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2011年04月18日
 ■ 戊辰戦争と脱原発

 集落をのみ込む大津波と噴煙をあげて爆発する福島第一原発をテレビで見ていて、思わず「また東北!」「また福島!」と唸ってしまった。「また」と言うのは明治と昭和の三陸沖地震のことを思ってのことではない。今回の震災の最大アクシデントの中心が福島県であり、さらに被災地域が東北地方全体に及んでいることに、会津藩を中心にして展開された戊辰戦争(東北戦争)が重なって見えたからである。
 戊辰戦争は、王政復古のクーデターで新政府を樹立した薩摩・長州藩連合が、幕府勢力を一掃するために仕掛けた戦争で、鳥羽・伏見の戦から始まり東北、函館戦争を最後に薩長連合の勝利に終わったものだ。その中でも、新政府側に「朝敵」の烙印をおされた会津藩の抵抗は苛烈で、白虎隊や会津若松城に籠城した婦女子の自刃などの悲話は、いまでも語り継がれている。
 また、昨今の研究では、新政府から命ぜられた会津藩への追討を拒否した仙台藩などが作った奥羽越列藩同盟(三十一藩が参加)は、天皇を独占して専制支配を強める薩長連合の国家構想に対する明確な批判意識を持っていたことが明らかになっている。
 東日本大震災と福島原発事故に戊辰戦争の悲話を重ねるのは私の勝手な感傷である。しかし、戊辰戦争と原発立地について次のような指摘を知ると、ことは単なる感傷ではすまなくなる。
 「戊辰戦争、西南戦争で負けたところが原発の立地に選ばれている」。(ブログ「ミサイルがウインナーだったら」)

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 なるほど、今回の震災で被災した地域では、原発と戊辰戦争に関係した地は不思議と重なっている。福島県の第一・第二原発と浪江・小高原発(計画中)は場所が少しずれるとは言え戊辰戦争の中心藩=会津藩の近くだ。宮城県の女川原発は奥羽越列藩同盟の「大国」である仙台藩。青森県下北半島の大間(建設中)、東通(東電、東北)、六ヶ所村再処理工場の近くには斗南藩が存在した。斗南藩は会津藩領の没収をうけた松平家が移封先として立てた藩。ここも福島県同様、原発施設が集中している。
 ついでながら今回の地震と連動して起きた長野県北部・新潟県中越ではどうか。柏崎刈羽原発のある柏崎市は、場所的には奥羽越列藩同盟に加盟した長岡藩に近く、さらに桑名藩の飛地でもあり、松平定敬(会津藩主・松平容保の弟)が本藩の帰順決定に抗して最後の抵抗をした場所である。
 東北・新潟以外の地ではどうか。日本で最初の商用原子炉を稼動させた茨城県の東海村は、徳川御三家の一つで最後の将軍・徳川慶喜を生んだ水戸藩。静岡県の浜岡原発は天領(旧幕府直轄地)。さらに先ブログの記述をたどると、石川県の志賀原発は大政奉還の時に徳川慶喜を支持した加賀藩、西の原発銀座である若狭湾がある福井県の敦賀藩は佐幕派(維新前年に新政府軍に恭順)、鹿児島県の川内原発は西南戦争で敗北した薩摩藩、と続く。
 例外的には愛媛県伊方原発(伊達宇和島藩)、計画中の山口県上関原発(長州藩)など新政府側の地もあるが、ほぼ、このブログが言うように「戊辰戦争、西南戦争で負けたところが原発の立地に選ばれている」と言ってよい状況だ。ただし、それはストレートな結び付きというより、原発立地の条件とされる「過疎地」が戊辰戦争に敗れた側の地に多い、という関係なのであろう。

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 原発立地の条件を「過疎地」とするというのは、一九六四年に原子力委員会がつくった「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて」という文書に由来する。そこでは立地のための三条件が示されている。(1)原子炉の周囲は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。(2)原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること。(3)原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること。
 要するに「過疎地」に作れ、ということだ。これは何も住民の安全・健康を考えてのことではない。事故が起こった時の損害賠償を最小限に押さえ込もうと狙いからだ。逆に言えば原発は、法的には「低人口」の犠牲は止むをえないものとして、事故を見越して立地許可されているということだ。
 戊辰戦争で「賊軍」となった会津藩・東北は、明治政府から差別的な待遇を受けてきた。「白河以北一山百文」。明治政府の東北地方を価値の無い「後進地」と表現した言葉だ。「後進地東北」においては、昭和初期には凶作により農村地帯から娘が売られ、若者は次々に軍隊に取られて多くが戦死した。戦後も集団就職によって人材を都会に奪われ農村・漁村は疲弊し過疎化が進んだ。その「過疎地」に対して、狙いすましたように原発が電源交付金付きで侵略し、大都会の電源植民地にしてしまった。
 「戊辰戦争、西南戦争で負けたところが原発の立地に選ばれている」ように見えたのは、原発をめぐるこの差別構造があったからである。だから新政府側であっても、この差別構造があるところに原発は立てられてきた。さらに、原発はウラン採掘現場と原子力施設の中で日々被ばくしながら働く労働者がいなければ動かない。まさに原発は差別と格差なしには成り立たないのだ。
 いま、盛んに叫ばれる「頑張ろう日本!」のフレーズは、今回の原発震災の背景にある東北に対する差別、あるいは東京と地方にある格差と差別の構造を覆い隠してしまう。東北地方の復興、そして脱原発社会の実現とは、戊辰戦争以来、この国がとってきた専制的で中央集権的な在り方を、「いくつもの日本」が対等・平等に共存するものへと作りかえる事業を含む。それは、奥羽越列藩同盟が描いた「諸藩連合政府」を一五〇年の時を経て、カタチを変えて実現することだ、と思う。

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