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2006年02月19日
 ■ 紀子の「第3子ご懐妊」を口実とした天皇制をめぐる言論統制は許されない!

 まさに絶妙のタイミングだった。二月七日にスクープされた秋篠宮妃・紀子の「第3子ご懐妊」のことである。この「慶事」は「皇室典範改正」をめざす政府の側にとっても、これに反対する保守派内の「男系維持派」にとっても、別の意味で「慶事」であった。
 政府にとっては、徐々に勢いを増してきた保守派内部の皇室典範改正反対派や慎重派を相手にした困難な国会運営を「回避」し、問題を「先送り」する口実を手にできた。小泉は、NHK速報直後の国会では「今国会に法案を提出し成立を目指す」と従来通りの答弁を繰り返したが、翌日には「政争の具にしないように」とトーンダウン、十日には「よく勉強して冷静に慎重に議論する」と、事実上の今国会への法案提出断念を表明した。今後、自民党では内閣部会において「男系維持」もふくめた「勉強会」を続けて行くという。
 逆に、保守派内の「男系維持派」にとっては「男系男子による皇位継承者の不在」と政府が言う「皇室典範改正」の必要性の前提が変わる可能性が出てきたことで、その勢いは更に増す。事実、「男系維持派」は三月七日に、女系天皇に反対する「1万人集会」を武道館で開催する予定だという。その中心人物の平沼赳夫・元経済産業相は、超党派の保守系議員を集めた憲法改正や教育基本法改正の勉強会「真の保守を考える会」を発足させ、その存在感をアピールしている。

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 それにしてもである。「第3子ご懐妊」スクープ以降の世論の「豹変」ぶりには目を覆うものがある。政治家である小泉の「豹変」は、これまで「女性天皇」という大衆受けする「フレーズ」に酔っていただけのことなので、別に驚くに値しない。
 問題はメディアである。例えば『朝日新聞』。同紙は「ご懐妊」報道二日後の九日に「待つのも選択肢だ」と題する社説を掲げた。要するに「出産が無事にすむまで、改正案の国会提出を待て」という内容だ。しかし同紙は「皇室典範に関する有識者会議」の報告を「妥当である」と支持してきたはずだ。そしてその報告書には、「今後、皇室に男子がご誕生になることも含め、様々な状況を考慮した」と記されており、男子誕生の可能性は「想定内」だったはず。その報告書を支持してきた『朝日』が紀子の妊娠で「待て」に豹変したのである。
 さらにこの日の社説は、こんなことも主張した。
「皇位継承という天皇制の基本にかかわる問題で、国民の意見がはげしく対立するのは望ましいことではない」。
 『朝日』は、皇室典範改正に反対する立場をくり返し表明している三笠宮寛仁氏に対して、わざわざ社説で「発言を控えよ」と言論統制をおこなったばかりである。天皇・皇族には「政治的発言」が認められていないから、という理由からだ。そして今度は「国民」にむかって「皇位継承という天皇制の基本にかかわる問題で」「激しく対立する意見は」控えよ!である。何様か。
 『朝日』のような悪意はないにしろ、これまで皇室典範改正を支持し、「女性天皇」を持ち上げてきた多くのメディアが、「第3子ご懐妊」を契機に、「慶事を静かに見守るべき」という姿勢に転じた。まるで天皇ヒロヒトのXデーを前後した「自粛モード」が甦ったかのようだ。

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 紀子の「第3子ご懐妊」によって、天皇制をめぐる議論に枠がはめられ「慶事を静かに見守る」ことが強制されるようなことがあってはならない。天皇制をめぐる議論は、なにも天皇制の維持を前提にした「皇位継承ルール」問題だけではないからだ。いや、この「皇位継承ルール」の議論にしても、本来、紀子の第3子が「男か、女か」を固唾を呑んで見守るしか脳がない問題ではない。
 有識者会議が「女性・女系天皇」を認める結論を出したのは、目先のことからではなく「中長期的な制度の在り方として…最善のものであると判断した」(最終報告)からであって、「中長期的」に見てすぐれたシステムだと合意されれば、紀子の第3子の性別にかかわりなく、早い段階で(愛子の段階で)採用した方が良い、という理屈もなりたつからだ。
 また、天皇・皇族の人権をめぐる議論も重要な問題だ。そもそも有識者会議が設置された契機の一つには、皇太子徳仁の「人格否定発言」があったはずだ。その背景には、生身の人間が象徴という国家シシテムを担う苛酷な現実、矛盾があった。護憲派の憲法学者ですら(例えば、奥平康弘氏)「飛び地」論で、天皇・皇族の「人権」問題には目をつむってきたが、それはもはや許されないだろう。
 皇室典範第一条(男系男子による皇位の継承)と憲法第二十四条(男女平等)の矛盾、憲法第二条(皇位の世襲と継承)と第十四条(法の下の平等、貴族制度の禁止、栄典)の矛盾など、戦後長らく放置されてきたこうした問題に、正面から切り込む議論が必要である。
 さらに「君主制」か「共和制」かという政体問題もある。「男系維持派」が持ち出した「側室復活論」「愛子と旧皇族男子婚姻論(政略結婚論)」「Y染色体論」などのトンデモ理論は、逆に、そうまでして天皇制を維持する必要があるのか、という素朴な疑問を生んでいる。
 これまで天皇制を支持する側も、逆に反対する側も、天皇制と日本国家を強くイコールで結すび付けて考えてきた。とりわけ反対派は「反天皇制」を「反日本国家」と等値する逆の「国体論」に無意識のうちに捕らわれてきたため、「共和制」という別の選択肢を政治的に提起することが出来ずに来た。この呪縛から解放されて、共和制の日本国家について、ヒソヒソ声ではなく、アッケラカンと語る時がきたのだ。
 以上の問題は、秋に生まれてくる紀子の第3子が「男か、女か」にかかわりなく、議論を深め、発展させられるべき問題だ。「慶事を静かに見守る」という口実で、天皇制をめぐる議論を自粛したり言論が封殺されてはならないのだ。

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2006年02月06日
 ■ 「女系派」にも「男系派」にも展望なし/ 象徴天皇制の空洞化は不可避

  ■女系天皇めぐり保守派内の「対立」が激化

 皇位継承資格者を女性・女系にも拡大する皇室典範の改正をめぐって、保守派内部で「対立」が激化している。
 政府は、昨年十一月の「皇室典範に関する有識者会議」の最終報告に基づき、(1)皇位継承資格者を女子や女系皇族に拡大する、(2)継承順位は男女を問わず長子優先とする、(3)皇族女子は婚姻しても皇室にとどまる、などを内容とする皇室典範の改正を、三月にも国会に上程する方針だ。

 だがここ来て保守内部で女系天皇に反対する「男系派」や「慎重議論」を要求する声が勢いが増してきている。衆参合わせて一七〇人を超える国会議員が「拙速な改定に反対する」署名に名前を連ね、政府内部からも「慎重論」が噴出しはじめた。

 これに対して小泉首相は「皇位の安定的な継承のために早くやった方がいい」と国会上程の立場を崩していない。はたして、郵政国会なみの「ガチンコ対決」になるのか、それとも、政府案をベースに「男系派」の主張を取り入れた「修正」の方向でまとまるのか、いまのことろ予想はできない。
 しかし、「女系派」対「男系派」の「対立」と言っても天皇制を維持する立場での違いはない。さらに「伝統」を守る立場でも違いはない。ではこの「対立」の根本には一体何があるのだろうか。

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