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2009年05月22日
 ■ 「新型インフルエンザ対策 及び 報道に関する 緊急アピール」 九州薬害HIV訴訟原告団/九州薬害HIV訴訟弁護団(2009年5月21日)

 4月末にメキシコでの豚インフルエンザ発生が報じられて以来、厚生労働省及び自治体はインフルエンザ対策に奔走し、マス・メディアは連日のようにこのニュースを大々的に取り上げています。5月9日には、日本における最初の感染者が確認され、18日には兵庫、大阪の2府県で計2664校の休校が決定されたと報じられています。

 私たちは、このような行政やマス・メディアの対応をみるにつけ、1980年代後半のエイズ・パニックを思い起こさざるを得ません。
 感染の恐怖を煽ることを感染症対策の柱とした行政と、それに無批判に乗ったマスコミの過剰報道により、感染者たちは、職場や学校から排除され、医療からさえも拒まれました。

 1989年にはエイズ予防法が成立し、圧倒的多数の感染者は、感染の事実を誰にも告げることができず、社会からの孤立を強いられました。この状況は、いまもなお続いています。この時期に社会を席巻したHIV感染者に対する差別・偏見は、いまもなお日本社会に根深く残っているのです。

 同様のことは、ハンセン病問題にも言えるはずです。

 1996年に成立した感染症予防法が、その前文で、「我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。/このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている」と謳っているのは、このような過去の感染症対策に対する反省があったはずです。

 ところが、今回の新型インフルエンザに対する行政、マスコミの対応には、そのような過去の感染症対策に対する反省が全く活かされていません。

 感染者は、何よりもまず「治療を必要としている患者」として扱われるべきであり、「社会防衛の対象となる感染源」として扱われるべきではありません。感染源としての扱いは、感染者が医療にアクセスすることを妨げ、結果的には感染者の潜伏に繋がります。感染者の人権に配慮しない感染症対策は、感染症予防策としても拙劣です。

 私たちは、行政担当者及びマス・メディアの方々に、過去の感染症対策の反省と、新型インフルエンザの感染力・毒力の正確な評価に基づいた冷静な対応を強く求めるものです。

 九州薬害HIV訴訟原告団 / 九州薬害HIV訴訟弁護団
 連絡先: ちくし法律事務所 092-925-4119

古賀克茂法律事務所ブログより

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 ■ 豚インフルエンザ患者を「犯罪者」あつかいする「感染予防法」の転倒性

 今般の「豚インフルエンザ騒動」に接していると、その昔、同じようなことがあったなぁ、と思出します。20年ほど前のエイズパニックです。厚生省(当時)は「不特定の異性との性交渉がエイズを拡大させている」として、それを禁止する(?)「エイズ撲滅キャンペーン」を展開しました。心当たりのある彼/彼女らがパニックに陥ったのは当然でした。さらに歴史を遡ると、ハンセン病患者を不当に隔離した「らい予防法」のことも思いだされます。

 この連想ゲームはあながち根拠のないことではありません。というのは、今、国が行っている「新型インフルエンザ対策」は「新型インフルエンザ対策行動計画」(09年2月17日決定)と「新型インフルエンザ対策ガイドライン」(同)に基づいて進められていますが、その法的な根拠となっているのは「感染症予防法」(98年公布、08年改定)と「検疫法」(51年施行、08年改定)で、「感染予防法」の前身は「らい防法」と双璧であった「伝染病予防法」だからです。

 この「らい予防法」―「伝染病予防法」―「エイズ予防法」―「感染症予防法」―「検疫法」を貫く思想は、伝染病患者からいかにして一般人の健康を守り抜くか、というところにあり、決して、伝染病患者が適切な医療を受ける権利を保障するものではありません。

 「感染症予防法」は昨年改定され、ここに「新型インフルエンザ」(=鳥インフルエンザ<H5N1>が人・人に感染するものに変異したものを想定)が類として加えられました。ここでは疑いのある者に健康診断、感染者の入院義務、症状の出ない感染者の就労制限などが定められています。また「検疫法」の改定(昨年)では、感染したおそれがある者についての停留や健康監視が義務づけられ、違反した者を懲役・罰金の対象としています。この国の「新型インフルエンザ対策」とは、感染者(疑いのある者)を「犯罪者」と見なすものなのです。

