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2006年10月01日
 ■ 【映評】フラガール

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■監督/李相日 ■撮影監督/山本英夫
■企画・制作・配給/シネカン 

石炭から石油の時代
ヤマの娘たちの "それぞれ" の「決断」
優しく、等しく描く

 観てよかった。毎月1日の「ファーストデー」の恩恵で、千円で入場できたが、この内容なら1万円出しても惜しくないと本気で思った。
 昭和40年(1965年)、福島県いわき市の炭坑町。「戦後」が遠くなり高度経済成長が加速する時代。石油に押され石炭の町に黄昏がやってくる。このピンチを切り抜けるために石炭会社が考え出したのが、石炭を掘る時に出る温泉をつかってレジャー施設を作るというもの。名付けて「常磐ハワイアンセンター」。
 名前でもわかるように、センターの売りはフラダンス。さっそくダンサー募集され、多くのヤマの娘たちが説明会に集まる。しかし最期まで残ったのは4人だけ。 早苗(徳永えり)と紀美子(蒼井優)、それに子持ちの会社の庶務係の初子(池津祥子)と小百合(山崎静代~南海キャンディーズ・しずちゃん)。他は、映写されるフラダンスをはじめて観て、「ケツ振れねえ」「ヘソ丸見えでねえか」と、逃げ出してしまう。
 
 この4人にダンスを仕込むために、ハワイアンセンターの吉本部長(岸部一徳)が東京から連れてきたのが、平山まどか先生(松雪泰子)。元SKD(松竹歌劇団)のトップダンサーで、「太陽くらいの大きなスポットライトを浴びて踊った」経験の持ち主。でも、鼻から、田舎の素人娘に本気でダンスを教える気はない。目的は最初からお金。
 しかし、娘たちは、炭坑の町の中で「裏切り者」呼ばわりされ、解雇された父の腹いせのためにボコボコにされながら、それぞれが人生を賭けてプロのダンサーへの道をめざす。この姿に接し、先生も次第に本気になっていく。そして、一波乱も二波乱も経ながら、映画は、ラストのオープニングの日の舞台へと登り詰めるのである。

 ひとことで言うと「きびしい」映画である。舞台ダンサーという華やかさの裏にあるプロのダンサーの「きびしさ」もある。しかし、その前に、そこまでの課程で、それぞれが引き受けねばならなかった人生の中の「決断」。その「きびしさ」を正面から描くことによって、この映画はどの世代の鑑賞にも堪えうるオトナの映画となっている。
 例えば、ダンサーの道を選び、母・千代(富司純子-ふじ・すみこ)とケンカをして家を出る美紀子の「決断」。あるいは、逆にダンサーの夢をすて、解雇された父、妹弟と共に夕張市の炭坑に引っ越す早苗の「決断」。さらに、公演直前に父の落盤事故を知り、それでもなお、泣きながら「オラに、踊らしてくんれ」と訴える小百合。そして、ハワイアンセンターに反対の立場ながら、オープン直前、寒さでひん死のヤシの木を救うために、「反対派」の家庭をストーブを貸して欲しいと、お願いして廻る千代。「あの娘らの夢を、こんなことで、つぶしたくねえ」と。
 このそれぞれの「決断」のシーンが、この映画の泣き所なのである。観客はこのヤマの女たちの「決断」に共感し、引き込まれ、励まされ、泣くのである。

 ●人生には降りられない舞台がある―
 ●彼女たちは、まちのために、家族のため、
 ●そして自分の人生のためにステージに立つ。

   (キャチ・コピーより)

 富士純子―松雪泰子―蒼井優。蒼井をふくめ、世代を代表する三人の大女優の共演は見応えがある。反対派が多い炭住の中をたった一人でリアカーを引いてストーブを集めはじめる母・千代。その背中には、唐獅子牡丹こそ無かったが、その迫力は往年のオフジさんを超えていた。ダンスシーンの多かった松雪。素人4人組みを相手にダンスを教える場面で、松雪がサーッと、又割りをやって見せたところは、女優としての「決断」が充分に伝わってきた。すでに「オ、ホ、ホ、ホ、ホー」のお嬢様ではない。
 そして、ラストを盛り上げた蒼井のダンスシーン。これには、もう、何もいうことはない。蒼井のバックを固めた「ガールズ」の踊りにも…。ヤマの娘・美紀子も、そして、女優・蒼井も、この舞台で立派に「プロ」として一本立ちしたのである。

 石炭から石油へ。時代は確かにそう動いた。あの時代、石炭に見切りをつけ「次ぎ」に賭けた者が賢者で、石炭やヤマにこだわり続けた者は愚か者だったのだろうか。その答えを、この映画はさり気なく描いている。
 「ハワイアンセンター」がオープンする日。ヤマに残る決意をしている美紀子の兄(豊川悦司)は、妹の初舞台に思いを馳せながら、坑道を下るトロッコ列車に笑顔で飛び乗る。このトヨエツの笑顔を、カメラは下からスローで撮る。映画は、ヤマで働き続けることを選んだ者たちにも、敬意の念を示すことを忘れていない。それも一つの「決断」だからである。

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 ■ 『不安型ナショナリズムの時代―日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由』

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 「嫌韓」「嫌中」の若者の背後にあるもの

 小泉首相が靖国神社を参拝した八月十五日、二十五万人もの人々が靖国に足を運んだが、そこには多くの若者の姿があったという。彼らの一部がそれを「靖国参拝オフ」と呼ぶことから分かるように、彼らの多くはオンライン(インターネット)を住処としている。
 インターネットの世界では、中国や韓国を批判する「嫌韓」「嫌中」のサイト、ブログ、掲示板の類が急増している。それをソースにした『マンガ嫌韓流』は一巻、二巻あわせてが六七万部が売れた(出版社の公称部数)。他方、日本のネットの動きに呼応するかのように韓国、中国でも若者の「反日」ナショナリズムが電網世界を走り抜けている。こうした東アジア・日韓中三国における若者を担い手とした「ナショナリズム」の噴出、相剋をどのようにみるべきか。

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