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2006年08月09日

 ■ 『蟻の兵隊』(監督:池谷薫)を観て

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 8月6日、ヒロシマ被爆61年目のこの日、大阪の十三で、知人と3人で連れだってドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』をみました。マスコミでも報じられているので(例えば「朝日」8日からの夕刊など)ご存じの方も多いと思います。

 8月15日の「敗戦」後もなお、中国山西省に「残留」し4年間にわたって戦争(国共内戦)を続けた日本軍が存在したというアッと驚く内容です。

 映画は、残留兵の一人である奥村和一(わいち)さん(82歳)が、日本兵残留の裏にある真相を知ろうと、仲間と共に国を相手に起こした裁判や、中国に残された日本軍と国民党の「密約文書」を探し出す過程を、カメラで追っています。

 奥村さんが私と同じ新潟の出身であること、年齢が東京大空襲を体験した親父と同じであることなから、かなり感情移入して観てしまいました。

 それにしても、こんなことがあったなんて。この映画に出会うまでまったく知りませんでした。いったい何故、日本軍は「残留」したのか。それは、国が裁判で主張するように「個人の意思」で残留したのか。

 真相はそうではありません。北支派遣第一軍の澄田司令官が「戦犯」訴追を逃れるために、自分の部下を国民党軍に売り渡したのです。映画は、奥村さんと共に中国への旅の中でその真相に迫ります。しかし、裁判では最高裁まで争って、残念ながら、原告の訴えは却下されます。「個人の意思」で残留した、と認定されてしまいます。

 奥村さんの山西への旅は、初年兵として「肝試し」に中国人を刺殺した罪と向き合わざるを得ない旅でもあります。「被害者であるだけでなく、加害者でもある」。くり返し言われてきたことですが、その言葉のもつ深さが、奥村さんの柔和な顔の中にある、静かな怒りと悲しみを通じて、観る者に伝わってきます。

 映画の後、3人で喫茶店で感想をのべあいました。

 東チモールの独立支援を経験した知人は、「戦後、インドネシアの独立を支援した日本兵の存在にも、ひょっとして軍の関与があったかも」。昨日、息子が20歳になったという女性は、「憲法9条を変えて日本を戦争する国にするというなら、貧乏人の子供も、女も、障害者も、政治家の子供も皇族も、みな平等に徴兵される制度にすべきだ」。

 軍人恩給はそもそも兵士への「補償」ではなく「褒美」であること、支給額が旧軍の階級に基づいている点などで、大いに問題であることなどを話し合いました。

 『蟻の兵隊』は、今、東京と名古屋と大阪で一般公開されています。自主上映も各地で進んでいるようです。

 機会を見つけてぜひ、ぜひ、ご覧になってください。

 また、岩波ジュニア新書で『私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵』(740円)も6月の末に出されました。映画では分からない、奥村さんの生い立ちや、裁判で問題になった点などが、対談型式で詳しく書かれています。こちらもおすすめです。


●『蟻の兵隊』公式ページ

●『私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵』

●中国山西残留の 日本兵問題 皇紀2660年(平成12年)
   主宰者は右の言論人のようですが、資料としては、なかなかです。

●ブログ・彎曲していく日常
 澄田軍司令官について
 第一軍の最高責任者。閻錫山との密約を結び、戦犯を逃れために、 自兵を売り、共産党軍が近づいてきたら「敵前逃亡」した人物。その息子は名前は澄田智といい、日銀の第25代総裁に同名の人物がいるという。

投稿者 mamoru : 2006年08月09日 22:48

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