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2012年05月21日
 ■  「不当債務」の拒否から「もう一つの欧州」へ/6月「再選挙」でギリシャ民衆が向かう先

 五月六日に行われたギリシャ総選挙で「緊縮策反対」を掲げる急進左翼連合(SYRIZA)が第二党に躍進し、「緊縮策」を押し進めてきた連立与党(ギリシャ社会主義運動党、新民主主義党)を惨敗・過半数割れに追い込んだ。その後の連立協議が不成功となり、六月一七日に再選挙が行われる。急進左翼連合が「反緊縮」の勢いを加速させて第一党となるのか、それとも旧与党が「ユーロからの離脱か否か」の脅しと「財政再建と成長の両立」という怪しげな政策で巻き返すのか、ギリシャの未来とグローバル金融資本主義の生死を分かつ重大な局面を迎えている。
  
 不当債権の返済拒否

 ギリシャでは、三年前に財政赤字の粉飾が明かになって以降、債務返済のための金融支援と引き替えの「緊縮政策」が、EU・欧州中央銀行・IMFの三者(=トロイカ、代表団がアテネに常駐)によって進められてきた。公共サービスの廃止、公共料金の三〇%引き上、給与の二~三割引き下げ、貧困支援策の中止、団体交渉の廃止、付加価値税の引き上げ(一九%↓二三%)、年金カット、公有資産の売却などなど。それはギリシャの社会のあり方を一変させた。とくに若者の失業率は五割を超えた。「緊縮策」はギリシャ社会から「希望」を奪ったのだ。五月の選挙で「緊縮策」を進めた連立与党が大惨敗したのは、民衆の悲痛な叫びの結果そのものだ。
 躍進した「緊縮反対」勢力は、それとセットになっている「債務返済」自身にも切り込み、返済の凍結・削減・停止・拒否などを訴えた。これらの主張には正当性がある。
 ギリシャの財政赤字が膨張した原因は、ギリシャ人が「怠け者」だとか「公務員が多い」ということではなく、ギリシャのユーロ加盟以降、欧州単一金融市場の誕生で自由度を増したフランスやドイツの銀行マネーが、ギリシャや南欧の国債市場になだれ込んだことにある。そして、ギリシャ社会主義運動党と新民主主義党の旧二大政党は、選挙の度にこのマネーをばらまくことで政権を交互に手にしていたのだ。
 さらに驚くべきことは、ギリシャの財政に化けた独・仏の銀行マネーは、ドイツやフランスの戦闘機や潜水艦などの兵器の購入代金として、再びフランス、ドイツに環流していたことである。(海外ドキュメンタリー『ギリシャ財政破綻の処方箋――監査に立ち上がる市民たち』NHKBS1より)
 ギリシャ政府はこれまで、債務の中身について、誰が、何のために、誰から借りたお金なのか、一切を明らかにしていない。「債務は返済しなければならない」という一般的な理由だけで返済のための新たな金融支援を受けることに合意し、すべてのツケを「緊縮政策」として民衆に転嫁してきた。ここには何の正当性もない。ギリシャの民衆が六月の選挙で「NO」を突きつけたのは、まったく当然のことだったのだ。

 ユーロからの離脱をめぐって

 「緊縮策」の遂行と「債務返済」はトロイカとギリシャ政府の「合意」である。この合意をくつがえす左派政権が誕生すれば「ギリシャのユーロからの離脱は必至」となるのだろうか。六月一七日の再選挙をめぐるマスコミの論評は、「緊縮問題」から「ユーロ離脱問題」へとシフトしている。
 再選挙で第一党をうかがう急進左翼連合(SYRIZA)は、五月選挙ではユーロとの関係については言及していなかった。(二六議席獲得した共産党は「離脱」を明言)。これは選挙戦術上の「あいまいな路線」とも受け取れるが、トロイカの側にボールを投げ返す戦略、と見ることもできる。つまり、ギリシャのユーロ離脱は、トロイカの側にこそ痛手である、という見立てである。
 先に見たように、ギリシャの財政危機、その救済と称する金融支援、さらにそのバーターとしての民衆への「緊縮策」の押しつけは、ユーロマネーにとって実においしい話なのである。国債へ投機が何倍にもなって返ってくるだけでなく、更なるビジネスチャンス(金融支援)をも生む。ギリシャがトロイカ体制にとどまり債務を返済し続けるということは、このマネーの蓄積シシテムが永遠に続くということなのだ。トロイカにとって「情けは他人のためならず」だ。
 これに対して、ギリシャの側はどうか。これはギリシャの民衆が決めることだが、ユーロからの離脱で手に入れることができるのは、ギリシャの民衆にとって最も大切なもの、すなわち自己決定権だ。それは取りあえずは通貨発行権もふくめた国民国家を金融資本主義の側から取り戻すことだ。民衆はそれを武器にして社会防衛・形成へと進むだろう。
 経済的には、ユーロによって作り出された欧州の南北格差、周辺問題を「南側」「周辺」の側から超える一歩となる可能性がある。
 欧州のソブリン危機は、ギリシャが焦点化されているが、ギリシャの経済規模はEUの二%弱にすぎない。それにくらべて、同じく「緊縮策」を強いられている南欧のスペインは大国だ。このスペインがディフォルトすればユーロは暴落・崩壊し、壊滅的な金融恐慌となる。
 その時、ドロ舟のユーロ圏から「脱出」していたギリシャは、非ユーロ圏のヨーロッパ諸国と連帯して「もうひとつの欧州」を形成し、ユーロ崩壊で苦しむ欧州民衆のアジールとなることができる。
 六月再選挙の勝利をめざし、「緊縮策」と「不当債務」の拒否から「もう一つの欧州」へと向かうギリシャ民衆に連帯しよう。



