局長)
●講演:「秘密保護法で隠蔽される原発情報―脱原発・原発ゼロ運動にとっての特定秘密保護法の危険性を考える」
■資料代:500円
■主催:原発問題と特定秘密保護法を考える京都府民有志(募集中!)
連絡先:高取利喜恵(08015230117)

2013年11月09日
■ ■「天皇の政治利用」考

山本太郎さんの天皇明仁さんへの「手紙」問題が、大手マスコミ、ネット、メーリングリストなどで話題になっています。

参議院での「処分」は5日に出されるという話だったようですが「今週中」とちょっと間延びしてきました。

当の太郎さんは「議員辞職はしない」という立場を鮮明にしています(当然ですね)。

この間の騒動を見ていて、私が一番強く感じたことは「なんとこの国の保守・右派言論は脆弱なんだろう」ということです。

山本太郎さんの行動を田中正造さんの「直訴」にアナロジーする人が多いですが、私は同じ「直訴」でも、むしろ2.26事件を思いだしました。

あの時、維新軍(いわゆる「反乱軍」)が掲げたスローガンは「尊皇・討奸」。これは「東電も自民党もダメだから、ここは一つ天皇明仁さんにお出まし願い、ぜひ原発ゼロの『ご聖断』をいただきたい」という太郎さんの心情(推測)と重なると思います。尊皇・討奸・脱原発!

象徴であれ、親政であれ、日本の歴史は、天皇が危機の時に前面に登場し国難を突破してきた、というのが明治政府が武力クーデターを正当化するために作り上げた国体論・皇国史観(ネタは水戸学)で、日本の保守・右派勢力は戦後もそれを連綿と継承してきたはずです。

だとすれば、山本太郎さんの行為は、この国体論・皇国史観を今に実践するものとして賛美することはできても、決して批判などできないはずです、保守・右派勢力の立場からは。

ところが現実は、山本太郎さんへの「天皇の政治利用はけしからん」の大合唱。天皇を最初に「政治利用」した明治維新の名を冠した「維新の会」しかり、天皇を最高度に政治利用する「天皇の元首化」を新しい憲法草案に書き込んでいる自民党しかり…。

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私は、維新の会や自民党などのように、建前では「天皇の政治利用」を批判しつつも、本音では「政治利用」を当然視する顕密使い分けや、現憲法の「象徴」という位置付けから天皇の中立性・非政治性を強調して、天皇の「神聖化」をはかる立場を超えて、本当に天皇の政治利用が不可能となるあり方を考えるべきだと思います。

それは簡単なことで、天皇・皇族に選挙権・被選挙権をはじめとする政治的権利、社会的権利、総じて「人権」を保障することです。

彼ら/彼女らは、選挙において投票するだけではなく自ら立候補できる。場合によっては自ら新たな政党を作ることも出来る。

また、彼ら/彼女らは、自由に外国にもいける。それを望んだからと言って決して「人格」が「否定」されることもない。

さらに、彼女/彼女らは福島原発問題について自らの意見を表明することができ、天皇明仁さんは山本太郎さんからもらった手紙に「返事」が書ける。

結局、第三者に「政治利用」されないためには、自らが政治的になる(自由を手にする)他ないのです。

今回、山本太郎さんの「直訴」によって脚光をあびた「天皇の政治利用問題」。本当に天皇の政治利用を不可能にするには、この方法以外にはない、と私は確信していますが、いかがでしょうか?

山本太郎さんの処分反対!

天皇・皇族に人権を!

2013年02月20日
■ ハーフマラソンを完走しました(2月3日)

 厳冬が続く中、先日(2月3日)「ハーフマラソン」を走ってきました。参加した大会は「木津川マラソン」と言って、琵琶湖から大阪湾に流れ出る木津川に沿ったサイクルロードがコースです。参加者は、フル、ハーフそれに5㎞などを含め総勢4400人ほど。昨年は、「男子55歳以上-5㎞」の部を走りましたが、今年はハーフに初挑戦となりました。ゲストとして日本最高記録保持者の高岡寿成さん(木津川市出身だそうです)が姿を見せ、スタート地点で市民ランナーに声援を送っていました。私もハイタッチしてもらいました(^^;)
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 さて結果ですが、タイムは1時間53分29秒で目標にしていた2時間をなんとか切ることができました。順位は「男子50代の部」で200人中―62位、総合順位(女子含む)は1420人中―393位でした。

