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2月14日、大阪の寝屋川市立中央小学校で、17歳の卒業生が教職員3名を殺傷するという痛ましい事件が起こりました。中央小学校は、私の知り合いで「無所属/市民派」の市会議員をしておられるYさんの事務所のすぐ近くです。さぞ大変だろうと思い、2月15日に次ぎのようエールを送らせて頂いた。
Yさん
思わぬ大事件が勃発してしまいましたね。寝屋川市立中央小学校は、Yさんの事務所のすぐ近くで、市役所からも、ほんの200メートルほどのところではないでしょうか。
こんどの事件で、お亡くなりになった鴨崎満明さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
私は、こういう事件の度に、殺人などの「犯罪」は、決して一人でなせるものではない、と考えてしまいます。すでに容疑者とされる「少年」は、小学校時代の「いじめ」で担任に恨みをいだいていた、という報道がなされています(警察は供述を否定)。
少年を「殺人」にまで駆り立てるものとは何なんでしょう。そこを凝視し、そのベクトルを解明し溶解させることが、こうした痛ましい事件をくり返さないための本質的な問題だと思うのです。
ところが、いま、日本のあちこちで、そして、夕方のニースでは寝屋川市でも、「不審者」から「子供」を「守る」と称する「パトロール」運動が始まっているようです。昨年の奈良でもそうでした。
「不審者」vs「子供」、「不審者」vs「健全者」という単純な二分法が、社会や学校をどれほど息苦しくさせ、それらへの恨みを増幅させていることか。私たちは、少し立ち止まって考えてみる必要があると思います。
事件の起きた地域では、ショッキングな事件であるがゆえに、異質な者から社会を防衛したいという意識が高まるのは致し方ないことだと思いますが、「不審者」や「病者」を排除していく方向が、決してと住民にとって「安全」で「安心」な社会ではないという点を、ぜひ、当該市の議員として、訴えていってほしいと思っています。
二年前の宇治小学校事件の時は、学校と保護者の懇談会の席で、精神病者の行動を事前に把握しておくべきだ、などという意見が噴出しました。同席していた市会議員も、その意見に追従しています。
私は、自分の学校体験から、どうしても、少年が抱いていたであろう底なしの「絶望感」について思ってしまいます。そして、たった一人でもいいから、少年とこの「絶望感」を共有してくれる人がいたのなら、少年は「凶行」に走らなくてすんだのに、と無念でなりません。
その意味で、この事件の全責任は、我々大人にあります。
市民や子供の安全を「守る」立場にある市会議員としては、私のように単純に考え、振る舞うことは難しいとは思いますが、この不幸な事件を契機にして「安全」についての考えが、当該の地域で深まっていくことを、それをYさんがリードして下さることを、切に願っております。
Yさんのホームページ(イニシアルで表記する意味がないネ)
「日記」に事件のことがコメントされています。
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「アジア太平洋みどりの京都会議2005」へのご支援・ご協力ありがとうございました
2005年2月15日
アジア太平洋みどりの京都会議2005
実行委員長 渡辺 さと子
松谷 清
〒700-0971
岡山市野田5丁目8-11
かつらぎ野田ビル2F
Tel:086-242-5244 Fax:086-244-7724
2月11日に開幕いたしました「アジア太平洋みどりの京都会議2005」は、13日、無事にその3日間の日程を終えることができました。アジア太平洋地域23カ国およびオブザーバーとしてそれ以外の地域の4カ国から、計100名の海外参加者を迎え、国内からは約300名の参加を得ました。
若い人たちのトークセッションやライブ・コンサートなどのプレ・イベントで幕を開けたこの会議は、まず、1日目の連携シンポジウム「自然エネルギー2005:ボンから京都、そして中国へ」に約300人が参加。昨年、ボンで開催された自然エネルギーシンポジウムのフォローアップ会議として、中味の濃い議論が繰り広げられました。
2日目には、3つのメインのセッションのほか、たくさんのワークショップが開催され、予想を超える参加者でどの会場も大盛況でした。セッションのあとは、イングランド・ウェールズ緑の党の呼びかけに応えての世界同日アクション、「京都議定書発効アピールウォーク」にも多くの人たちが参加し、カラフルなアピールを繰り広げました。
さらに、最終日の総会では、規約等を議決し、23カ国から27のグループが参加を表明してアジア太平洋グリーンズ・ネットワークが正式に発足しました。同時に、2日目の議論を踏まえ、地球温暖化や平和・安全保障、マイノリティの人権問題などに関する9つの決議を採択し、今後、この地域で連携しながら共通の課題に取り組んでいくことを確認しました。
国際会議開催の経験など全くない私たちが右往左往しながらも、何とか手づくりでこの会議を開催することができましたのも、皆さまのあたたかいご支援とご協力をいただいたおかげと心から感謝しております。
たくさんの若いボランティアの協力を得て、取り組むことができたことも私たちの大きな誇りです。皆さま、本当にありがとうございました。
今回の会議でのたくさんの出会いに勇気を得て、これからも、「持続可能な社会、非暴力、社会的公正さ、草の根の民主主義」・・・という理念を共有するアジア太平洋地域の仲間たちとつながりあいながら、もう一つの未来をつくる「みどりの政治」をつくり上げていきたいと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
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■「経済制裁論」と「ヨン様ブーム」に対する井筒監督のパッチギ(頭突き)!
