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2013年11月27日

 ■ 「赤ちゃん取り違い裁判、判決」への違和感

 今朝、このニュースを知ってから、ずっとひっかかっていました。この裁判の判決内容とこれをめぐる報道に、どうしても違和感があります。

 NHKのニュースでの判決文の紹介は次ぎの通り。

 「本来、経済的に恵まれた環境で育てられるはずだったのに、取り違えで電化製品もない貧しい家庭に育ち、働きながら定時制高校を卒業するなど苦労を重ねた」。

 別のメデアでの判決文の引用は「取り違えによって被った不利益は明か」ともあります。

 「本当の両親との交流を永遠に絶たれてしまった男性の無念の思いは大きい」…これには同情します。でも、貧しい家庭に産まれたりそこで育つことを「本来」あってはならぬことのように扱う裁判所の見解や報道には、強烈な違和感をもちます。

 損害賠償の裁判ですから、本来得られた利得が人間(機関)の過失によって得られなかった、そのことの当否を判断するのは当然なのですが、「恵まれた環境」と「電化製品もない貧し家庭」の社会的な分岐を当然のこととして是認した上で、どちらに産まれ育つのが得か、という立て方自身に、寒々とした気持になります。

 「本来」という言葉をあえて使えば、本来、どの家庭に産まれようが、例え、乳児の時に取り替えられようが、人間として生まれてきた限り、等しく、「健康で文化的な生活」ができるのが「憲法25条の世界」です。

 日本人に生まれようが、朝鮮人に生まれようが、男に生まれようが、女に生まれようが、障害者に生まれようが、親の無い子に生まれようが、被差別部落に生まれようが、皇族に生まれようが、貧困な家庭に生まれようが…人間として生まれた限り、そのような属性に規定されず、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有」するのです。そうしたことを可能にするために「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」のです。

 この赤ちゃん取り違え事件で賠償を求められているのは、直接に赤ちゃんを取り違えた賛育会病院ですが、憲法25条の観点から言えば、取り違えられた男性が「健康で文化的な」生活を営むことを保障してこなかった国こそ「賠償」の義務があるのではないでしょうか。これが理想論と分かっています。でも、この理想を実現するために、人類は時を重ねてきたのではないでしょうか。


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赤ちゃん取り違えで病院側に賠償命じる

2013年11月26日 17時56分 NHK
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60年前に生まれた東京の男性について、東京地方裁判所はDNA鑑定の結果から病院で別の赤ちゃんと取り違えられたと認めたうえで、「経済的に恵まれたはずだったのに貧しい家庭で苦労を重ねた」として病院側に3800万円の支払いを命じる判決を言い渡しました。

この裁判は、東京・江戸川区の60歳の男性と実の兄弟らが起こしたもので60年前の昭和28年に生まれた病院で取り違えられ、別の人生を余儀なくされたとして病院を開設した東京・墨田区の社会福祉法人「賛育会」に賠償を求めていました。
判決で東京地方裁判所の宮坂昌利裁判長は、DNA鑑定の結果から男性が赤ちゃんだったときに別の赤ちゃんと取り違えられたと認めました。
そのうえで、「出生とほぼ同時に生き別れた両親はすでに死亡していて、本当の両親との交流を永遠に絶たれてしまった男性の無念の思いは大きい。本来、経済的に恵まれた環境で育てられるはずだったのに、取り違えで電化製品もない貧しい家庭に育ち、働きながら定時制高校を卒業するなど苦労を重ねた」と指摘し、病院を開設した社会福祉法人に合わせて3800万円を支払うよう命じました。
判決によりますと、男性は同じ病院で自分の13分後に出生した別の赤ちゃんと何らかの理由で取り違えられたということです。
去年、実の兄弟が病院に残されていた記録を元に男性の所在を確認し、DNA鑑定を行った結果、事実関係が明らかになったということです。

投稿者 mamoru : 2013年11月27日 23:19

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