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2008年04月06日
 ■ 「勇気なき者」の革命こそ― 『実録・連合赤軍』を観て

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 今日は、良いお天気でした。まさにお花見びより。こんないい天気でしたが、観たいと思っていた若松孝二監督の「実録・連合赤軍」を観に行きました。映画としてはよく出来ています。3時間10分という長さを感じさせない充実した内容でした。

 「実録」ですから内容的にはほとんど新味無しです。手記や、裁判や、元活動家の証言などで、すでに世に知られている内容です。だから映画化するにあたっての勝負どころは、役者さんがどれだけ演じられているか、監督としてのメッセージが妥当か、に絞られます。

 前者に関しては、言うことなしです。坂井真紀や佐野史郎などの「有名どころ」もいい演技をしていますが、森役、永田役をはじめ若い役者さんが凄惨な修羅場を迫力満点で演じています。これが長さを感じさせない要因だろうと思います。

 しかし、監督のメッセージ(つまり「連合赤軍の総括」)はかなり薄っぺらいです。厳しく言えば、若松孝二監督は、依然として36年前のあの時代をさまよったままのようです。

 問題場面は、映画の後半のクライマックスにあります。「独裁者」の森や永田のCC(中央委員会)委員長と副委員長が逮捕され、残った兵士たち(5名)が警察に追われて「あさま山荘」に立て籠もり、銃撃戦を展開する場面での加藤少年の言葉です。

 板東や坂口は、自らの手で殺してしまった同志への「落とし前」として、権力との銃撃戦を闘い抜こうと「決意表明」をします。これに対して16歳の加藤少年は「いい加減なことを言うな、僕たちに勇気がなかったから止められなかったのだ。坂口さん、あなたにも勇気がなかった。板東さん、あなたも勇気がなかった。みんな勇気がなかったんだ」と号泣するのです。

 そして、観客はこの加藤少年の言葉に救われます。3時間に渡って延々と凄惨な同志殺しを見せつけられてきた観客は、この言葉に出会い、暗闇の中に光りをみた思いがしてグッときます。事実、この加藤の言葉の場面で、私の右となりの女性のハンケチがさっと動きました。

 しかし 「勇気がなかった」という言葉は、当事者の言葉としては重いけれど、同志殺しを止めることができなかった「総括」(この映画の主題)としては、あまりにも浅いと思わざるを得ません。

 森や永田は「銃による殲滅戦」を絶対化し、それを担う「革命兵士」になるための「共産主義化」を求めて「総括」を要求しました。そして、これらの言葉のウラには「勇気を見せろ」「やる気をみせろ」という精神主義がこびり付いていました。

 ですから、これらの総括要求には「勇気」だけでは対抗できない構造があったのです。勇気よりも、森や永田が発する「言葉」と対抗しうる別の「言葉」こそが必要だったのです。

 それは一言で言えば、「勇気なき者を主体とした革命」という構想を言葉化することでしょう。勇気ある特別の人たちが、特別な空間に閉じこもって行う革命ではなく、勇気なき普通の人が、日常的な空間の中で行いうる革命です。

 実はそうした「革命」は、すでにその時代にも始まっていました。というより「国家」に対して「党」や「軍」が対峙するという近代革命モデルをこえる「解放としての革命」は、あの時代に登場していたのでした。

 ウーマンリブの運動やべ平連をはじめとした市民運動、そしてなによりも全共闘運動がそれです。永田洋子に誘われて革命左派の山岳ベースを訪れたリブ運動のリーダー田中美津は、その時、ミニスカートを履いて行ったといいます。「女性性」をそぎ落とすことが「共産主義化」だと思っている永田ら革命左派への、田中美津らしい「異議申し立て」だったのです。

 最後に、若松監督に脱帽したこと。

 それは「あさま山荘」銃撃戦のシーンで、当時のニュース・フィルムを一切使っていなかったことです。私も含め多くの人にとって「あさま山荘」事件の「記憶」は、放送史上初の長時間実況ニュースの映像です。機動隊の盾の内側からの映像です。それを一切使わず、自前で「あさま山荘」銃撃戦の映像を迫力満点で作りあげたのは、まさに「反権力」の若松孝二の真骨頂というところでしょう。

 ★★★★☆(80点)

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