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2008年10月20日
 ■ 円山野音で「反戦・反貧困」集会

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 10月19日、秋晴れの下、円山野外音楽堂で開かれた「このままでええの?!日本と世界―反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」という集まりに参加しました。昨年も10月21日の「国際反戦デー」に同主旨の集まりが開催されましたが、私は残念ながら所用で行けませんでした。
 今年は年初から、強く誘われて、春先には「拡大実行委員会」にも一度顔を出させていただきました。実行委員会参加者の多くは、いわゆる団塊世代。そう、「10、21国際反戦デー」と聞くとビビッと来る世代です。その世代が、昨今の不穏な動静に「このままでええのか!」と危機感をつのらせて始めたのがこの円山集会でした。

  一般論としてはその動機は貴重なことです。しかし、実行委員会への参加者の中には運動の中で意見の違う者に「暴力」を振るい、そのことをいまだ反省も謝罪も出来ていない人たちがいます。残念なことです。

 さて、その集会、昨年よりは参加者は少なかったようですが、それでも主催者発表で850名。二年目にしては上出来です。遠く、東京からの参加者もありました。
 集会のメインは評論家の佐高信さんの講演。おおよそ次ぎのような内容でした。

  1年に2人の首相が辞めたが、喜んでいるのは役人(厄人!)だけ。麻生は小泉路線からの転換を言っているが、財務と金融を再び結合させ、財務省官僚の言いなりという意味では小泉と同じ。国民のことを考えていない官僚の支配を一度ひっくり返さなければならない。

 竹中・小泉路線は国民の購買力の向上より、会社の儲けを優先させた。『新自由主義』という批判は誉めすぎで、ルールなき野蛮な競争をあおる『旧自由主義』だ。小泉はクリーンなタカ派だったが、麻生もタカ派だ。旧田中派のダーティーではあってもハト派の政治家のほうがましだ。

 共同行動の中での足並みの乱れはよくあること。その人は別の素晴らしい音楽に合わせていると考えよう。野党の中にも改憲勢力が存在する。甘いだけのあんこより、中に塩が入っていた方がいい。そういう勢力を強めよう。


 「クリーンなタカよりダーティーなハト」は、佐高さんの十八番です。私はこうした政治的リアリズムを評価します。しかし、今は、「タカ(改憲派)」対「ハト(護憲派)」が政治のメインテーマではないでしょう。「新自由主義」を続けるのか、それとも「北欧型福祉国家」の方向に転換するのか、金融危機の広がり、世界同時不況の中で、この対決点が重要になってきていると思います。
 佐高さんの話しが自分の中でいまいちストンと落ちなかったのは、その点での違いに要因がありそうです。(小泉や竹中や田原などの「右」の人であれ、城山三郎や内橋克人などの「左」の人であれ、名の通った人と自分を並べてみせる「自慢話」にも正直閉口しましたが…)

 集会では、在日ミュージシャンの趙博(チョウ・バク)さん、フォークシンガーの豊田勇造さんのライブが行われました。趙博(チョウ・バク)さんが美空ひばりの「一本のえんぴつ」を歌いはじめた時はズキッときました。豊田勇造さんは来年還暦だとか。はじめて豊田さんの唄を聴いたのはもう35年前になります。相変わらず野太いいい声でした。

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 集会は、連帯アピールとして、山内徳信・参議院議員、在日無年金障害者訴訟団、障害者インターナショナル、ユニオンネット京都、ウトロ町内会、辺野古支援などの仲間から、あいさつが行われました。短時間でしたが、内容の濃い、連帯あいさつでした。
 集会の最後は、「インターナショナル」の合唱。このヘンが、この集会らしいところ。ちょうど近くに10代のころから尊敬している先輩がおられたので、肩を組ませていただき、一緒に 「あぁ~インターナショナルわれらがもの~」と歌いました。

 集会の後、行楽客で賑わう四条河原町をデモ行進し、それぞれの思いを訴えました。

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2008年10月02日
 ■ 「規制された資本主義」への転換か?

 アメリカ発の金融危機が凄まじいです。『日経新聞』が9月下旬に4回に渡って連載した特集のタイトルは「金融資本主義の誤算」。「グローバル経済の発展を支えてきた市場主義はどこで歯車が狂った(ママ)のか。マネーの膨張と収縮にゆれる金融資本主義はどこに向かうのか」。

 危機発生の地アメリカでは、75兆円の公的資金投入で不良資産を買い取る「金融安定化法案」が、民衆の突き上げによって、下院で否決されました。これをうけて世界的に株価が暴落(全世界で2000兆円の減価だとか)。再度、民衆の反発をかわすために12兆円の減税と抱き合わせの修正案が出され、上院を通過しましたが(2日)成立する保障はありません。

 民衆の怒りはもっもです。他人のお金でバクチして、大損して出来た穴を「税金」で埋め合わせる。すでに2つの政府系住宅機関の救済に22兆円、AIGの救済に9兆円。そして今度の「金融安定化法」です。リーマンを見捨てる一方で、この巨費(税金)の投入は、モラルハザード論が聞いて呆れます。なりふり構わず、とはこのことをいうのでしょう。それほど事態は深刻だということです。「小さな政府」を言い立てた金融資本主義(新自由主義的グローバリゼイション)が、結果として「大きな政府」を呼び寄せた、というのは、なんと皮肉なことでしょう。

