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2005年02月04日

 ■ 護憲派・改憲阻止派と「国民投票法案」

 通常国会がはじまりました。小泉の相変わらずの「居直り」答弁だけが目立っています。ところで、自民党は今通常国会に、憲法改正のための「国民投票法案」と「国会法一部改正案」を提出することを明らかにしています。4月中に「国会法一部改正案」を上げて、5月の連休明けから「国民投票法案」の成立にむけ全力をつくす、のだそうです。今年の憲法記念日は、「国民投票法案」という超重要法案とともに迎えることになります。

 ところが、この「国民投票法案」への護憲派、憲法改悪阻止派の対応は、私からみると、まったくいただけません。

 例えば日本共産党。天皇制や自衛隊活用には過剰なほど「柔軟」な対応をしている共産党ですが、こと「国民投票法案」には頑なに反対する態度を崩していません。いや、反対でもいいのです。ちゃんと理由を論理的に説明できるのなら。しかし、それが出来ているようには思えないのです。

 志位委員長は、1月19日に、この件で記者会見をしました。そこで語った反対の理由は、なんと「動機が容認できない」というものです。(資料-1)まったく内向き、仲間内の論理になっています。

 共産党ばかりではありません。市民運動の側もその傾向ありです。例えば「許すな!憲法改悪・市民連絡会」で献身的に活動しておられる高田健さん。最近著した『護憲は改憲に勝つ』の中で、「よりよい国民投票法案を積極的に提起すべきだ」とする今井一さんを批判しているそうです。「そうです」と書くの、実は私はこの本をまだ読んでいなくて、第四インターの機関紙「かけはし」に国富健治さんが書いた「本の紹介」(資料-2)で内容を知っただけだからです。

 国富さんは高田さんが「よりよい国民投票法案」論への「的確な反論」をしていると書いています。しかし、私には、国富さんの「本の紹介」のどこを読んでも、高田さんが、よりよい国民投票法案を対置する運動を「的確に反論」しているようには、読めませんでした。高田さんの意見を孫引きで紹介します。

 「私たちは『試合(国民投票)をしない』というのではない。自民党など改憲派が決めようとしている『試合』のルールがでたらめだ、自らを有利にするために恣意的に作られたルールであり、このもとでの『試合』は力関係を正当に反映できないと言っているのだ」

 「ルールがでたらめ」ならば、これに反対して「真っ当なルール」を要求するのが筋ではないでしょうか。ところが、高田さんや、国富さんは「ルールがでたらめだ」と叫けぶだけの運動が「正しい」というのです。

 今年から来年、再来年にかけて「憲法問題」は、否応なく、政治の一級の課題に押し上げられていくでしょう。早ければ、07年夏の参議院選か、秋の衆院選とセットで、歴史上初の「憲法改正のための国民投票」が実施される可能性があります。その時、国民投票をどんなルールで行うのか、そのルールをめぐる攻防こそが「憲法決戦」の第一ステージではないでしょうか。

 自民党がどんなルールを出してくるか、わかりません。仮に01年の「改憲議連」案をちょこっと手直ししただけのものだとすると、ルールをめぐる攻防は、こちら側が「真っ当なルール」さえ出せば、大衆の注目の中で、相手を圧倒できる可能性が充分あると思います。こんなチャンスはめったにあるものではありません。

 昨年から「真っ当な国民投票ルール・市民案」を練ってきた人達が、それをもって国会(議員)への「要望行動」を開始します(資料-3)。この運動体自身、まだ小さな動きしかできていないようですが、「政治の環」をつかんでいると思います。注目して行きたいと思います。

(資料-1)
<2005年1月20日(木)「しんぶん赤旗」>
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-01-20/01_02.html より

(資料-2)
かけはし2005.1.24号
http://www.jrcl.net/web/frame05.0124e.html より

(資料-3)
真っ当な国民投票のルールをつくる会
http://www.geocities.jp/kokumintohyo/ より

投稿者 mamoru : 2005年02月04日 22:06

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