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2008年06月23日
 ■ アキバ事件―「派遣」を使い捨てるトヨタに責任あり

  クローズアップされる「派遣問題」

 人は一人の力で七人もの人間を殺すことはできない。戦争が典型だが犯罪もまた同じである。
 東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件の背景に、派遣労働者に対する苛酷で不当な待遇があることがクローズアップされている。派遣などの非正規雇用の増大による格差拡大が若者を絶望感に追いやっているとの指摘も多い。
 犯罪の背景にある「社会問題」が強調されるのは最近ではめずらしい。七年前の同じ日に起きた池田小学校事件では、宅間守の「異様さ」「暴力癖」のみが語られ、宅間が阪大付属池田小学校という自分より上位の階層に属する子供たちが通う学校を標的に選んだことの意味は、ほとんど触れられることはなかった。
 これとくらべると今回の事件の世間の受け止め方は明らかに違う。宅間守が公判でも胸の内を語らなかったのに対して、秋葉原事件の容疑者・加藤智大(二五歳)は携帯電話サイトの掲示板に様々なメッセージを書き込んでいたことが大きい。「高校出てから八年、負けっ放しの人生」「勝ち組みはみんな死んでしまえ」。同じ境遇にある若者が「気持はわかる」と反応した。
 政府も素早く「再発防止策の検討」を行い「派遣の見直し」を示唆した。記者会見で町村官房長官は「派遣社員の身分の不安定さが本人の精神的不安定を呼んだとの解説もあり、派遣労働者への規制のあり方は今のままでいいのか考える必要がある。できるだけ常用雇用を増やしていく方向で見直すこともある」と語った(『朝日』六月十二日)。
 派遣制度の問題点が社会で注目されるのはいいことだ。派遣会社の「自主ルール」や一部の「見直し」ではなく「廃止」すべきである。しかしこうした制度の改変をめぐる問題と平行して、今回の事件に即して関連する企業の法的・社会的な責任が問われなければならない。

  加藤容疑者の解雇への怒りは正当だ

 加藤容疑者が事件を「決意」したのは、派遣先の関東自動車から、まったく唐突に「契約途中解約」=解雇通告を受けたことを契機にしている。そこには単に就労の機会が奪われることへの不安だけではなく、その過程で人間としての誇りや尊厳を深く傷つけられたことへの怒りがあったに違いない。そしてこの怒りを秋葉原で暴発させたと推測できる。
 むろん一七人もの市民を殺傷するような怒りの爆発の仕方は許されない。しかし加藤容疑者の抱いた怒りそれ自身はまったく正当なものだったと擁護したい。この点をあいまいにすると日研総業の責任も関東自動車工業=トヨタの責任も見えてこない。
 日研総業と関東自動車の間には本年四月から来年三月まで一年間の「派遣契約」があった。それが「六月三〇日をもって契約を解除する」旨の一方的通告が日研総業をふくむ四つの派遣会社(約二〇〇名の労働者を派遣)になされたのが五月下旬。それは加藤容疑者にも告げられた。
 この「契約途中解約」は「派遣契約を途中解約する場合は派遣先企業が労働者に就業機会を確保すること」と定めた厚労省告示第四四九号「派遣先が講ずべき措置に関する指針」に違反していることは濃厚である。関東自動車は当然この件で説明責任がある。
 一方、加藤容疑者にとって、関東自動車からの「解雇」は特別のダメージがあったはずだ。昨年十一月に東富士工場に派遣されて塗装検査の仕事につくまで、加藤容疑者は非正規雇用の仕事を転々としていた。工事現場の誘導員、自動車工場、住宅建材工場、トラック運転手などなど。社会に出たのが就職氷河期のまっただ中だからだ。だからトヨタの子会社=関東自動車で働くことには「再出発」の夢が込められていた。正社員への登用という夢だ。その夢が「契約途中解除」で断たれた。加藤容疑者の落胆は相当なものだっただろう。
 しかしダメージはそれだけにとどまらない。いったん「解雇通告」された後に今度は「契約延長」を告げられる。一部の論者はこのことをもって「解雇通告」と事件とは無関係だと主張する。しかし、事実は逆だろう。何故なら「契約延長」の理由は、人員を削減しすぎて納期が間に合わなくなったことにあるからだ。一方的に婚約破棄された相手から「新しい結婚相手が見つからないから、結婚して欲しい」と言われたに等しい。これは人間の尊厳を深く傷つける。
 この関東自動車の理不尽さに加藤容疑者は怒りを募らせる。「お前らが首切っておいて、人が足りないから来いだと?おかしいだろう」と掲示版に書き込む。この怒りは正当だ。そして「ツナギ事件」が起こる。真相は定かではないが加藤容疑者は「辞めろってか、わかったよ」と一つのクギリを付ける。事件が起きたのはこの書き込みの三日後である。
 日研総業と関東自動車工業は事件後「お詫び」のコメントを公表した。しかし「契約中途解約」(解雇)には触れていない。関東自動車は日研総業に日研総業は派遣労働者に責任を丸投げしているだけだ。加藤容疑者が「契約途中解約」の通告さえ受けなければ事件は起きなかった、かも知れない。関東自動車は、なぜ唐突に「契約途中解約」を二〇〇名の労働者に対して行ったのか。その背後に親会社=トヨタの影響は無かったのか。

