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2011年06月21日

 ■ 「原賠支援機構法案」に反対! 東電に身を切らせ、地域独占体制を解体しよう !

■「国民負担」で東電救済

 「原子力損害賠償支援機構法」という法案が国会に上程されている。「東京電力」とか「福島原発事故」などの文言は条文のどこにもないが、苛酷な原発事故を引き起こし、巨額の損害賠償を迫られている東京電力を資金的に支援しようという法律だ。
 法律の内容は単純である。柱となるのは法案の名称でもある「原子力損害賠償支援機構」という組織(法人)を作ることだ。この「機構」に原発を持つ電力会が「相互扶助」の立場から一定の負担金を出し、政府は国債を交付し、この「機構」を経由して事故で損害賠償を迫られる電力会社に資金提供するというものだ。
img_a0d355231946b58404bbc9d1548450ac99118.jpg 注意すべきは、電力会社の負担金は電気料金に転嫁され、国債も税金から返済されるので、いずれの支援資金も最終的には「国民負担」となることだ。また、この法律は今回の福島事故に適用するために作られるが、今回だけではなく「将来にわたって原子力損害賠償の支払等に対応」とうたっており、原発政策の継続がしっかりと宣言されていることにも目を向けておきたい。
 東電の賠償問題と今後の経営形態をどうするかを巡っては様々な意見が出されてきた。それは大きく二つのスキームに分けられる。
 一つは、東電自身が債務超過になることを認めているので、一般の民間企業と同様に破綻ないしはそれに準ずる手続きをとって、公的な機関の管理下におく。その上で資産の売却などで債務(賠償)を返済し、再建・再生の手続きに入る。もう一つは、債務超過を避けるために外部から資金を注入し(条件にリストラなどを要請)、東電を現状のまま存続させる。
 国会に上程されている法案はもちろん後者の「存続スキーム」だ。ではなぜ政府は「破たん回避」のスキームを選択したのか。「東電が破たんすると迅速な賠償と電力の安定的な供給ができなくなる」というのがその理由だ。はたして、それは本当だろうか。

 ■十四兆円の総資産と三兆円の「原発埋蔵金」

 まずこの法案が作られる前提となっている「賠償金は東電一社で対応できる額をこえる」という東電の主張を検証しよう。政府はこの東電の主張を鵜呑みにして支援法作りに走ったのだが、二つのことを誤った。一つは東電のグループ会社、子会社もふくめた全資産の調査を行わなかったこと。もう一つは株主や金融機関に負担を求めなかったこと。
 現在公開されている東電の総資産は約十四兆八〇〇〇億円。その内、株主資本が二兆五〇〇〇億円、発電所・送電設備などが七兆六〇〇〇億円となっている。これに東電本体以外のグループ会社や子会社の資産も加えれば資産は膨大だ。
 これらを踏まえた上で東電を「破たん」させ資産を売却すれば「東電一社で対応できる」。「どこまで一社で賠償できるか」ではなく、膨らむ賠償額にあわせて必要な資産をすべて売却すれば資金は捻出できる。また、破たん企業の株主、銀行、社債所有者の債権の棄損は、市場原理の中では健全なルールだ。株主や銀行に支払う金があっても原発事故被害者に支払う賠償金が無い、などというモラルハザードが許されるはずがない。
 東電は、すでに六〇〇〇億円の資産売却と五〇〇〇億円の経費削減計画を発表しているが、これは「存続」を前提とした話だ。政府に設置された「東電に関する経営・財務調査委員会(委員長・下河辺和彦弁護士)」は、今後の課題として「年金減額」や「資材調達コスト減」を上げているが、これも「存続」を前提としており、資産売却の本丸である七兆六〇〇〇億円の発電所・送電設備の売却については「慎重に議論する方針」(「日経」六月十七日)とならざるを得ない。
 東電やグループ企業の資産の売却でも賠償資金が不足する場合は「原発埋蔵金」を取り崩せばよい。「原発埋蔵金」とは、公益財団法人「原子力環境整備促進・資金管理センター」が、使用済み核燃料の再処理に備えて積み立てているお金のことだ。この積立金充当の提唱者である飯田哲也氏によれば、「再処理当資金(積立金)」は本年三月末現在、約二兆四〇〇〇億円。これに「最終処分積立金」約八〇〇〇億円を加えれば三兆円をこえる。それでも足りない場合は「原子力関連の独立行政法人や公益法人を徹底精査し、補助金を全面的に引き上げるとともに、積立金等がある場合、それを充当する」(飯田、四月五日)。
 繰り返すが、東電の賠償原資は東電自らが身を切って捻出するのが原則であり、それは可能である。そうした「破たんスキーム」のオプションをすべて実行してもなおも賠償原資が不足するならば、市民は喜んで増税でも電気料金の値上げでも引き受けるであろう。東電を「破たん」させると賠償ができなくなるというのはウソで、東電を「破たん」させなければ賠償はできないのだ。

