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2005年11月23日

 ■ 新しい「境界線」について―朝日「政態拝見」(11/22)の感想

 昨日(11月22日)の「朝日新聞」のコラム「政態拝見」は面白かった。根本清樹氏の筆による『格差社会 不当かどうかの境目は』がそれである。
 世の中、いつのまにやら「景気回復」ということになったが、誰がそれを実感しているのだろうか。「私らとは別世界の話しです」。根本はタクシーの運転手の話しを、日本が確実に不平等化、格差拡大している例として紹介したあと、次ぎのような問いを投げかける。

 日本社会の不平等化、格差拡大は進んでいる。しかし、社民党がその是正を総選挙で訴えたにもかかわらず、それが「郵政民営化」にかき消されてしまったのはなぜか、と。
 確かに、先の総選挙では「構造改革」の犠牲者とも言える層の人々が「郵政民営化」を強く支持した、という世論調査の結果が出て注目された。根本の問いは、このねじれを解明することと重なる。

 はたして、根本は自らの問いに答えて次ぎのように言う。「格差や平等についての考え方が、経済危機と『改革』の必要性に直面した90年代後半以降、明らかに変わった」。
 まず小渕政権が打ち出した「新しい公平の観念」だ。根本の文章をそのまま引用する。
 「『横並びの安住』はもう許されない。『社会に活力をもたらす先駆的人材』や『富みを創り、富みを活かす人材』が正当な尊敬の対象なることこそ、『新しい公平』だ。」
 そして、それに続く小泉だ。
 「それは『やる気のある人、能力のある人にどんどん働いてもらい、利益を上げてもらう』という小泉首相にそのまま引き継がれ、今日、『ヒルズ族』が脚光をあびる社会を現出させた」。

 根本は、このまま行けば「格差や平等の問題がいままで以上に、差し迫った形で問われるはずだ」と言い切る。しかしそのすぐあとに、「格差がまったくない社会は、ありえない。格差が不当だと映ったときに、人々の感情に火がつく」と続ける。私たちは、その「火がつ」いたさまを、ついこの前のフランスに見たばかりだ。

 「不当な格差」と「正当な格差」の境目。「その境界線を好みの場所に引くため、政治は技術を駆使することがある」。それが功を奏しているのかどうか知らないが、「そういえば、タクシーの運転手さんには、話しを聞く限り郵政民営化を支持する人がとても多い」。「公務員はボーナスが出るし、リストラもない」。だが「ヒルズ族は比較の対象外にある」。

 長々と「朝日新聞」のコラムを紹介してきたのは、最後のタクシーの運転手の言葉を手がかりに、問題の所在をもう少し明瞭にして、「線の引き直し」(根本)を行って見たいという衝動にかられたからである。
 根本が言うように、タクシー運転手は、「ヒルズ族」との格差を「不当」だと思っていない。何故か。それは、ヒルズ族の今の地位は「正当な競争」を通じて得た地位だ、と見ているからだ。それに比して「公務員」は、はじめから「競争」に参加していない存在と見える。例えば官僚の天下りがそうだが、一般公務員の定年後の「嘱託」雇用も、元公務員というだけで「無競争」で、手にいれられる地位に他ならない。

 しかし、よく考えてみれば、「公務員」という身分も、公平に誰にでも開かれている。公務員試験という正当な競争に勝ち残りさえすれば、誰でもこの地位を手にいれることができる。例外的に、被差別部落民を対象とした「選考採用」とい非競争的な採用方式があるが、それも是正される流れになっている。

 だから、民間企業にしても公的機関にしても、その地位を得るためには、いずれもライバルとの「競争」に勝てばよいだけの話しなのだ。そして、一旦その部門に入ったら、今度は、生き残った他の勝者との「競争」に勝てばよい。そして、勝つためには努力が必要で、勝った者は努力した者で、負けたものは努力しなかった者だ。こうして「競争」と「自己責任」の思想は社会の隅々に浸透していく。

 しかし、ここに大きな落とし穴がある。一つは、競争は「平均的な個人」が存在し、それが「努力」という変数を競っているのではない、ということだ。社会には、強者と弱者が存在し、強者は競争が免除され、競争は弱者同士が強者への挑戦権をめぐって行う例がほとんどだ。
 二つは、彼、彼女が強者であるのは、努力の結果であるよりも、親からの「遺産相続」によることが多いということだ。その財の中身は、経済的な財よりも「文化資本」(P・ブルデュー)の方がより重要だ。
 何故なら、近代社会は、階層への振り分けを学校の成績によって行い、学校の成績は「学校への順応度合」と相関し、学校への順応能力は育った家庭の文化水準と相関するからだ。学校に順応できるか否か、それがその人の「階層」配置にとって決定な要因になるのである。

 先のタクシーの運転手にとって、ヒルズ族の今の地位は「正当な競争」を通じて得た地位に見えていた。だが、彼らの多くは「遺産相続者」として競争に参加している。ヒルズ族だけではない。「競争原理」を信奉する政治家たち、小泉、安倍、福田、与謝野、谷垣、いづれも「遺産相続者」だ。
 格差に「正当」も「不当」もないと思う。だが百歩譲ってそれを認めたとしても、民間企業の成功者を「正当な競争」をくぐり抜けた勝者と見るのは間違っている。境界線を「公務員」と「民間」の間に引いてはいけない。引くとするなら民間であれ、公務員であれ、「遺産相続者」とそうでない者の間が妥当だと私は思うのだが。

投稿者 mamoru : 2005年11月23日 00:45

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