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2008年11月23日
 ■ 箕面の滝

 勤労感謝の日。思いたって箕面公園(明治の森・箕面国定公園)にもみじ狩りに行って来ました。関西に35年も住んでいますが、箕面公園に行くのは初めて。先週のNHKテレビで紹介されて初めて知りました。滝ともみじの名所だと。ついでに白状すると、箕面市への行き方も知りませんでした。阪急沿線にあることは知っていましたが十三から宝塚線に乗り、石橋駅で乗り換えて終点で降りるのでした。所用時間は自宅からなんと一時間弱。「な~んだこんなに近いのか」と思っちゃいました。
 電車は満員でした。箕面駅の改札を出ると観光協会の「もみじまつり」という垂れ幕がお出迎え。11月1日~30日がその期間。その垂れ幕をくぐって公園に通じる道路を入るのですが、別に考える必要はありません。今の時期は駅を降りた人はみな箕面公園に行くのです。ただただ前の人に付いていくだけ。足を踏まないように注意しながら。
 公園への道路の取り付け口付近にはお土産物屋さんがずらり。どの店でも「もみじ天ぷら」を売っていました。これも超有名な箕面の名産品だそうで。もみじはどこにもあるのに「もみじ天ぷら」は箕面にしかない、という不思議さ。このあたりの説明は省きます。帰りに買って食べてみましたがおいしい。ただしもみじの味がどんな味なのかはわかりませんでした。
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 駅から3kmほど歩くと箕面滝。さすが30メートルの滝は見応えがあります。ゆったり、かつ、静寂の中で鑑賞できればいいのですが、それは今の時期は無理。大勢の人たちと雄大さを共有することになります。それもまた楽しからずや。
 ところで紅葉の度合いですが、部分的には十分紅葉していますが、山全体が色づいているとまでは言い難い。来週、あるいは12月に入ってからが見頃かも知れません。箕面山の気品のある紅葉ぶりは十分楽しめました。

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2008年11月20日
 ■ 社会保障国民会議の「最終報告」批判/「消費税」「年金論争」のワナを解く

  反転の方向示せず、迷走する麻生政権

 麻生政権が発足して2ヵヶ月が過ぎた。目を被うばかりの迷走が続いている。中山前文部大臣が「失言」で更迭されたかと思えば、航空自衛隊のトップの田母神前空幕長が「日本が侵略国家だったというのは濡れ衣」という「トンデモ論文」で更迭された。中でも「生活支援定額給付金」をめぐる迷走ぶりが際立っている。「全所帯」に支給するのか「所得制限」をするのかでさんざんブレた挙げ句、その判断は、結局、実務を担当する区市町村に丸投げされた。しかも、いつ支給されるのか、本当に支給されるのか、いまだ幻のままだ。
 「定額給付金」を目玉とする「新総合経済対策」(生活対策)は、新自由主義の破綻による世界大の金融危機・同時不況への対策のはずである。しかしその破綻を踏まえて、日本社会をこれからどこに導こうというのか、肝心のその点がまったく不明だ。一方に「介護報酬月2万円のアップ」や「年間3.6万円の子育て応援特別手当」、あるいは「非正規労働者の雇用安定対策の強化」など「生活者の暮らしの安心」のための項目がある。これ自身は真っ当な政策である。しかし他方に、現行の「金融証券税制(証券優遇税制)」を三年間延長して「個人投資家が投資しやすい環境整備」を押し進める、などとしている。そこには金融自由化のアメリカをモデルとして、それに追随してきた構造改革路線への反省は見られない。
 「新総合経済対策」は、新自由主義・構造改革路線の破綻の現実に直面しながらも、そこからの反転の方向を見いだせず、ただただ政権維持を優先して、各官庁の既成の方針をパッチワークしただけのものに過ぎない。

  作為的な「社会保障国民会議」の最終報告

 場当たり的な「新総合経済対策」(生活対策)の中で、ただ一つ明確に方向性を示した項目があった。「持続可能な社会保障制度」と「社会保障の機能強化」のために「消費税を含む税制抜本改革」を「2010年代半ばまでに段階的に実行する」という方向性がそれだ。麻生は記者会見で「消費税率を3年後に引き上げる」と言明した。これに歩調を合わせるかのように「社会保障国民会議」(座長・吉川洋東大教授)が「社会保障充実のために消費税最大18%」という内容の最終報告を発表した。
 「公的な社会保障の強化」はいまや人々の最大のニーズである。医療保険、年金、公的介護制度など、人々に安心を与えるべき社会保障制度が、逆に、人々の最大の不安の対象になってしまっている現状。これを打破して社会保障の「機能を強化」することに反対する人はいない。だが「社会保障国民会議」の最終報告は「公的な社会保障の強化」を望む人々を、誤った方向に誘導しようという意図に貫かれている。
 最終報告は年金・少子化・医療・介護のそれぞれの「機能強化」の課題(メニュー)と財源を消費税に換算して提示して見せた。団塊の世代が75歳以上となる2025年に必要な追加税負担額は、(1)基礎年金を現行の保険方式で賄った場合、消費税率=11%(2015年は8.3%~8.5%)、(2)全額税方式に転換した場合、消費税率=18%(2015年は11%~16%)と試算した。基礎年金部分を全額税方式にすると必要な消費税は二倍近くに跳ね上がる、というわけだ。
 ここには見過ごすことの出来ない二つの作為がある。一つは財源を消費税換算で示すことで人々をして「増加する社会保障の財源は消費税アップ以外に無い」という誤った判断に誘導すること。もう一つは人々の中にある消費税率アップに対する反発を利用して基礎年金財源の「全額税方式」を葬りさること。
 このトラップを見抜き、冷静な立場から社会保障をめぐる議論を発展させて行かなければならない。