 ■地域独占に替わる新しい「電力ネットワーク」

 政府は東電の「破たん」を回避して存続させるスキームを正当化するために「電力の安定的な供給」を上げる。まるで東電や現在の一〇電力会社の「地域独占」がなければ「電力の安定供給はできない」かのような主張だ。しかし、フクシマを境にこの「神話」も崩れようとしている。
 例えば「古賀プラン」。経産省きっての「改革派」といわれ、今は閑職においやられている古賀茂明氏(大臣官房付)は、政府の東電存続スキームをいち早く批判して勇名をはせたが、「電力の安定供給を維持することと東電を守ることは違う」と主張する。そして、東電の公的な管理―東電の分割―発送電分離―電力自由化―電力産業の再生という「古賀プラン」を提起している(『日本中枢の崩壊』講談社)。
 また、前出の飯田哲也氏も、政府スキームを「地域独占体制の維持」と批判し、東京電力の分割(賠償責任のある「持ち株会社(東京電力)」と電力供給を行う「電力供給会社」に分割)―電力供給会社の一時国有化―電力供給会社の発電所部門売却―全国一体管理の「送電管理機構(会社)」という独自スキームを提案している(五月十三日、プレスリリース)。
 今、各電力会社は、夏場の電力の需給を口実にした「節電要請」を需要家に行っているが、かつては効いた「節電恫喝」も、例えば大阪府の橋下知事に「一つの会社しか選べない電力の地域独占体制に問題がある」と逆襲され、これに反撃できない始末だ。
 発電と供給をめぐる在り方は、日本の歴史においても多様であった。数百もの電燈会社や電気会社が競合・合併を繰り返していた創成期(一八八〇年代~)、五大電力の時代(一九二〇年代~)、日本発電株式会社と九配電会社という戦時下の電力国家管理の時代(一九四〇年代~)、そして日本発電解体=九電力体制の時代(一九五〇年代~)と変わってきた。
 今年、還暦をむかえた一〇電力会社による地域独占体制は、原発などの巨大発電施設と遠距離送電をセットにした高度経済成長に固有の在り方だった。成長の時代が終わったいま、原発とともに、一〇電力による地域独占体制も過去のものとしなければならない。
 新しい時代を拓くキーワードは「発送(配)電分離」と「電力自由化」だという。原発から再生可能エネルギーへのシフトに「発送(配)電分離」と「電力自由化」は大きな役割をは果たすだろう。それは同時に、電力ネットワークの在り方も変革せずにはおかない。「集権的一方向型ネットワーク」から「分散的双方向型ネットワーク」への張り替えである。
 しかし、その転換の道はバラ色の道ではない。新しいネットワークは「電力」だけではなく「削減・節電」をも商品化して売り買いするビジネスの場となる。粉飾決算で破たんした新自由主義の旗手エンロンが叫んでいたのも「電力自由化」であった。「電力自由化」を「新しい公共」としての電力ネットワークの創造に結びつけるのか、それとも、発電コストをめぐる下方にむけた新たな競争の場とするのか。原発と一〇電力体制の揺らぎのむこうに、新しい課題もまた見えてきている。


この文章は『グローカル』2012/07/01号掲載用に書いたものです。

投稿者 mamoru : 2011年06月21日 21:18

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