 このタイムは自分がスタートラインを超えてからゴールラインを超えるまでの時間(ネットタイムと言うらしい)で、これとは別にスターターのピストルが鳴ってからゴールラインを超えるまでの時間(グロスタイム)があり、これは1時間55分33秒でした。つまり、先頭がスタートしてから、私がスタートラインを超えるまで約2分ほど掛かったというわけです。

 そんなわけで、スタートして走り始めてから3㎞くらいまでは都会の雑踏なみの大混雑。その雑踏をかき分けかき分けしながら前に進まなければならず、ここで相当に足に負担を掛けてしまいました。そのおかげで(途中は順調でしたが)残り3㎞で足が止まり、腕だけを振ってもがくようにゴールしました。【写真参照―「4057」が私】

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 でも、苦しかったけど、一年前から目標にしてきた「ハーフを1時間台で走る」という「夢」を実現し、大満足です。次は「フル4時間切り」をめざします。残り少ない50代のうちに、なんとか実現したいと思っています。

 最近「スポーツと暴力」が取りざたされていますが、来賓で挨拶した国会議員さん(昨年12月に初当選)が、こんなことを言っていました。

 「スポーツと暴力は無縁。なぜならスポーツは文化だから」。

 「スポーツは文化」という考えに大賛成です。「文武両道」という言葉がありますが、これを、従来の「文学」と「武道」という意味を超えて、勉学を「文」に、スポーツを「武」になぞらえて、進学校でありかつスポーツができる高校(生)などを指す言葉として使われることが多いからです。このあたりにスポーツ指導に「暴力」(=武)が入り込む素地があったのだと思います。

 その点、市民マラソンはスポーツでありながら、暴力とは無関係です。市民マラソンは「世界記録」や「五輪」はたまた「勝利至上主義」とは無縁で、ほぼ自己満足(自己目標との闘い)の世界だからです。

 もともとは一年半ほど前に、持病の「めまい」(良性発作性頭位性目眩症)を克服するために始めたジョギング。目標は「健康」。無理せず、楽しく、走り続けたいです。

2013年01月23日
■ 水野和夫「デフレからの脱却は無理なのです」

 そもそも「00ノミクス」という言い方が悪徳商法なのだそうだ(浜矩子さん―1/21毎日新聞)。こんどの00ノミクスの提唱者は、経済にはまったく暗いお人。「三本の矢」などと粋がっているが、中身はケインズ政策と新古典派政策のごちゃまぜ。いまだに竹中平蔵を担ぎながら、「レジーム・チェンジ」って、笑い話にもならない。
 「100年デフレ」を予見し、リフレ策の無効を論じる水野和夫氏が、アベノミクスの悪徳商法を斬る。円安バブルはあっても、デフレからの脱却はなし。「そもそも成長できなくなったという前提でどうするかを考えなければいけないのです」。 その通りだ。


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キーパーソンに聞く
デフレからの脱却は無理なのです
水野和夫・埼玉大学大学院客員教授に聞く
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日経ビジネス オンラインより (2013/01/17)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130116/242345/?P=1


 デフレからの脱却はできない――。金融緩和、財政政策、成長戦略の「3本の矢」で脱デフレを目指す「アベノミクス」が始動しても、その思いが揺らぐことはない。政権交代で政府を離れた水野和夫・埼玉大学大学院客員教授が見る日本経済が抱える問題の本質とは何か。


■水野 和夫(みずの・かずお)氏
埼玉大学大学院客員教授。1953年生まれ。1980年早稲田大学大学院経済学修士。八千代証券に入り、その後は一貫して調査部門に所属。合併などで会社は国際証券、三菱証券、三菱UFJ証券、三菱UFJモルガン・スタンレー証券に変わった。2010年9月に退職し、民主党政権で内閣府の官房審議官(経済財政分析担当)に転じた。国家戦略室担当の内閣審議官も務めたが、政権交代で退いた。(撮影:清水盟貴)

(聞き手は渡辺康仁)