  「増税=消費税率アップ」のマヤカシ

 社会保障の「機能強化」のために増税が必要だと言う「国民会議」の立場に異論はない。日本は社会保障にお金を掛けない「低福祉」の「小さな政府」であり続けてきた。こうした社会を変革するためには「社会保障」にお金が必要だ。そのために「軍事費を削って福祉にまわす」「ムダな支出を削減する」ことは大切だ。しかしそれでも足りない場合はどうするか。やっぱり「増税」すべきだろう。増税して社会保障や福祉にまわす。社会保障をめぐる議論ではこの「増税」というオプションをタブー視してはならない。この点で「国民会議」の立場に賛成する。
 だがしかし、「増税分はすべて消費税率アップで賄う」と言う「国民会議」の考えには賛成できない。これはマヤカシの議論だ。なぜなら、増税可能な租税は消費税以外にもあるからだ。所得税や法人税がそれだ。それを語らずに消費税の他に社会保障の財源がないかのように言うのは、マヤカシなのだ。
 最近は消費税を指して「広く公平な負担を求めるもの」などと賛美する意見が多い(例えば「朝日新聞」)。だから消費税が社会保障の財源に相応しい、と言うわけだ。そうではない。消費税は高所得者より低所得者により重い負担を強いる逆進性の強いものだ。だから、人々の「生活保保障」の要であるべき社会保障の財源にはまったく相応しくないものだ。この消費税の逆進性という「欠陥」から目をそらして「希望社会」(朝日)は実現できないだろう。
 社会保障のための増税は所得税を中心にして行うべきだ。累進制を強化し負担能力に応じて負担する(いままで負担していなかった人も可能な限り払う)。社会保障の役割の一つは所得の再分配であるから、累進性を強化した所得税を財源にするのは理にかなっている。さらに企業増税も不可欠だ。企業優措置を廃止し、法人税を引き上げなければならない。

  連帯型社会に相応しい「保険方式」

 基礎年金部分の財源を「保険料」で賄うのか「税」で賄うのかをめぐる四大紙も関わった「年金論争」は、「最終報告」では両論併記という形をとったが、事実上「全額税方式」を排し「現行方式(税と保険料の混在)」を継続するという内容になった。
 基礎年金部分を「全額税方式」にするメリットは、国民年金の未納問題がなくなり、無年金者・低年金者に基礎的年金が保障されることである。これは、憲法25条の「生活権」を具体化する制度である。
 反面、税方式の場合、税負担が保険料方式とくらべ大幅に増えるという批判がある。これは大事な批判であるが本質的な問題ではない。もっとも鋭い批判は、自分の蓄えで暮らしていける富裕層にも給付するのは大事な税金のバラマキだ(駒野康平)というものだ。これは「負担と給付の公平性が損なわれる」という従来から行われてきた批判の現代版かもしれない。しかしこの「負担と給付の公平」という年金、あるいは社会保険全般に対する考え方こそ、今、最も真剣に検討すべきテーマではないか。
 現行の保険料方式は「自らが払った保険料に応じて年金を受け取り、老後の糧とする」というもので、その根底にあるのは「自助の精神」だ。社会保険は「社会連帯」の原理に基づくものと言われているが、給付や医療のサービスを本当に必要としている人であっても、保険料を支払っていない人(自助の精神が欠落した人!)にはそのサービスは与えられない。健康保険の無い3万人の子どもがその被害者だ。「社会連帯」原理は容易に「排除」原理へと反転するのだ。誰をも「排除」しない普遍的な社会保障・福祉のためには「税方式」こそ相応しい。
 基礎年金財源の「全額税方式」を提言している勢力の思惑はそれぞれ違う。日本経団連や「日経」は企業の保険料負担免れと報酬比例部分の「民間保険」化が狙いだろう。麻生や自民党の「年金制度を抜本的に考える会」の立場も同様だろう。こうした勢力の存在を前提としつつ、真の連帯型社会をめざす立場からの「全額税法式」を含む新しい社会保障ビジョン・福祉ガバナンスを描き出さなければならない。

  市場の失敗教訓に、北欧型社会めざせ

 麻生は就任早々の国会で「日本にふさわしい福祉の姿」を問われ「中福祉・中負担」と答えた。その中身は定かではないが「高福祉・高負担」の北欧型社会を意識しての答えであろう。麻生にとっての「中福祉・中負担」とは一義的には「北欧型社会とは違う社会」という内容だ。
 このスタンスは、日本の社会、民衆の意識とかなりズレている。格差社会、貧困問題が大きくなるにしたがって、日本の民衆・マスコミの目が北欧社会にむき始めているからだ。世界大の金融危機と同時不況はその傾向をいっそう促進させるであろう。しかし北欧型社会に近づくと言うことは、これまでのような雇用と社会保障のあり方をそのままにして、負担の水準だけ高めるということではないはずだ。
 日本の社会では、なによりも雇用=市場の中での自助努力が奨励されてきた。社会保障や福祉の役割は、市場の中で自立的に生きることができない者(子ども、障害者、患者、高齢者など)を例外的、事後的にフォローするという位置にあった。高度な福祉社会とは、給付の水準が高いということではなく、この労働と社会保障がフラットな関係にある社会のことだ。それは制度であるとともに空気の問題だろう。市場の失敗による世界金融危機、同時不況の中で、われわれが踏み出すべき一歩はそこにあると思う。
 

 『グローカル』2008/12/01号 掲載予定原稿

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