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2006年11月06日

 ■ 陸軍特別操縦見習士官之碑

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 11月3日の文化の日、京都市東山区にある「京都霊山(りょうぜん)護国神社」に行ってきました。反戦・平和の集会のために円山野音にはよく行きますが、そのすぐ近くに、こんなところがあるなんてちょっとショックでした。
 この日も「憲法集会」が開かれていましたが、今回は、パスをして、護国神社に廻りました。


 先日(10.21)NHKのETV特集で「許されなかった帰還、知られざる特攻隊員の収用施設」という番組が放映されました。これは、福岡にあった特攻帰還者の収用施設=振武寮のことをあつかった番組です。

 特攻隊の中には、飛行機の故障などで帰還した隊員が少なからず存在しました。振武寮というのは、「死ぬこと」を前提にして飛び立った特攻隊員が生きていてはマズイので、その隊員を隔離し、再洗脳したとされる施設です。その存在は、陸軍の正式の記録にもなく、また、収用されていた多くの人が戦後60年間、沈黙していたため、歴史研究者にとっても「謎」とされたものでした。

 1993年に映画『月光の夏』の中で、振武寮に収用されて人格が破壊されてしまった元特攻隊員の役を仲代達矢が好演し(私はこの春、ビデオで観ました)振武寮の存在が多くの人に知られました。また、最近になって、沈黙を守っていた元特攻隊員が、振武寮でどのような仕打ちを受けたかを語りはじめ、番組は、この収用体験者の話しを、記録作家の林えいだい氏が聞き出すという内容でした。

 この番組の中に、京都の護国神社が出てきました。この学徒特攻隊員の全戦死者名を刻んだ石碑が、そこにあるというのです。私は、訪れて、確かめたいと思いました。

 はたして、それはありました。入ってすぐ左手の正面にある「陸軍特別操縦見習士官之碑」がそれでした。題字は「ノーベル平和賞」の佐藤栄作元首相が書いたと銘記されていました。裏に、戦死者の名簿がびっしりと刻まれています。905名。横に説明文の石碑があり、内容は戦争を賛美するというより、学徒特攻の働きを称え、同時に、悲しみを表明するというようなものでした。

 


(略)
 祖国の危機に立ち上がり、二期、三期とつづくペンを操縦桿にかえた学鷹は、懐疑思索を超えて、肉親、友への愛情を断ち、ひたすら民族の栄光と世界の平和をめざして、死中に生を求めようとした。悪条件のもと、夜に日をついた猛訓練をおこない、学鷹は遠く赤道、大陸をこえて雄飛し、あたまの戦友は空中戦に葬れ、また、特攻の主力となって自爆、沖縄、本土の護りに殉じたのであった。無名の栄誉は歴史に刻まれたが、哀惜と悲しみはつきない。
(略)

 「陸軍特別操縦見習士官(略して特操)」とは、学徒出陣した学生達を短期間に特攻パイロットに仕上げる陸軍の機関です。振武寮に隔離された特攻隊員もこの「特操」出身者が多かったわけです。

 905の名碑は、実際に見てみると、圧巻でした。一人一人の名前を追いながら、この中に、知人のおじさんの名前もあるかも知れない、と思いました。

 護国神社には、特操の碑以外にも、従軍部隊の碑がところ狭しとならんでいます。その碑文は、ほとんど戦争中のモードそものです。またここは、戦友会などの懇親会の場としても使われているらしく、そんな張り紙がありました。

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 もっと驚いたのは、この神社の一角に「昭和の杜」というスペースがあり、そのまた一角に「パール博士顕彰の碑」というのがあったことです。パール博士は、東京裁判で日本の被告全員に無罪の判決を下したインドの判事です。碑はこの「功績」を称えるものです。パール博士の主張は、日本の指導者が有罪ならヒロシマ、ナガサキに原爆を投下したアメリカの指導者も有罪としなければならない、というもので、戦勝国のダブルスタンダードを批判したものでした。決して、日本の侵略戦争を肯定・放免するものではありません。

 顕彰碑は建立委員会によって立てられており、会長は瀬島龍三と書いてありました。驚いたのは、顧問として、元京都府知事の林田悠紀夫、前知事の荒巻禎一、現市長の桝本頼兼の名前が上がっていたことです。建立費を、もし、京都府や京都市が出しているとすると問題です。護国神社はれっきとした宗教法人なので、その施設にある顕彰碑の建設に公費を出したとしたら憲法の定める「政教分離原則」に違反します。

 建立されたのが1997年。京都市民として完全に見過ごしていました。その近くの円山野音で一年に何回も戦争や靖国参拝に反対する集会を行っているにも関わらずです。恥ずかしい限りです。

 「昭和の杜」には、次ぎのよう和歌が、掲げられていました。「特攻の父」と言われている大西瀧二郎の辞世のうたです。

 

くにのため いのち捧げし ますらおの いさを忘るな 時うつれども

 さきの「昭和戦争」肯定する立場であっても、否定する立場であっても、色々なものが学べる場所だと思いました。

投稿者 mamoru : 2006年11月06日 09:55

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