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2010年10月01日
 ■ 隔ての島から結びの島へ! 「無主」「両属」としての尖閣諸島(釣魚島)の構想を!

 ■尖閣問題―最大の危機は「対抗言論」の不在

 尖閣諸島沖(中国側呼称=釣魚島)で逮捕(罪名=公務執行妨害)された中国人船長を、那覇地検が「処分保留」のまま釈放したことをめぐって、民主党政府に対する轟々たる非難がわき起こっています。「検察の越権行為だ」「政府の司法への介入だ」「中国への弱腰外交だ」などなど。部分的には正しい批判もありますが(検察が外交上の判断をするのはおかしい、など)、総じて、日本政府に対して中国への「強固な態度」を求める声として集約されています。

 これは「被害者意識に基づくナショナリズム」といえるでしょう。政府によって誘発された「被害者意識に基づくナショナリズム」が、逆に政府を飲み込み、制御不能な暴力(それは必ずしも「戦争」「軍事」という姿をとらず、異端者の社会的・文化的排除という姿をとります)の連鎖を生み出していく。今の日本はそんな危険な局面にある、と思うのは杞憂でしょうか。

 もちろん、暴力的なナショナリズムをグローバル化したエコノミーの論理が抑止するという局面はあるかも知れません。検察が「処分保留の釈放」を決定した背景に、アメリカの意思と並んで、このグローバル化したエコノミーの意思があったことは想像に難くありません。

 しかし、起きている事態はやはり「政治」という固有の領域の問題です。この暴走を止めるには「政治的な対抗言論」が不可欠です。しかし残念ながら今の日本には、この「政治的な対抗言論」は存在しないに等しい状況になっています。なんと薄気味の悪いことでしょう。

 巷では今回の一連の事態について(1)中国側が一方的に理不尽な行為を行い、日本側がやられっぱなしになっている、という受け取り方になっています。また(2)尖閣諸島(釣魚島)が日本の領土であることは疑いようのない事実として報道され、受けとめられています。この延長上に(3)「尖閣諸島に領土問題は存在しない」という日本政府の立場があります。

 巷に流布しているこうした認識・受け止め方に一石を投じたい。そのために、逮捕をめぐる状況を冷静に振り返り、尖閣諸島(釣魚島)「領有」論争について自分なりに判断を下し、さらに、今後の方向として「弱腰」でも「強腰」でもない「脱国家主権の新発想」での問題解決を考えたいと思います。

 ■最初に引き金を引いたのは日本

 中国側が一方的に理不尽な行為を行い、日本側がやられっぱなしになっている、という認識は、日本の側が最初に「一線を超えた」という事実を無視するか過小評価したものです。「一線を超える」とは「船長逮捕」のことです。

 日本と中国との間には、1970年以降、尖閣諸島(釣魚島)の領有をめぐって対立が顕在化していましたが、両国とも、1978年の「日中平和友好条約」の締結に際して鄧小平が語った「尖閣論争の棚上げ」方針に従って、決定的な対立を回避してきた経緯があります。

 2004年の中国人活動家の「上陸」に対しても、逮捕後すぐに「国外」退去処分にしました。小泉政権の時代です。「靖国に参拝して何が悪い」と豪語した小泉でさえ、尖閣諸島(釣魚島)問題では「国内法」よりも「鄧小平との約束」を優先する判断を下したのです。

 ところが、今回は「鄧小平との約束」を無視して、船長を含む15名を拘束・連行し、船長に対しては起訴を前提に逮捕に踏み切ったのでした。しかも偶発的な事態に対処する現行犯逮捕ではなく(逮捕の理由が「故意の衝突で悪質だから」と言うのなら普通は現行犯逮捕でしょう)、逮捕状を執行しての逮捕という念の入れようです。

 この逮捕状の執行にあたっては、当時、国土交通相だった前原や岡田外相の強い指示があったと報道されています。拿捕から12時間以上、政府中枢で検討した上で、確信犯的に逮捕に踏み切ったのでした。最初に引き金を引いたのは日本だったのです。

 中国の怒りは、直接的には、この日本政府による「鄧小平との約束」の一方的な破棄にあります。これまでの経緯からすればその怒りは正当でしょう。

 その後、日本政府はこの逮捕を「領土問題」への対処ではなく「国内法に基づくもの」「国内法に基づいて粛々と進める」との立場を繰り返します。日本国内向けには納得できる物言いかも知れませんが、中国からすれば、他国領内での「国内法」執行を正当化する許し難い言説、と映るでしょう。

 同じ言葉でも、日本国内では、政府が領土問題にふれず事を荒立たせないように配慮している、と受けとめられても、中国側ではまったく逆に、日本側がこれまでの態度を一変させ「領土問題」で強固な態度に出ている、と受けとめられるでしょう。

 ■尖閣諸島(釣魚島)の「先占」は正当化できない

 問題の根本にあるのは尖閣諸島(釣魚島)の「領有権」「主権」をめぐる日中間の対立です。日中どちらの主張に与するかによって、今回の事態の見え方も大きく変わるでしょう。私の見方を先に言えば「尖閣諸島は日本固有の領土である」という日本政府の基本見解には大きな疑義があります。

 日本政府は1971年の3月に「尖閣諸島の領有権についての基本見解」という短いコメントを発表しています。中国、台湾による尖閣諸島(釣魚島)の領有権の主張に対抗するために急いで作られたものです。

 その中でこう述べています。「尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです」。
 
  「尖閣諸島の領有権についての基本見解」
   http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html

 上記の政府の行為がなぜ「尖閣諸島は日本の領土」の証明になるかというと、国際法上、所有者のいない無主の島については、最初に占有した者の支配権が認められる「先占」の考え方が認められているからです。おどろくことに「たしかな野党」を標榜する日本共産党も、尖閣諸島(釣魚島)の領有問題については「先占」の論理の立場から、政府と同一の「基本見解」をとっています。

