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2006年08月16日
 ■ 8、15 小泉の靖国参拝騒動に思う

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 「どんなもんじゃい!」
 小泉首相の見事な「判定勝ち」だった、とひとまず言っておこう。靖国神社への参拝者が15日だけで25万人を超えたというのだから。これは参拝者数をカウントし始めた2000年以降、一日の参拝者数として最高なのだという。「これも小泉効果」との新聞記事が踊る。YAHOOの投票でも、6割以上が小泉の靖国参拝に「賛成」。「どんなもんじゃい!」――小泉の偽らず心境だろう。

 小泉の「判定勝ち」を導いた最大の功労者は、マスコミだ。賛成であれ反対であれ、議論の中心に靖国神社と小泉を置き続ける報道は、否が応でも、そこに何か特別の価値があるかのような錯覚を与える。クライマックスの15日早朝、各局は競って実況中継を入れた。

 マスコミに支えられる小泉と靖国神社

 小泉は参拝後の記者会見で、「靖国参拝を争点化しているのはマスコミの皆さんでしょう!」と言った。語気を強めて怒ったふりをしたが、内心はマスコミに感謝していたに違いない。なぜなら、マスコミの恩恵を最も受けているのが当の小泉と靖国神社なのだから。

 憲法20条の「政教分離」の規定は、国家が特定の宗教を特別あつかいしてはならない、ということだ。ここでは政治権力との関係が言われているが、この規定は「第4の権力」と言われるマスコミにも拡張すべきだと思う。マスコミは特定の宗教を特別扱いしてはならない、と。

 この規定を実施すれば、靖国問題はきわめて簡単に「解決」できる。首相もふくめ政治家の靖国参拝の新聞報道はベタ記事扱いにする。一宗教法人にすぎない靖国神社にどのような高名な政治家が参拝しようと、それはあくまでも「心の問題」にすぎない。それを特別大きく報道すること自体が、靖国神社が特別、かつ、公的な存在であるかのような錯覚を与えるので「憲法違反」だ。

 それからA級戦犯の分祀だとか、靖国神社の非宗教法人化などの政治家の提案についても、無視すべきだ。なぜなら、これらの議論も、一宗教法人にすぎない靖国神社が公的な存在であるかのような認識を前提にしているからだ。はっきり言えば、靖国神社がA級戦犯を合祀しようがしまいが、氏子でもない第三者にとってはどうでもいい話しだ。議論したい人は氏子になったらいいだけの話しだ。

 小泉後の靖国神社の困難

 今年、8月15日の靖国神社に25万人の参拝者が訪れたのは、靖国神社にとっては喜ばしいことだろう。しかしこれは小泉人気の「反射的利益」にすぎない。

 小泉の靖国神社参拝への固執は、一見、かつての「首相の公式参拝実現」路線と同じであるかのように見える。「首相の公式参拝実現」路線」とは、靖国神社をGHQが指定した一宗教法人から、かつてのような公的で特別なものに蘇生させようとする画策の一つで、60年代~70年代初頭の「靖国神社国家護持」運動の挫折の後、迂回戦術として主張され実践されてきたものだ。

 しかし、かつての「首相の公式参拝実現」路線が、出来るだけ摩擦をさけ政治的な環境を整える「努力」を伴っていたのに対して、小泉のそれは、逆に、できるだけ非難を組織し、意図的に困難を作りだそうとしている点において決定的に違う。

 なぜか。

 それは小泉にとって靖国神社がどうなろうと知ったことではないからだ。そもそも、首相になるまで靖国神社を参拝したことがない男だ。小泉にとって、靖国神社参拝は、道路公団民営化や郵政民営化と同じで、 "困難を乗りこえて公約を実行した男" をアピールする手段に過ぎないのだ。

 8月15日、小泉劇場の最終章は見事に成功した。特別ロケの現場に指定された靖国神社には25万人のギャラリーが集まった。そして9月に小泉は引退する。小泉が去ったあともギャラリーはロケ地に集まるか。靖国神社は、「ポスト小泉」という困難な秋を迎える。

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2006年08月13日
 ■ 「恋するトマト」エガッタヨ~。

tomato.jpg 私がこの映画を知ったのはNHKラジオでした。大地康雄さんがゲストに出演していて「10年間あたため続け、ついに完成しました」と興奮ぎみに語っていたのを聴いたのです。
 それまで大地さんについては「演技のうまい脇役」ぐらいにしか思ってませんでし。しかし、この映画をみれば、大地さんが「脇役」どころか、企画・脚本・制作総指揮・主演の一人4役をこなすスーパーアーテストであることがわかります。

 その大地さんが、日本の農業に心底危機感をもって作った映画がこれ。映画の構想を練り上げるのと、日本農場の実態を知るために、日本の各地の農村を訪ねたらしいです。

 舞台は、茨城県・霞ヶ浦近くの農村。大地さん扮する野田正雄は、両親と三人で農業を続けている。しかし独身。農家に「嫁」は来ない。映画では、農協主催の交流ダンス会で知り合った女性(富田靖子)から、いったん、結婚の承諾を得るが、結局、破談。フィリピンパブで知り合った女性(レビー・モレノ)とは、結婚準備のためにフィリピンにまで出掛るが、家族ぐるみの詐欺で、持参金すべてを盗られてしまう。そして現地に残って…。