 今は、金融危機の世界的な連鎖をくい止めるのに必死の様相ですが、それを食い止めることができたとしても、実体経済へのダメージは、すでに世界中に出始めています。アメリカの消費が落ち込む中、日本の自動車、半導体、家電メーカーは、いずれも米国市場での販売実績を軒並みマイナス10%~20%に落としています。その影響で、トヨタは中国工場での1割減産をはじめました。その中国(経済)はアメリカへの輸出が落ち込み黄色信号です。インドの成長も止まってしまいました。世界経済が縮小し始めています。

 「日本経済は全治3年」。知ったかぶりをしてこう言いまわっている麻生ですが、不思議なことに「病名」を言いませません。所信表明で言うかなと期待しましたが、やっぱり言いませんでした。「病名」も告げずに手術をする医者はいません。アメリカの当局者が「100年に一度の危機」と言い、「29年世界恐慌以上」と言っているのに、日本だけ「全治3年」のはずがないでしょ。29年恐慌の傷が癒えるのに少なくとも10年はかかっています。日本にもバブル崩壊後の「失われた10年」という言葉があるじゃないですか。

 私は今、歴史が大きな転換期に突入したように感じます。

 20世紀に入り、自由放任経済のツケが29年世界大恐慌となって爆発しました。そのなかから市場を国家によってコントロールする「新しい資本主義」=ケインズ主義が生まれました。ケイズ主義は戦後、世界に広がり、需要創出策はインフレと同時に「豊かさ」(福祉国家)を生み出しました。しかし、オイルショック(73年)を契機にインフレが「豊かさ」と結びつかなくなります。スタグフレーションです。

 このスタグフレーション打開の中から、ケインズ主義に代わる「新しい資本主義」=金融資本主義が生まれ出ます。お金と国家が堅く結びついていた時代(固定相場制)から、お金が国家を超えて世界に自由に展開する(変動相場制)時代が到来します。お金が交換の道具、蓄積の道具から、お金自身を買う道具に変化します。その極点に位置するのがデリバティブ、レバレッジ…ようするに、他人のお金でバクチをすること。「金融工学」などと難しそうに言いますが、ネズミ講とお同じゃないですか。いつか破綻することは分かっていました。

 そして、時代は、再び、お金の自由をコントロールする「新しい資本主義」を要請しています。

 フランスのサルコジ大統領は、23日の国連演説で、「『1930年代の経験(大恐慌)以来最も深刻な金融危機の教訓』を検討する必要があるとし、『金融活動が市場の相場師の判断だけに委ねられない、規制された資本主義』の再建に取り組むべきだと述べた」(2008年9月24日 読売新聞)

 「規制された資本主義」。これはアメリカ型の「市場万能」資本主義へのアンチであり、オルタナティブです。サルコジだけではありません。ブッシュ政権自身もサブプライム危機以降、投機を規制する法案を議会に提出しています。次期大統領を目指すオバマもマケインも「規制」を打ち出しています。日本だけです、「実需か投機かお金に書いてないから規制はできない」(伊吹文明)などと、時代錯誤のおとぼけで逃げいるのは。

 「資本主義の規制ではなく廃絶を!」。左翼たるものこの原則を忘れてはいけませんね~(^^;)。しかし、私は、いま起こっている「危機」だけではなく資本主義の「転換」の大さに身震いします。

 思えば、高校を卒業した年が73年でした。19歳。ネクタイの営業で大阪の街を走り廻っていました。その年の秋にオイルショックが起こり、アジェンデ政権が暴力的に破壊されました。あの時はまったく気付きませんでしたが、あれが、金融資本主義=新自由主義的グローバリゼイションの始まりだったのです。そして、それは、破綻しました。そして、29年恐慌の後にケインズ主義があらわれたように、サブプライム危機の世界的波及の中から、再び「規制された資本主義」を歓迎する声があがっています。

 しかし、この「転換」がどれくらいの深度になるのか、あるいは、すべきか。正直言って、事態の急速な展開に、頭がついていきません。整理すべきことが盛りだくさんです。例えば、サブプライム危機は、繰り返されてきたバブルの一つの崩壊に過ぎないのか、それとも、バブルを生み出す構造が破綻したのか。投機の規制というけど、投機にだけ限定すべきなのか、資本の自由な移動それ自身を規制(固定相場制の復活)すべきなのか。

 一つだけ確かなことがあります。アメリカ一極集中が、経済的に終わろうとしていること。その中で、アメリカに依存(輸出)して成長してきたグローバル企業の縮小は必至だということ。麻生自民党にしても、小沢民主党にしても、これが所与の現実です。このステージでは、「改革」政治はもはや通用しません。グッドバイ小泉。大きくか、小さくかは別にして「転換」は必至です。だから総選挙で、自民と民主のどっちが勝っても、日本は「変わり」ます。

 いま起きている資本主義の変容・転換は、日本の総選挙よりはるかに壮大です。衆議院解散も、ジワリ、ジワリと延びまじめました。

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