――国内外の経済の状況をどう見ていますか。

水野:まず先進国の状況からお話しします。2008年のリーマンショックに続いてユーロ圏諸国のソブリン(政府債務)問題が起こり、米欧各国は後遺症からいまだに抜け出せていません。日本がバブル崩壊後の「失われた20年」で抱えた問題を解決できないのと同じような状況に置かれています。

 日米欧でバブル経済が発生した原因ははっきりしています。それは成長ができなくなったからです。日本は戦後の高度成長期が1973~74年頃に終わり、4~5%の中期成長に入りました。その後、80年代に入って成長率はさらに落ち込み、それを覆い隠すようにバブル経済が起きました。

 成長が難しくなった米国も、1995年以降、強いドル政策でバブルを起こしました。金融技術や証券化商品がそれに乗っかる形で2007~08年にピークを迎えたのです。欧州でも、特にドイツが成長できなくなったためにユーロという大きな枠組みを作って南欧諸国を取り込みました。国別で一番ポルシェが売れていたのはギリシャだそうです。強いユーロでポルシェを買ってバブル化していったのです。

 日米欧ともに成長ができなくなったからバブルに依存し、いずれも崩壊したのです。バブル崩壊の過程でデフレも起きました。私には成長戦略でバブルの後遺症から脱却しようというのは堂々巡りのように思えます。

――歴代の政権は成長戦略を経済政策の柱としてきましたが、それは間違っていたということですか。

水野:成長戦略は失敗の運命にあると言えます。菅直人・元首相については様々な評価がありますが、首相時代の発言で一番良いと思うのは「成長戦略は十数本作ったが全部失敗している」というものです。成長戦略が解決策として正しいのであれば、十数本のうちどれかは当たっていないとおかしいのです。ことごとく外れているということは、成長では解決できない事態に先進国は直面していると考えたほうがいいのだろうと思います。

■「製造業復活」は理解できない

 先進国が成長できなくなったのには理由があります。デフレ経済のもとで、数字で成長を計る場合には名目GDP(国内総生産)を使います。名目GDPを簡単に言うと、売り上げから中間投入を引いた付加価値です。

 今起きている事態は売り上げが落ちているということではありません。売り上げが減少したのは、失われた20年の最初の10年です。あの当時は信用収縮も起きて単価がどんどん下がりました。現在は企業の売り上げが伸びる一方で、中間投入がそれと同額か場合によっては上回るテンポで増えている。売り上げが増加しても名目GDPは増えないという構図です。中間投入が増えているということは、逆に言えば資源国の売り上げが増えているということです。

 売り上げが伸びていると言いましたが、先進国の企業が思い通りに値上げができる状況にはありません。日本からの輸出でウエイトが高い電機や自動車は競争が激しく、新興国市場などで値上げすることは厳しいでしょう。先進国は工業製品を作るだけでは付加価値を増やすことは難しくなってしまいました。

――日本経済を再生させるためには、製造業の役割が重要になるのではないですか。

水野:製造業の復活と言う人がいますが、私にはなかなか理解できないですね。日本で作って海外に持っていくのは、今の仕組みからするとほとんど成り立たないと思います。家電メーカーの現状がそれを物語っています。自動車も10年後には同じ状況になる可能性があります。新興国が近代化に成功するには、雇用を自国で増やして中間層を生み出すことが必要ですから、新興国は現地生産化を求めると思います。

 国内を見ても、身の回りにはモノがあふれています。乗用車の普及率は80%を超え、カラーテレビはほぼ100%です。財よりもサービスが伸びると言われますが、サービスは在庫を持てないし、消費量は時間に比例します。1日が24時間と決まっている以上、サービスを受け入れる能力には限りがあります。先進国は財もサービスも基本的には十分満たされているのです。

 個人だけでなく、国全体の資本ストックも過剰です。既に過剰なのに、まだ新幹線や第2東名高速を作ると言っている。資本ストックの減価償却にどんどんお金を使うというのが今起きていることです。

■経済的にゼロ成長で十分

――企業が稼げなくなると、賃金や雇用にしわ寄せが行きそうです。

水野:戦後最長の景気回復期だった2002年から2008年初めに何が起きたのでしょうか。製造業の付加価値はプラスでしたが、企業利益と雇用者報酬、減価償却に分けると、減価償却は付加価値よりも増えました。1200兆円の民間ストックを維持するために過大償却になっていたのです。景気は回復しているのに企業利益と雇用者報酬を合算するとマイナスになる。利益を減らすと株主総会を乗り切れませんから、雇用者報酬が引かれます。1人当たり人件費はどんどん下がります。