 これに対して中国政府の見解は、概ね次のようなものです。

(1)釣魚島は無主の島ではなく中国が明の時代から領有していた。
(2)日本は1895年1月、甲午戦争(日清戦争)に乗じた閣議決定によって釣魚島を占領した。
(3)同年4月の馬関条約(下関条約)によって釣魚島は「台湾と付属の島々」の一部として日本に割譲させられた。
(4)第二次世界大戦後、日本はポツダム宣言によって、占領していた釣魚島を中国へ返還しなければならなくなったが、米国は琉球諸島を信託統治する際、釣魚島を密かに同諸島の一部としてしまった。
(5)1971年に沖縄が日本へ「返還」され、釣魚島は今なお日本の統治下に置かれている。

 参照:「人民網日本語版」2005年2月23日、
    「評論・日本政府による釣魚島灯台『接収管理』」
 http://j.peopledaily.com.cn/2005/02/23/jp20050223_47818.html

 先述したように、日本政府の「基本見解」を唯一支えているのは「先占」の考え方です。これに対して中国側からは「釣魚島は無主の島ではない」という史料が沢山提示されています。尖閣諸島(釣魚島)が無主の島でなかったとしたら日本の「先占」は無効だからです。

 しかし、この問題はそれとして重要ですが、中国側の主張で一番重要だと思うのは、日本が「先占」の閣議決定をおこなったのが、まさに日清戦争の最中だったということです。私は「先占」の考え方自身、強者の論理で時代遅れだと思いますが、それは置いても、果たして戦争の最中での「先占」は認められるのか、という重大な疑問を持たざるを得ません。ましてや日本は、この戦争から続くアジア太平洋戦争の最終点で、ポツダム宣言を受諾して、戦争によって「割譲」「略奪」した台湾、朝鮮など広大な植民地を「放棄」することに同意しているのでから。

 ところが今になって日本政府はこの問題についてこう言い放つのです。「台湾は日清戦争後の下関条約で清から割譲(略奪)したものだから返したが、尖閣諸島は日清戦争中に先占したものだから返さない」。これでは日本はいまだに中国・アジアに対する侵略戦争を「真に反省していない」と中国側に受け取られても仕方ないでしょう。

  ■「無主」「両属」としての尖閣諸島(釣魚島)の構想を

 日本の検察が中国人船長を釈放したことをもって「中国への屈服だ」と騒ぐ人は、屈服したのは「検察」であり、政府は尖閣諸島(釣魚島)をめぐっては「屈服」も「後退」もしていない、ということを見ていません。これは別に政府の「詭弁」を擁護しようというものではありません。そうではなく、日本政府は尖閣諸島(釣魚島)については船長釈放後も十分に「強腰」であり、その「強腰外交」を変更しない限り、いくら船長の釈放で「譲歩」したように見せかけても、問題の解決には1ミリたりとも近づかない、ということを言いたいのです。

 「強腰」とは、一つには先に見た「先占」論による「領有権」の正当化です。そして、もう一つが「尖閣諸島(釣魚島)に領土問題はない」という立場です。問題はあるのにそれを見ないようにする。これは傲慢かつ愚かな態度です。こうした態度を続ければ、もしもの時は「武力解決」しかなくなるからです。政府は「尖閣諸島(釣魚島)に領土問題はない」という立場を改め、中国との話し合いによって「領土問題」を解決する方向に舵を切るべきです。

 21世紀の今日、「領土問題」の「解決」のためには「既成の領土観」に捕らわれず、物事を根本から自由に発想することが大切だと思います。そもそも、地球上の大地、海、空を国境で細かく線引きすることにどんな意味があるのでしょう。その大地、海はどこかの国家の「領土」となる前から、そこを耕し、そこで漁をする人々と共に存在してきたはずです。郷土は国家(領土)より先にあったのです。尖閣諸島(釣魚島)もまたそうした島、海であったでしょう。中国や日本の「領土」となるはるか前から、そこで自由に漁をする人のものであったはずです。

 だとするならば、ある土地が必ずどこか一つの国家に属さなければならない、という考えに固執する必要はありません。無主のまま、あるいは両属のままであり続けられる道を、特に領土紛争の地に探っていくことは可能はなずです。

 中国研究者の天児慧(早大教授)さんは「脱国家主権の新発想」の必要性を説きながら「領土領海の係争地に限定した『共同主権論』もアイデアだろう」と語ります(「朝日」9月22日)。そのために、領土問題は存在しないという政府主張を変更して、中国と対話を開始し、「当地域をめぐる諸問題を解決するための専門委員会を設置する」ことを提案しています。

 また、同じく中国研究者の加々美光行(愛知大教授)さんも、「尖閣問題は一時的に収まったとしても火種としては大きい。日本も中国も近視眼的な国益を主張するだけでなく、南極のように領土主権を凍結するような国際条約を取り決めてもいいのではないか」と語っています(「北海道新聞」9月25日)。

 尖閣諸島(釣魚島)論争の「棚上げ」を宣言した鄧小平は、問題の解決を「次の世代の智恵に託す」とも言いました。その意味するところは分かりませんが、これまでの「国家」を主体とした世界に代わって「脱国家」の世界が到来することを見通していたのかもしれません。

 天児さんの「共同主権論」といい、加々美さんの「南極方式=領土主権凍結条約」構想といい、鄧小平の期待した「智恵」に迫っていると思います。国益をかざしたパワー対決や被害者意識に基づくナショナリズムの発露に希望はありません。今こそ、尖閣諸島(釣魚島)を「隔ての島から結びの島」に変えるために、次世代としての智恵比べに力を注ぐときです。

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