 今、街中、車中、職場中、マスクであふれています。しかしこれを民衆の公衆衛生に対する無知として笑うことはできません。また「右へ習い」が好きな国民性として批判するだけではすみません。人々は法律の細かなことは知らなくとも、この国がこの病気(人)を「犯罪視」していることを直感的に感じ取っているのでしょう。だから、あらぬ嫌疑から身を守るために、とりあえずはマスクしとこか、と。

 国は今、対策の緩和に舵を切りつつあります。政府が定めた「行動計画」にとらわれずに、地方が感染の状況に応じて独自の対策を講じることを認めました。豚インフルが弱毒性であることを理由に、脱「行動計画」へと舵を切ったわけです。

 しかし脱「行動計画」を宣言したとしても問題は残ります。本物の強毒性の「新型インフルエンザ」の発生の時には、感染者(疑いのある者)の「封じ込め」「隔離」を優先する国家による人権抑圧が許されていい、ということにはならないからです。

 感染者の医療を受ける権利を何よりも保障する観点から、現行の「行動計画」「ガイドライン」そして「感染症予防法」「検疫法」を洗い直し、抜本的に改定することが求められていると思います。

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2009年05月17日
 ■ 豚インフルよりも恐いもの

 豚インフレエンザ騒動が続いています。ついに渡航歴なき高校生が感染し、感染者が拡大中です。しかし、豚インフルエンザそれ自身の怖さよりも、それが引き金となって表出しはじめた政治・社会の「歪み」の方がもっと恐いように思います。

 そもそも「水際作戦」で防ぐと言う政府の方針がおかしかった。人・物・カネがグローバル化している今日、それが無理なのは分かっていました。しかし、人工衛星の「落下」を迎撃ミサイルで「破壊」できると信じている政治家には、それが理解できなかったようです。膨大なお金を投入して「水際作戦」を展開しましたが、あえなく「敗北」しました。その昔、B29の空襲に対して、竹槍で対抗しようとしたのと同程度の政治が、今も続いているようです。

 そして、感染者へのイジメも深刻です。寝屋川の高校には、「なぜ、旅行先でマスク着用をしなかったのか」という電話やFAXが殺到したそうです。橋下知事まで便乗して、当該の教師を批判しました。しかし、マスクで感染を防げるのでしょうか。WHOは「確証はない」と公式にコメントしています。むしろマスクで防げると信じる人が、他の手段をおろそかにすることによって感染が拡大することを警告しています。

 ところが政府はマスク着用を奨励しています。マスクの品薄を見越して、ネット上では「即納」を宣伝する広告が活況を呈しています。ひょっとして、この政府の対応って、「エコポイント」と同じで「経済危機対策」なのでしょうか。

 イジメをしているのは政府も同じです。帰国した高校生は7日間もホテルに「拉致」されました。米国では「隔離」ではなく自宅待機が奨励されています。「むやみに病院に行くな」とまで、NY市長は市民に訴えています。日本では国民に「冷静な対応」を訴えている政府自身が「冷静な対応」をせず、恐怖心をあおっています。その結果、感染者へのイジメ、諸イベントの中止、自粛などを呼び起こしています。(甲子園のジェット風船も自粛だそうで、これで、タイガースの借金もさらに増えることでしょう)。

 今わかっている豚インフレエンザの特性は次のようなものです。

 ・弱毒性である。
 ・濃厚接触で感染する。
 ・死亡率0.03%
 ・タミフル等が効く。

 ところが政府の対応は、強毒性のインフルエンザ(H5N1)を想定したマニュアルにそっています。これがそもそもの誤りです。なぜこうなったのか、裏には、厚労省の役人の思惑(豚インフルを名目にした危機管理の実験をやりたい)がありそうですが、本当のところはわかりません。政府もそろそろ軌道修正するようです。今時の騒動は夏の到来とともに引くでしょう。

 一般のインフルエンザが猛威を振るう秋・冬以降が次の山場となるでしょう。このまま歪んだ政治と社会が続く限り「犠牲者」の拡大は必至です。

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