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2005年11月23日
 ■ 新しい「境界線」について―朝日「政態拝見」(11/22)の感想

 昨日(11月22日)の「朝日新聞」のコラム「政態拝見」は面白かった。根本清樹氏の筆による『格差社会 不当かどうかの境目は』がそれである。
 世の中、いつのまにやら「景気回復」ということになったが、誰がそれを実感しているのだろうか。「私らとは別世界の話しです」。根本はタクシーの運転手の話しを、日本が確実に不平等化、格差拡大している例として紹介したあと、次ぎのような問いを投げかける。

 日本社会の不平等化、格差拡大は進んでいる。しかし、社民党がその是正を総選挙で訴えたにもかかわらず、それが「郵政民営化」にかき消されてしまったのはなぜか、と。
 確かに、先の総選挙では「構造改革」の犠牲者とも言える層の人々が「郵政民営化」を強く支持した、という世論調査の結果が出て注目された。根本の問いは、このねじれを解明することと重なる。

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 ■ 飯沼二郎さん偲ぶ会で「ウィシャル・オーバーカム」

 京都べ平連の代表者だった飯沼二郎さんが、九月二十四日に亡くなりました。十一月五日には、飯沼さんと市民活動を共にした人達が「飯沼二郎先生を偲ぶ会」を開きました。
 飯沼二郎さんは、私が十九歳のとき、京都に出てきて初めて参加した市民運動(「南ベトナムの政治犯を釈放する運動・京都」)の代表でした。
 高校生の頃、新潟の田舎町で「ヤングべ平連」のビラを貼ったりしていたので「小田実」や「飯沼二郎」や「吉岡忍」は憧れの人でした。初めて参加したその例会で、向かいに座った少しくたびれたズボンを履いたおじさんが「飯沼二郎」だと知りビックリしたことを今でも覚えています。以降、色々な場面で飯沼さんとご一緒させていただきました。
 三里塚闘争では、近代農法、基本法農政を批判する視点として「小農複合経営」という考えを教えていだだきました。恥ずかしながらそれまで、飯沼さんが農業学の高名な学者さんであることを知りませんでした。
 また、八〇年の光州蜂起の時は「金大中氏を殺すな!」の座り込みの先頭に立たれました。その運動で出会った私の職場の同僚の林敏秋さんが、三里塚裁判で有罪判決を受け、柳本製作所を解雇された時、「解雇撤回」のために会社と掛け合ってくださったのが飯沼さんです。労働運動にも一役買っていたのです。
 「偲ぶ会」には、実に多彩な人たちが集まりました。六〇年代から七〇年代の「ベトナムに平和を!市民定例デモ」の参加者たち。八〇年代の「原爆の図展」実行委員会メンバー。「君が代訴訟」の元原告人。それに、姜在彦さんら在日朝鮮人・韓国人。さらに農業関係者の方々。そして東京からは元べ平連・事務局長の吉川勇一さんらも参加されました。
 その顔ぶれを見ると、飯沼二郎さんが、多分野で、深く、広い繋がりを作っておられたことが、よくわかります。「人脈を作る」などという政治的な打算とは無縁な人だったからこそ、これだけ多くの人々と繋がれたのだろうと思います。
 私が飯沼さんに出した最後の手紙は、管制塔カンパのお願いでした。正直言ってあまり期待していませんでしたが、色々なカンパ依頼に律儀に少額づつ応えてくださる方なので、金額より、お元気な様子を知ることができるかと、ちょっぴり楽しみにしていました。しかし、返事は来ませんでした。新聞で訃報を知ったのはそれから間もなくのことです。
 「偲ぶ会」の最後は、一四〇名の参加者による「ウィシャル・オーバーカム」の大合唱でした。弱者・少数者の解放のために歩み続けた飯沼さんを送るにふさわしい歌です。心よりご冥福をお祈りいたします

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