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2005年02月18日

 ■ 寝屋川・教師殺傷事件に思う

 2月14日、大阪の寝屋川市立中央小学校で、17歳の卒業生が教職員3名を殺傷するという痛ましい事件が起こりました。中央小学校は、私の知り合いで「無所属/市民派」の市会議員をしておられるYさんの事務所のすぐ近くです。さぞ大変だろうと思い、2月15日に次ぎのようエールを送らせて頂いた。


Yさん
 思わぬ大事件が勃発してしまいましたね。寝屋川市立中央小学校は、Yさんの事務所のすぐ近くで、市役所からも、ほんの200メートルほどのところではないでしょうか。

 こんどの事件で、お亡くなりになった鴨崎満明さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 私は、こういう事件の度に、殺人などの「犯罪」は、決して一人でなせるものではない、と考えてしまいます。すでに容疑者とされる「少年」は、小学校時代の「いじめ」で担任に恨みをいだいていた、という報道がなされています(警察は供述を否定)。

 少年を「殺人」にまで駆り立てるものとは何なんでしょう。そこを凝視し、そのベクトルを解明し溶解させることが、こうした痛ましい事件をくり返さないための本質的な問題だと思うのです。

 ところが、いま、日本のあちこちで、そして、夕方のニースでは寝屋川市でも、「不審者」から「子供」を「守る」と称する「パトロール」運動が始まっているようです。昨年の奈良でもそうでした。

 「不審者」vs「子供」、「不審者」vs「健全者」という単純な二分法が、社会や学校をどれほど息苦しくさせ、それらへの恨みを増幅させていることか。私たちは、少し立ち止まって考えてみる必要があると思います。

 事件の起きた地域では、ショッキングな事件であるがゆえに、異質な者から社会を防衛したいという意識が高まるのは致し方ないことだと思いますが、「不審者」や「病者」を排除していく方向が、決してと住民にとって「安全」で「安心」な社会ではないという点を、ぜひ、当該市の議員として、訴えていってほしいと思っています。

 二年前の宇治小学校事件の時は、学校と保護者の懇談会の席で、精神病者の行動を事前に把握しておくべきだ、などという意見が噴出しました。同席していた市会議員も、その意見に追従しています。

 私は、自分の学校体験から、どうしても、少年が抱いていたであろう底なしの「絶望感」について思ってしまいます。そして、たった一人でもいいから、少年とこの「絶望感」を共有してくれる人がいたのなら、少年は「凶行」に走らなくてすんだのに、と無念でなりません。

 その意味で、この事件の全責任は、我々大人にあります。

 市民や子供の安全を「守る」立場にある市会議員としては、私のように単純に考え、振る舞うことは難しいとは思いますが、この不幸な事件を契機にして「安全」についての考えが、当該の地域で深まっていくことを、それをYさんがリードして下さることを、切に願っております。



Yさんのホームページ(イニシアルで表記する意味がないネ)
「日記」に事件のことがコメントされています。

投稿者 mamoru : 2005年02月18日 22:09

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