 農業問題は、私にとっても、色々な意味で人生を決めたテーマです。

 正雄が「なんでおれを農家の長男なんかに生んだんだッ」と怒鳴るシーン。他人ごとではありません。子供のころ(中学生)、私も同じ思いで生きてきました。

 農業問題を単純に「嫁不足問題」に絞り込む描き方に、異論があるかも知れません。しかし、あえて単純化することによって、農業問題を考えるハードルを低くする、大地さんの狙い成功したと思います。

 私の田舎にも、フィリピンから「花嫁さん」が来ています。役場と業者(ブローカー)が一緒になって、マッチングを進めた時期があるようです。もちろん、批判する人はいるでしょう。批判が正しい面をもっていることも認めます。しかし、私は、単純に結論を出すことができません。私の中に、農業をすてたことへの「罪悪感」がずっとあります。

 それにしても、クリスティヌ役のアリス・ディクソン、よかったぁ。彼女の清楚さによって、この映画の後半はずっと締まりましたね。稲刈りをする田んぼで、偶然、正雄と再会する場面。稲刈りを手伝う正雄が、彼女との再会と稲の力で、自然と笑顔を取り戻していくシーンは、まさに「大切なものは土と水と太陽。そして、あなた。」(映画のキャッチコピー)。日本の農業がフィリピンの農業に触れることでよみがえる。
 
 大地さんの稲刈りの演技は合格です。稲刈りは刈るより束ねて縛るのが難しい。そのシーンがワンカット映っていました。大地さんは上手にイネの束を一回転させて縛っていました。「猛特訓した」とラジオで語っていましたが、出来はバチリでした。

 ただ、映画の最後は、まだ、ハッピーエンドにはして欲しくなかった。クリスティヌの別れの涙はそのまま。正雄も日本に帰国して一人で農業をやり続ける。そして、農業という舞台で再び偶然、再会する…というような展開はどうか。でも、それじゃ、二時間じゃ、終わらないか。

 ほんとに、エガッタヨ~。



■『恋するトマト クマインカナバー』
 ・大地康雄 企画・脚本・制作総指揮・主演
 ・南部英夫 監督

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2006年08月09日
 ■ 『蟻の兵隊』(監督:池谷薫)を観て

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 8月6日、ヒロシマ被爆61年目のこの日、大阪の十三で、知人と3人で連れだってドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』をみました。マスコミでも報じられているので(例えば「朝日」8日からの夕刊など)ご存じの方も多いと思います。

 8月15日の「敗戦」後もなお、中国山西省に「残留」し4年間にわたって戦争(国共内戦)を続けた日本軍が存在したというアッと驚く内容です。

 映画は、残留兵の一人である奥村和一(わいち)さん(82歳)が、日本兵残留の裏にある真相を知ろうと、仲間と共に国を相手に起こした裁判や、中国に残された日本軍と国民党の「密約文書」を探し出す過程を、カメラで追っています。

 奥村さんが私と同じ新潟の出身であること、年齢が東京大空襲を体験した親父と同じであることなから、かなり感情移入して観てしまいました。

 それにしても、こんなことがあったなんて。この映画に出会うまでまったく知りませんでした。いったい何故、日本軍は「残留」したのか。それは、国が裁判で主張するように「個人の意思」で残留したのか。

 真相はそうではありません。北支派遣第一軍の澄田司令官が「戦犯」訴追を逃れるために、自分の部下を国民党軍に売り渡したのです。映画は、奥村さんと共に中国への旅の中でその真相に迫ります。しかし、裁判では最高裁まで争って、残念ながら、原告の訴えは却下されます。「個人の意思」で残留した、と認定されてしまいます。

 奥村さんの山西への旅は、初年兵として「肝試し」に中国人を刺殺した罪と向き合わざるを得ない旅でもあります。「被害者であるだけでなく、加害者でもある」。くり返し言われてきたことですが、その言葉のもつ深さが、奥村さんの柔和な顔の中にある、静かな怒りと悲しみを通じて、観る者に伝わってきます。

 映画の後、3人で喫茶店で感想をのべあいました。

 東チモールの独立支援を経験した知人は、「戦後、インドネシアの独立を支援した日本兵の存在にも、ひょっとして軍の関与があったかも」。昨日、息子が20歳になったという女性は、「憲法9条を変えて日本を戦争する国にするというなら、貧乏人の子供も、女も、障害者も、政治家の子供も皇族も、みな平等に徴兵される制度にすべきだ」。

 軍人恩給はそもそも兵士への「補償」ではなく「褒美」であること、支給額が旧軍の階級に基づいている点などで、大いに問題であることなどを話し合いました。

 『蟻の兵隊』は、今、東京と名古屋と大阪で一般公開されています。自主上映も各地で進んでいるようです。

 機会を見つけてぜひ、ぜひ、ご覧になってください。

 また、岩波ジュニア新書で『私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵』(740円)も6月の末に出されました。映画では分からない、奥村さんの生い立ちや、裁判で問題になった点などが、対談型式で詳しく書かれています。こちらもおすすめです。


●『蟻の兵隊』公式ページ

●『私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵』

●中国山西残留の 日本兵問題 皇紀2660年(平成12年)
   主宰者は右の言論人のようですが、資料としては、なかなかです。

●ブログ・彎曲していく日常
 澄田軍司令官について
 第一軍の最高責任者。閻錫山との密約を結び、戦犯を逃れために、 自兵を売り、共産党軍が近づいてきたら「敵前逃亡」した人物。その息子は名前は澄田智といい、日銀の第25代総裁に同名の人物がいるという。

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