□監督 井筒和幸
□キャスト 塩屋瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ、楊原京子、オダギリジョー、光石研、笹野高史、余貴美子、前田吟ほか
映画が終わりに近づきスクリーンにその気配が漂いはじめた時、私は、思わず「えっ、もう終わり!」と叫んでしまった(もちろん心の中だが)。
1968年という時代。そこに流れる二つの川。
日本人が暮らす場所と在日朝鮮人の居住区を隔てる京都の鴨川。そして、朝鮮半島を南北に分断するように流れるイムジン河。その二つの川を、日本人の男子高校生と朝鮮高校(中高級学校)の女生徒がふとした出会いから共に渡りはじめる物語である。
両校の番長グループが繰り広げる半端じゃないケンカ。過剰なほどの青春の噴出。そして純粋であるがゆえの挫折。映画のクライマックスで、その挫折の悲しみを抱きしめるように、主人公の「コウスケ」が切々と歌う「イムジン河」が心に浸みた。
難しい問題を、愛あり、涙あり、笑いありの娯楽映画に仕上げているのは、さすがである。しかしそこには、今の時代風潮に対する異議申し立てがあるように思う。
一つは、この映画に出てくる「朝鮮」が「韓国」ではなく「朝鮮民主主義人民共和国」だということ。映画にはキム・イルソンの肖像画も描かれる。それが掲げられた教室で学ぶ女子高生にコウスケが恋いをするわけである。また、「一人は万人のために、万人は一人のために」というスローガンもスクリーンに大きく登場する。
拉致事件いらい、北朝鮮への異様なバッシングが続いており、昨今は「経済制裁論」も喧伝されている。そんな中で、娯楽映画とは言え、キム・イルソンの肖像画を登場させるのは勇気のいることではなかったか。(安倍晋三からの「圧力」はなかったのか?)。井筒監督らしい「反骨さ」である。
もう一つは葬式の場面での言葉。日本の「チンピラ」とのケンカで生命を落とした朝鮮高校生の葬儀に出席したコウスケに、老いた在日一世が浴びせせる。
「生駒トンネルは誰が掘ったか知ってるか!」「国会議事堂の大理石は誰が積んだか知ってるか!」。
井筒監督が得意とする「説教」だ。これを余計な演出と思う人は、監督の次ぎの言葉を聞いて欲しい。
「昨日まで朝鮮人を差別していた人たちが、今日はヨン様に夢中になっている。そんなのどう考えたっておかしいですよ。人間というのは学んで、自分の頭で考えて、前進してなんぼのもんでしょう?だからとりあえずソナチアンも、歴史も何にも知らん若い子らも、とりあえず『パッチギ!』を観てよと。そこで考えたり学んだりしてもらえるということに映画を作る意味があると僕は思っていますからね。」
http://movies.yahoo.co.jp/interview/200501/interview_20050121001.htmlより
「ヨン様ブーム(韓流ブーム)」によって、朝鮮と日本のあるべき姿は、かえって見えずらくなったかも知れない。それを、きちっとした歴史を踏まえた上で、人に対する人の関わりの問題として、当たり前に描き切ったところに「パッチギ!」の意義がある。日本の若い役者さんたちに拍手!
