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2012年11月15日

 ■ 野田首相の「大政奉還」

 色々ありましたがどうやら16日に「解散」らしいですね。それにしても野田首相の見事な「反転攻勢」でした。敵の要求(解散)を「受け入れ」、返す刀で敵の「弱点」(定数削減における内容不一致)を突き、解散のイニシアチブを握る。

 小生は、徳川慶喜の「大政奉還」を思い出しました。第二次長州征伐で事実上「敗北」し、さらに薩・長、岩倉連合が工作した「倒幕の密勅」の発給で幕府の継続ができなくなった慶喜が打ったバクチが「大政奉還」。これで政局は一気にポスト幕府の「新政府」のリーダーをめぐる争いに移り、慶喜はその一番手に立つことに成功します。

 野田首相の思惑もおそらく徳川慶喜のそれと違わないでしょう。来る総選挙で、民主党が過半数を取れないこと、政権から一旦は離れなければならないことは分かっている。しかし、負けを最小限に押さえ、自民党も、さらに、どの党も過半数を取れない「多党乱立」というの新しい時代の到来を見越した中で、元政権党、相対的多数党としてのイニシアチブを発揮して政権に舞い戻る。

 野田首相の思惑通りにことが運ぶかどうか分かりませんが、総選挙の後、大連立かそれに準じる形の政権が生まれてくる可能性は大きいと思います。別の見方をすれば「決める政治」をどの党も叫び、その結果「決められない政治」が更に続くというアイロニーです。

 因みに慶喜が「大政奉還」を上奏した日は、1867年の11月14日。奇しくも野田首相が党首討論で解散を宣言した同じ日です。

 慶喜の「大政奉還」戦略は、一旦成功するかに見えましたが、この後、薩長による「王政復古」の大号令というクーデター(12月9日)にしてやられます。小生は、この日が日本が誤った明治強権国家(領土拡張国家)に踏みだした第一日目だと思っています。

 さて12月16日の総選挙。大連立か、王政復古(第三極・維新派)か、それとも脱原発(よりまし)政権か。日本の行く末を(新しい首都の顔と共)に民衆の行動で決定していきましょう。

投稿者 mamoru : 2012年11月15日 01:10

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