 世界経済が回復すると工場の稼働率も上がるから株主配当を増やさなければなりません。雇用者を非正規化しながらトータルの人件費を下げるのが景気回復の実態です。次の景気回復が来ても、この状況は変わらないでしょう。


 繰り返しますが、あらゆるものが過剰になっているのです。本来ならば、望ましい段階に到達したはずです。国連の統計では、1人当たりのストックでは日本は米国を上回ります。さらに成長しようというのは、身の回りのストックをもっと増やそうということです。まだ資本ストックが足りない国から見ると、1000兆円もの借金を作って色々なモノをあふれさせた日本が成長しないと豊かになれないというのはどういうことかと思いますよね。

――何か答えはあるのでしょうか。

水野:2つ考えられます。もし日本が今でも貧しいとするならば、1つの解は近代システムが間違っているということです。ありとあらゆるものを増やしても皆が豊かになれないというのはおかしいですから。

 2つ目の答えは、成長の次の概念をどう提示するかです。日本は明治維新で近代システムを取り入れて、わずか140年たらずで欧米が400年くらいかけて到達した水準に既に達してしまったということです。これまで「近代システム=成長」ということでやってきましたが、必ずしも近代システムは普遍的なものではありません。変えていかないといけないのです。

 私は経済的にはゼロ成長で十分だと思います。よく経営者は「成長戦略は実行あるのみ」という言い方をしますが、近代システムを強化して売り上げが伸びるような仕組みであれば、それでもいいのでしょう。しかし、売り上げが伸びるのはあくまで海外です。現地で100の売り上げがあったら、50が中間投入で、50が付加価値。付加価値の50のうち、35が現地の雇用になって15が日本に返ってくる。先進国になった日本が1人当たりGDPで1000ドルや2000ドルの国にぶら下がって豊かになるのは無理なのです。

■資本主義は全員を豊かにしない

――アジアなど新興国の成長を取り込むことはこれからも重要だと思いますが。

水野:日本の高度成長期には原油が1バレル2ドルや3ドルで買えました。米欧のオイルメジャーが原油価格を抑えていましたから、売り上げが増えても中間投入は増えません。日本の1960年代から70年代半ばまではすごく条件が恵まれていましたが、オイルショックで壊れました。

 今の新興国は1バレル100ドルで原油を仕入れなければなりません。近代化の原則は「より速く、より遠く」ですから、エネルギーが必要です。地球上の70億人のうち、12億人が先進国の仲間入りをして、残り58億人が近代化に向けてこれからエネルギーを多消費します。しかし、原油高は続いていますから、残りの58億人全員が近代の仕組みの上で豊かになれるわけではないのです。

 アジアやアフリカの各国がドッグイヤーと言われるほど速いテンポで近代化をすると、今の想定通りに本当に中間層が生まれるのでしょうか。私はそれは難しいと考えています。資本主義は全員を豊かにする仕組みではないとだんだん分かってくるのが、これからの10年、20年なのでしょう。

 中国もこれから過剰設備の問題が顕在してきます。世界の粗鋼生産量15億トンのうち、中国が既に7億~8億トンを占めています。中国経済が90年代後半から立ち上がった過程は米欧のバブル期と重なります。米欧が失われた10年、20年に入ると、日本が過剰設備に陥った90年代と同じことが起こりかねません。たとえアフリカ経済が成長しても、5兆ドル規模の中国経済を牽引することはできません。中国の成長が難しくなれば、日本も外需に期待することはできなくなります。

――デフレからの脱却も難しくなりますね。

水野:デフレからは脱却できないでしょう。そもそも成長できなくなったという前提でどうするかを考えなければいけないのです。

 日銀の金融緩和への期待で円安が進んでいますが、2000年代初頭に量的緩和で1ドル=120円程度まで円安が進行したことがありました。経営者は120円が続くという前提で国内に工場を作りましたが、今度は70円台の円高になってしまった。経営者の失敗なのに、最近になると六重苦といって円高のせいにしていますよね。今の状況も「円安バブル」を生じさせる恐れがあると見ています。