投稿時間 : 00:08 個別ページ表示 | トラックバック (1)
●名前:五十嵐 守(いがらし まもる)
●出身校:新潟県立松代高等学校 1973年卒
●住んでいる所:京都市伏見区
●職業:スーパー従業員(倉庫管理、荷受け、品出、フォークリフト操作 等々)
●政治傾向:Green Left
投稿時間 : 22:33 個別ページ表示 | トラックバック (0)
通常国会がはじまりました。小泉の相変わらずの「居直り」答弁だけが目立っています。ところで、自民党は今通常国会に、憲法改正のための「国民投票法案」と「国会法一部改正案」を提出することを明らかにしています。4月中に「国会法一部改正案」を上げて、5月の連休明けから「国民投票法案」の成立にむけ全力をつくす、のだそうです。今年の憲法記念日は、「国民投票法案」という超重要法案とともに迎えることになります。
ところが、この「国民投票法案」への護憲派、憲法改悪阻止派の対応は、私からみると、まったくいただけません。
例えば日本共産党。天皇制や自衛隊活用には過剰なほど「柔軟」な対応をしている共産党ですが、こと「国民投票法案」には頑なに反対する態度を崩していません。いや、反対でもいいのです。ちゃんと理由を論理的に説明できるのなら。しかし、それが出来ているようには思えないのです。
志位委員長は、1月19日に、この件で記者会見をしました。そこで語った反対の理由は、なんと「動機が容認できない」というものです。(資料-1)まったく内向き、仲間内の論理になっています。
共産党ばかりではありません。市民運動の側もその傾向ありです。例えば「許すな!憲法改悪・市民連絡会」で献身的に活動しておられる高田健さん。最近著した『護憲は改憲に勝つ』の中で、「よりよい国民投票法案を積極的に提起すべきだ」とする今井一さんを批判しているそうです。「そうです」と書くの、実は私はこの本をまだ読んでいなくて、第四インターの機関紙「かけはし」に国富健治さんが書いた「本の紹介」(資料-2)で内容を知っただけだからです。
国富さんは高田さんが「よりよい国民投票法案」論への「的確な反論」をしていると書いています。しかし、私には、国富さんの「本の紹介」のどこを読んでも、高田さんが、よりよい国民投票法案を対置する運動を「的確に反論」しているようには、読めませんでした。高田さんの意見を孫引きで紹介します。
「私たちは『試合(国民投票)をしない』というのではない。自民党など改憲派が決めようとしている『試合』のルールがでたらめだ、自らを有利にするために恣意的に作られたルールであり、このもとでの『試合』は力関係を正当に反映できないと言っているのだ」
「ルールがでたらめ」ならば、これに反対して「真っ当なルール」を要求するのが筋ではないでしょうか。ところが、高田さんや、国富さんは「ルールがでたらめだ」と叫けぶだけの運動が「正しい」というのです。
今年から来年、再来年にかけて「憲法問題」は、否応なく、政治の一級の課題に押し上げられていくでしょう。早ければ、07年夏の参議院選か、秋の衆院選とセットで、歴史上初の「憲法改正のための国民投票」が実施される可能性があります。その時、国民投票をどんなルールで行うのか、そのルールをめぐる攻防こそが「憲法決戦」の第一ステージではないでしょうか。
自民党がどんなルールを出してくるか、わかりません。仮に01年の「改憲議連」案をちょこっと手直ししただけのものだとすると、ルールをめぐる攻防は、こちら側が「真っ当なルール」さえ出せば、大衆の注目の中で、相手を圧倒できる可能性が充分あると思います。こんなチャンスはめったにあるものではありません。
昨年から「真っ当な国民投票ルール・市民案」を練ってきた人達が、それをもって国会(議員)への「要望行動」を開始します(資料-3)。この運動体自身、まだ小さな動きしかできていないようですが、「政治の環」をつかんでいると思います。注目して行きたいと思います。
(資料-1)
<2005年1月20日(木)「しんぶん赤旗」>
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-01-20/01_02.html より
(資料-2)
かけはし2005.1.24号
http://www.jrcl.net/web/frame05.0124e.html より
(資料-3)
真っ当な国民投票のルールをつくる会
http://www.geocities.jp/kokumintohyo/ より
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