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2008年01月01日

 ■ 年初に考える―再浮上必至の「大連立」問題

 新しい年が明けた。今年の政治動向を考えるにあたって、最初に書いておきたいことがある。昨年の11月のはじめに急浮上して世間を騒がせた「大連立」問題についてである。事態が明るみになって以降、この「大連立」問題について様々な場で賛成・反対の意見が表明された。しかし私は大連立への賛・否を表明できなかった。正直言って「大連立」という事態は想定外であり、評価の枠組み自身を持ち合わせていなかったからだ。

 幸い、一時の興奮の後、「大連立」騒動は沈静化した。しかし、事の性格上「大連立」問題が本格化するの今年行われるであろう総選挙の後である。日本の戦後政治において「大連立」は成立したことがない。多くの人々にとって「政権交代」は体験済みだが「大連立」は未体験だ。その歴史上初めての事態がひょっとしたら今年招来するかも知れない。その時、どのような基準で、どのように評価するか。年頭にあたり、「大連立」評価のフレームワークを考えてみたい。

 ◆メディアがらみで「大連立」構想が推移

 2007年秋の「大連立」騒動はおおよそ次ぎのような経緯であった。

 7月19日 参院選で自民党が大敗。開票前に安倍が「続投宣言」。
 8月16日 『読売新聞』社説「大連立を」掲載。
 9月12日 安倍が「局面を転換する」ために「辞任表明」。
 9月23日 自民総裁選で福田政権誕生が誕生。
 10月30日 福田・小沢党首会談。
 11月2日 福田・小沢党首会談。福田「大連立」打診―小沢「検討」。
 11月2日 民主役員会「大連立拒否」
 11月4日 小沢辞意表明「連立拒否は自分への不信任」
 11月7日 小沢辞意撤回記者会見
 12月22日 「読売」渡辺「大連立は来年再浮上する」

 この騒動は当初、民主党のイメージダウンにつながるかに見えた。民主党の役員会で連立案を拒否され、それを「不信任」と受け取った小沢が「プッツン辞任」し、以後「留意工作」、「辞意撤回」とゴタゴタが続いたからだ。しかし、その後の展開は、防衛利権問題のバクハツもあり、福田内閣と自民党の支持率が低下し、民主党の支持率が向上するという事態になっている。また、この「連立騒動」の仲介を「読売新聞」の渡辺恒雄主筆が行ったことで、報道・メディアと政治の関係が問われ、読売グループと他の報道・メディアとの「論戦」も活発に続けられている。

 私は「大連立」の話しが浮上してきた時、次ぎのような視点で行方を注視していた。それは、「大連立」によってできる政権は現在の自公政権よりも "ましな" 政権になるのか、それとも "より凶悪" な政権になるのか、という視点だ。その時の私の読みは、どう考えても今より悪い政権になることはない、というものだった。なぜなら「自・公」で政権を担うよりも「自・民・(公)」で連立を組む方が、政権内の「不協和音」はより大きくなるはずだからである。そして、政権内部における「不協和音」の増大は、自立的な運動や自立的な政党を形成しようとする側にとっては、 "よりましな" 状況といえるからだ。

 ところが、世論は違った。(注)また、自立的な運動や自立的な政党を志向している人々も、この大連立政権については「反対」が多数派であったように見えた。そこには「大連立」に対する偏った固定観念があるように思う。ひとことで言えば「大連立=大政翼賛会」イメージである。

(注)「大連立」に対する世論(「朝日」11/5)
  ・自民党からの連立提案
    「評価する」36% 「評価しない」48%
     (自公支持層「評価する」50%以上)
     (民・共・社「評価する」10~20%)
  ・民主党の連立拒否
    「評価する」53% 「評価しない」29%
     (民主支持層「評価する」78%)


  ◆「大連立」と「政権交代」は対立するか

 「大連立」は一般的には次ぎの二つの性格をもつ。
(1)国政の危機回、挙国一致的政策の実行のための「大連立」
(2)次期選挙にむけて有利な条件をつくるための「大連立」

 (1)は「読売」渡辺や中曽根など大連立の「張本人」や「仲介者」の立場である。勿論、自民党もそうだと言えるだろう。対して(2)は小沢の位置づけである。

 渡辺が執筆したと言われている07年8月16日の読売新聞「社説」は言う。

 「(衆参逆転によって)…… 国政は長期にわたり混迷が続くことになりかねない。こうしたいわば国政の危機的状況を回避するには、参院の主導権を握る野党第1党の民主党にも『政権責任』を分担してもらうしかないのではないか。つまり『大連立』政権である。自民党は、党利を超えて、民主党に政権参加を呼びかけてみてはどうか」。

 「当面するテロ特措法の期限延長問題も、国会駆け引きを超えた政権内部の協議となれば、互いの主張の調整・妥協もしやすくなるのではないか。……大連立により第2党の存在感が薄れることになるか、政権担当能力への信頼感が厚くなるかは、その政党の努力次第だということである。……秋の臨時国会が自民、民主両党の建前論がぶつかり合うだけの状況になる前に、両党は早急に大連立の可能性を探ってみてはどうか」