『グローカル』2012年6月1日号 掲載予定

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2012年05月06日
 ■ 原発ゼロ記念日に…「一瞬」ではなく「永遠のゼロ」にむかって

■「止まった」のではなく「止めた」のだ

 久しぶりにブログを更新することにします。今日は連休最後の日であると同時に、日本列島の原発が全て止まった記念すべき「原発ゼロ」第一日だからです。祝っても祝い切れません。これは「止まった」のではなく市民が「止めた」のだ、と誰がおっしゃいましたが、その通りです。政府や電力会社は、何とか「原発ゼロ」を回避しようと大飯原発の3~4号機を「再稼働」させようと躍起になりました。しかし再稼働は阻止されました。
 大飯原発から50キロ圏にある大阪、京都、滋賀の首長が「住民の安全を守る」立場に立ち国と渡り合ったこと。経産省のごり押しの「地元説明」の茶番に、市民が敢然と抗議行動を貫いたこと。そして、その(都市部の)市民が展開した「地元」おおい町住民との「ポステング=対話活動」が、長いあいだ口をつぐんできた住民たち自ら声をあげるきっかけを作りだしたこと。このきっかけ作りには、遠く関東から原付バイクでやってきてテント活動をはじめた若者の存在も大きかったと聞きます。

■槌田劭さんの18日間のハンガーストライキ


 そして、京都では、4月18日から5月5日まで、京都駅前にある関電京都支店ビルの南むかいの交差点の一角を「占拠」して、使い捨て時代を考える会・代表の槌田劭さんが大飯原発の再稼働に反対するハンガーストライキを行いました。御年76歳。同じスペーで支援の座り込みや「さよなら原発1000万人署名」が行われ、かけつけた支援者は延べ400人を越えました。最終日の5月5日には、200人の仲間が関電前交差点に集まり、原発ゼロを祝い、槌田さんの18日間のハンストを慰労し、歌、トーク、キャンドルアクションなどを行いました。
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 ドイツから来ている立命館大学の先生が「ドイツは脱原発の先進地でしたがまだ8機の原発が動いています。でも日本は今日、市民の力で原発ゼロを実現しました。次は政策転換でゼロを実現してください」と激励されたのが印象的でした。
 途中から小雨混じりの天候となりましたが、それとは裏腹に、久しぶりに晴れ晴れとした気分なれた集まりとなりました。槌田さん、ホントにお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

■原発ルネッサンスを諦め切れない推進派

 この「原発ゼロ」を「一瞬」ではなく「永遠」のものとするには、まだまだ大きな壁があります。政府・経産省・電力会社は「電力不足キャンペーン」と「安定供給の責任」をタテに、再稼働をごり押ししてくるでしょう。田中優さんが言うように「偽装停電」という戦術には警戒を強めなければなりません。
 また、日本がダメでも世界があるさ、というグローバリズムの精神を発揮して「原発輸出」が更に推進されようとしています。一機4000億円~5000億円、一ヶ所4機で2兆円。消費税1%分のお金が動くおいしいビジネス。日本で原発をゼロにしても、日本の原子力ムラやIAEIなど世界の原発推進機関が「原発ルネサンス」をあきらめない限り、世界で原発は増え続けます。「国内ゼロ」から「世界でゼロ」を実現したいものです。
 さらに「政策転換」をめぐる場での反動も強まるでしょう。この夏、政府、経産省、環境省の三つの「エネルギー長期戦略」に関する審議会が答申を出し、政府の新方針が「決定」されます。政府においては「脱・原発依存社会」という方向は既定方針(のはず)ですが、問題は「いつまでに」にあります。へたをすると「2050年に原発ゼロ」などという現状維持そのままの「政策転換」になりかねません。

■地元の住民が公然と「原発NO!」を語れる社会に

 そして、忘れてならないのが、フクシマ事故の行方と福島の人たちの安全と民主主義。福島県内に住む知人から「この”原発ゼロ記念日” 福島県内での動きは全くありません」というメールを頂きました。「原発に関して自治体はなんら表明できないでいます。情けないばかりです。自治体、商工組合関係は地元復興の動きばかりです」とメールは続き、さらに「放射線量の高い公園でラーメンフェスタを開くなど心配派には信じられないことも行っています」と憤りが表明されます。
 そうなのです。この「日本列島原発ゼロ」の実現が、フクシマ事故の前だったらどんなによかったことでしょう。しかし現実は「ディー・アフター」なのです。原発に「YES」か「NO」かを口にできないばかりか、放射線への恐怖を口にすることすらもはばかられるような空気が、事故を経てもなお(否、それが故に)彼の地を支配しているのです。このことを忘れないでおこうと思います。
 原発ゼロ・脱原発の実現とは、福島や原発を抱える地域(の住民や作業労働者)が、公然と原発について自分の意見(「YES」であれ「NO」であれ)を言えるように変わることです。その意味で、これから「原発ゼロ」を日々積み重ねることが、原発城下町の住民にとっても、原発から解放され民主主義を取り戻す、大きなきっかけとなることでしょう。

 「原発ゼロ」を永遠にするための「壁」はぞれぞれかなり高いです。しかし、いまま現在、民意が力となって原発を「止め」続けているのですから「永遠のゼロ」も民意の力で実現できるはずです。10万年先まで影響をあたえる原発に、トドメをさすことが出来る決定的なチャンスを、いま、私たちは迎えています。

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