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2009年11月16日
 ■  「事業仕分け」2つの問題点

 最近、テレビのニュースでよく見かける蓮舫さん。元クラリオンガールで、今は注目の必殺「事業仕分け人」。白いスーツをさっそうと着こなし、局長クラスを向こうに回し、その要求を「国民の目線」でバッサバッサと切り捨てる。今や行政刷新会議=「事業仕分け」は政治の花形。政権交代によって「政治が変わった」と国民にアピールする民主党政権の最大の目玉となった。

 確かに変わった。

 予算編成と言えば、族議員への陳情、官僚への口利き、そして官僚と財務省の役人同士の水面下での折衝と妥協。予算は普通の人には見えにくいところで決定されていた。それがどうだ。「事業仕分け」の作業は市ヶ谷の体育館で行われ、東京近辺にすむ人で、時間がある人なら誰でも傍聴することができた。(ただしスリッパは持参してほしいと、HPに書いてあった)。さらに、地方に住んでいる人にはインターネットによる中継がちゃんと用意された。

 この「開放性」はすばらしい。予算の方針は恣意的な人選による「審議会」や「諮問会議」が示し、実際の作業は財務省・主計局が闇の中で行っていたこれまでとはまったく違う政治が出現したのだ、と絶賛したいところなのだが、はたしてそうか。

 一つは、行政刷新会議の「議員」や「仕分け人」の人選がやはり恣意的ではないか、ということだ。「仕分け人」には環境問題でガンバッている人も入っているが、新自由主義=小泉構造改革を推進した人も多い。刷新会議を取り仕切る事務局長の「構想日本」の加藤秀樹さん。かつては道路公団民営化論の最左派だった人だ。最左派と言うのは、公団の民営化だけではなく、道路事業の民営化、つまり(高速道路だけではなく)道路全般の有料化を言う人だからだ。

 また、小泉政権下で「総合規制改革化会議」「道路関係四公団民営化推進委員」を歴任した川本裕子さんも「仕分け人」の一人だ。さらに、高橋進などという小泉の格差拡大路線をヨイショした輩の名前もある。大物で言えば京セラの稲盛さん。財界の新しいホープで「松下政経塾」の初代事務局長で小沢一郎の「友人」。これに呼応する形で政府から直接出向いてきているのが松下出身の平野官房長。

 と見てくると「行政刷新会議」は、新政権を新自由主義へと引き戻す装置である、と言ってみたくもなる。だから社民党や国民新党は最初から排除をしたのだと。「地方交付税削減」などという「成果」を打ち出してたところをいると、当たらずとも遠からずといったところか。

 二つ目は、やっぱり国会が「国権の最高機関」だと言うこと。「事業仕分け」で予算案の決定過程の一部を市民に傍聴させたり、インターネットで中継したりすることは、とってもよいことだ。だが、ここはまだ決定過程のホンの一部にすぎない。ここでの「判定結果」は法的な拘束力をもたず、最終査定は財務省・主計局が行い、閣議で予算案は決定される。そして予算が最終決定されるのは国会の場であり、決定するのは国会議員だ。

 その意味で、当初、行政刷新会議に多くの新人議員が入る予定だったのが、党の側の思惑(小沢幹事長の一声)で潰されたのは大変残念なことだ。予算編成過程に参加できる一級国会議員とこれを追認するだけの二級国会議員という構図は、一票の格差と同じく、結果として有権者の政治参加を狭めたり封じたりすることを意味する。
 「官」に対する「政治主導」はいいけれども、その政治の中で「主導」する者と「追従」する者を分ける発想はまったくいただけない。しかも「与党」の中での話しだ。

 行政刷新会議が「事業仕分け」という公開の場でムダを削減しようというのは結構なことだ。しかし、基準が不明確なため、そこには色々な思惑が入り込みやすい。「効率」「成果」という基準が一人歩きするのを危惧する。

 また「事業仕分け」が単に世論受けを狙っただけのショーウインドーであるならば、それこそムダだ。事前に「仕分け人」に配布された「マニュアル」は財務省が作成したものだった。結局、「事業仕分け」とは、財務省がめざす予算案にむけて世論を誘導し、同意を調達する装置だったのではないか。
 「審議会」や「諮問会議」や「行政刷新会議」ではなく、公明正大な予算・政治議論の場として「国権の最高機関である」国会をこそ活用し、オープン化すべきである。

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