 ここでの特徴は、参院での与野党逆転を「国政の危機」と観る異様な政治観である。この政治観から「危機」を「回避」するために「野党第1党の民主党にも『政権責任』を分担してもらう…『大連立』」が構想されている。

 対して小沢の「大連立」構想の中身はどうか。小沢は「大連立」を選択しようとした理由に「参院選で公約した政策の実現」と「政権担当能力を示す」ことを上げた。(民主党両院議員懇談会での発言、07/11/7)。二つとも次ぎの総選挙で民主党が勝利するために必要なものだと言う。
 「大連立」の中で民主党の政策を自民党につきつける。自民党が呑めば、それは民主党の得点にする。反対に自民党が拒否すれば「閣内不一致」を理由に閣外に去り解散・総選挙に持ち込める。その時はある種の国民投票的な選挙になるので、政策によって自民党を包囲できる。これが小沢の「大連立」に賭けた思いだった(に違いない)。

 私は、小沢のような政治理論は在りうると思っている。小沢にとって「大連立」は「政権交代」への裏切りどころか、それを実現するための近道=「一石三鳥」(07年12月28日、衛星放送「BS11」の番組収録での発言)なのだ。この点は、小沢嫌いの私もふくめ、世間はきちんと認識した方がいい。

 しかし、国民の多数派はおろか、民主党の役員会でも小沢の立場は理解されず、支持されることはなかった。それは、小沢が決して「口べたで東北気質」であったからではない。ひとえに「大連立」をもっぱら渡辺流の「危機回避策=自民党延命策」として理解した上で「賛成」したり「反対」する、政党もふくめた市民全体の政治的な熟練度にこそ要因があったと言わざるを得ない。

 ◆「政権交代」の必要性と限界

 民主党は2008年1月の党大会に提出する運動方針の中で、「大連立」騒動への反省を表明し「政権交代」にむけて次期総選挙を全力で取り組むことをうたっている。しかし、次ぎに「大連立」問題が浮上するのはその総選挙の後である。そして、その総選挙は「三善の策」論(「最善」=民主党による単独過半数、「次善」=野党で過半数、「三善」=民主党が第一党=自民との「大連立」あり)を掲げる党首・小沢の下で闘われる。戦後初の「大連立」が成立する可能性は大きいと言うべきだろう。

 では「大連立」に我々はどのように対応すべきか。昨秋「大連立」問題が浮上したとき、広義の左派・自立派は二つの傾向を示したように見える。一つは「大連立」を「政権交代」への裏切りとして批判する立場。もう一つは「大連立」を自民党と民主党の「同質性」の証明だとして、第三極の必要性を強調する立場である。前者は自覚的である否かにかかわらず「民主党」応援団に組み込まれ、後者は間違ってはいないけれど自分達のスタンスの確認にとどまっている。両方とも、自立派・左派のスタンスを生かしながら、積極的に「政権の流動化」にコミットし、社会全体を政治的に活性化させて行くプロセスが示せていない。この点が自立派・左派がこえなくてはならない課題だと思う。

 私の立場はすでに示唆しておいたように、「大連立」が政治の流動化、自由な政治空間を市民社会につくり出す限りにおいて、それを歓迎する、というものである。その限りで小沢の「大連立」イメージに重なる。しかし「政権交代」であれ「大連立」であれ、権力を「打ち出の小槌」のように思い込んでる小沢の権力論とは相いれないものがある。小沢は「大連立」の狙いを聞かれてこう答えている。

 「首相は連立ならば特措法さえ譲ってかまわない、憲法解釈さえ180度転換しても構わないと、そこまで言い切った。農業政策、年金、子育て、高速道路無料化など、我々の目玉政策も呑むかもしれない。画期的なものが民主党の主張で実現できれば、選挙で絶対有利だ。だが、みんなどうせ実現できないと思っていて民主党議員ですらそんな気がある。それは権力を知らないからだ。僕は権力をとれば簡単にできることを知っている」(07/11/16「朝日新聞」)。

 「権力をとれば簡単にできることを知っている」。「革命家」小沢は、別のところでもこの発言を繰り返して、民主党議員のお坊ちゃまぶりを嘆いている。勿論、権力の行使によって初めて可能になる変革の領域があることは確かである。そういう政治と無縁のところで我々の変革があるわけではない。

 しかし「政権交代」は「政策変更」のために必要であるだけはではない。かつて小沢は「政権交代」を時間によって「権力」を区切る「分権」と位置付けたことがある(『日本改造計画』)。そこには政財官の癒着の解体がこめられていた。そのひそみに倣えば「政権交代」は「分権革命」=権力システム解体の一里塚に過ぎない。解体の後に登場すべきは「市場主権」ではなく「地方主権」と「自立的な市民のネットワークで」ある。

 我々は、「地方」と「市民社会」への「分権革命」をすすめるためにこそ、「政権の流動化」をいっそう促進させなければならないのではなかろうか。

【08/01/20 加筆修正】


投稿者 mamoru : 2008年01月01日 17:03

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