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2014年01月02日

 ■ 映画『永遠のゼロ』から受け取ったメッセージは、 『反報国』 『反特攻』 『反靖国』

 昨年末、ある忘年会で映画「永遠の0」のことが話題になりました。
商店街のチラシ持参で1000円で観てきたという女性が「もう号泣した」というのです。

「岡田准一君が特攻するシーンで顔がアップになって、その瞬間映画が終わる。終わったあと涙が出て、顔がクシャクシャなってしもた」

「安倍なんかに見せてやりたい!」

 私は、映画「永遠の0」が自衛隊内で上映されている、との記事を朝雲新聞のWebで見ていたので、批判のために一度見ておく必要があり、とは思っていましたが、それ以上の知識は、まったくありませんでした。

 でも、最近、何事にも感動しなくなっているので、この映画を観て、ぜひ、感動してみたい、と思いました。

 そこで、翌日、カミさんをその映画に誘ったところ、大目玉を食ってしまいました。

 カミさんが言うには、原作者の百田尚樹氏は、安倍ちゃんの「家来」で靖国参拝を進言したり擁護したり、中国・韓国からの批判を「内政干渉」と反論したり、そのおかげでNHKの運営委員の候補にもなっている、とのことでした。年末には対談集も出しているのだとか。

 カミさんは、そのことを靖国参拝当日の「朝日」の夕刊で知り、原作に感動し、百田氏が手がけた「探偵ナイトスクープ」のファンということもあり、「裏切られた!」とカンカンでした。私は仕事が繁忙期で新聞もろくに読んでいなかったので、急いでページをめくり、百田氏の「右翼的」な言動を確認した次第です。

 では、映画「永遠の0」も右翼的で靖国的な映画なのか。

 観たあと涙で顔をクシャクシャにしたという女性。一方、安倍の家来の映画なんかどんな内容であれ見たくない、というカミさん。ウーン、ここは自分の目と感性で評価するしかありません。

 ということで、元旦の早朝から「一人」で映画館に行ってきました。

 結論的に言うと、原作者の百田氏や映画制作者の意図はどうであれ、この映画は安倍ちゃん流の「愛国心」称揚、「靖国」賛美のイデオロギーとは一線を画する内容だ、と感じました。

・「国」への愛よりも「妻子」への愛
・「死」の賛美よりも「生」の賛美
・「精神論」より「実理論」
・「特攻=散華」ではなく「特攻=無駄死」
・「死んだら靖国で会おう」ではなく「死んでも妻子のもとに帰る」

 私は、途中から、特攻を拒否する「天才」戦闘機乗りの主人公・宮部久蔵(岡田准一)と、元読売巨人軍のエース桑田真澄氏(最近は体罰批判論者とし有名)が重なりました。

 技量は一流、しかし根性論に与せず、時流に流されず、安易に仲間と群れない。そして、一流であるために日々鍛錬を怠らない。

 それでも最後の最後に主人公は、特攻を志(死)願します。しかしそれは決して「国」のためではありません。では誰のためか?

  (これを書くとネタバレなので書きません)

 この最後のところが安倍ちゃんが気に入ったところなんでしょう。つまり他人を「助ける」ために「身代わり」となって「死」を引き受ける。

  (あっ、半分以上ネタバレ)

 昨夏、横浜の緑区で他人を助けようとして踏切で亡くなった村田奈津恵さんを、安倍ちゃんが「勇気をたたえる」として書状を贈りましたが、あのロジックです。

 しかし、安倍ちゃんが自分のオデオロギーに忠実であろうとするなら、この作品で利用できるのはこの点だけのはず。それ以外はすべて反報国、反特攻、反靖国の内容だと、私は見ました。

 もっとも、映画は一つの作品ですから、観る側が自由に解釈できる余地はあります。だから、これを特攻賛美の映画と評価する人があっても、それはそれで結構だと思います。ただし、そう思う人は、その根拠をこの映画の中に示さなければなりません。

 それにしても「永遠の0」が発するメッセージと、百田氏の最近の言動が大きく食い違うのは何故でしょう。

 戦争批判者が作家として名声を博して「転向」したのか。それとも「永遠の0」は戦争反対勢力をガバっと靖国の側に引き連れていくための「罠」(カミさんの評価)なのか。

ウーン、わからん!

投稿者 mamoru : 2014年01月02日 14:57

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