  非正規を使い捨てるトヨタの罪

 トヨタ自動車が売り上げ高、経常利益とも過去最高を記録したと発表したのは五月の決算報告会であった。販売総額二六兆円、営業利益二・七兆円、純利益一・七兆円という膨大な数字であった。こうした利益を支えてきたのは販売台数の延びもさることながら、トヨタによる子会社、さらにはその下に位置する元請け、孫請、三次下請け、四次下請けと続く下請け企業への支配の強化だった。さらに九〇年代後半からは期間工、請負、派遣、外国人研修生などの非正規労働者の活用があった。
 ところが同じ日、渡辺捷昭社長(六七)は、今後の方針として「徹底した節約」を指示した。「世界経済の潮目が変わった」からだ。円高による差益損、原資材の上昇、米国景気下落という「三重苦」により、今年の売上は四・九%、営業利益は二九・五%減も減少するとの予測が出ていた。
 渡辺は、かつて主要一七三部品の原価を平均三〇%節減させたほどの辣腕トヨタマンだ。「乾いた雑巾から水を搾り取る」トヨタ式下請けイジメで台頭してきた男だ。その当の人物がグループ全体で三〇〇〇億円のコスト削減を決定した。五月下旬のことである。
 この決定は即座に全子会社に具体的な削減目標と共に通告されたと推測される。当然、関東自動車本社と東富士工場にも通告されたに違いない。その具体的内容は知る由もないが、その後、東富士工場で何が起こったかを考えれば、容易に想像がつく。
 トヨタは今、一見、非正規雇用から正規雇用へと転化するかのような動きをみせている。だが行われていることは非正規雇用者の切り捨てだ。販売が拡大している時期には低コスト低リスクの非正規雇用者を活用してボロ儲けをし、「世界経済の潮目」が変わり始めたら、今度はボロ儲けを維持するために「三重苦」で生じる減収を非正規雇用者の切り捨てで穴埋めしようという算段だ。その最初の標的にされたのが、加藤容疑者を含む東富士工場の派遣社員だ。
 「負け組みの絶望感が社会を切り裂く」。こんな副タイトルを付けた本が注目されてから四年が過ぎた。警告は現実になった。時代を象徴する街=アキバの交差点を二トントラックが疾走し、降りてきた運転手は手にしたガダーナイフで人と街を切り裂いた。「誰でもよかった」。そう語ったとされる加藤容疑者だが、はたしてナイフの柄に添えられていたのは加藤容疑者の手だけだったのか。
 加藤容疑者の罪は重い。しかし、トヨタ、関東自動車、日研総業、そして労働の規制緩和を進めてきたすべての政治家、学者の罪もまた重いのだ。

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