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2008年02月16日

 ■ 矢祭町の「議員日当制」に希望を見る

 「合併しない宣言」で勇名をはせた福島県矢祭町の議会が昨年末、議員報酬を「日当制」に変更することを決めた。現在、月額二一万円の報酬(期末手当込み年額三四〇万円)を、議会などの公務の度に日額三万円を支給するというものだ。公務は議会出席など三〇日程だから年間九〇万円ほどの報酬だという。
 この報道に対して市民派もふくめて現職の議員は総じて反発しているようだ。日当制では議員に必要な「専門性」を担保できないというのがその主な理由だ。一方、一般市民の多くは賛成だ。生活感覚から遊離した「プロの政治屋」はいらないとの思いからだ。いったいどちらが重要な事柄だろうか。

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 私は後者の方向性が今後の地方自治にとって大切だと思う。つまり北欧型の地方議会の方向だ。普通のサラリーマンが仕事を終えた後、議員として夜間議会に出て行く。北欧では当たり前のこの光景を日本でも見たいと思う。もちろん「民度」が違うというという面はある。しかしより重要なことは民主主義のタイプが違うことだ。
 日本の自治体は「二元権力」と言われる。大統領としての「首長」と「議会」の二元権力だ。しかしこれは建前に過ぎない。実態は断然、執行部優位の一元権力だ。一例を上げると最高決定機関である議会の招集権は議会の長にはない。議会は首長が招集する。議案の提案も執行機関が行う。だから、この上からの一元権力に議員が個人で対抗しようとするとかなり高度な「専門性」が必要になるのだ。
 こうした実態それ自身を変革の対象とすべきか否か。問題はここにあると思う。
 そこで参考になるのが北欧の地方議会だ。北欧も含め欧州の多くの地方自治体は「議員内閣制」を採っている。ここには市長はいない。議会によって選出された議長が「市長」でもある。そして議長(市長)が執行機関(十数人の内閣)を作り行政を動かす。つまり議会が議長(市長)を通じて執行機関をコントロールするのだ。議会の役割は重要である。議会は社会を正確に映し出す鏡であるべきで、多様な市民が「参加」しているのが良しとされる。だから高校三年生が市会議員ということも有りだ。

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 矢祭町の議会が「日当制」に込めた思いはこの北欧の議会に重なると思う。「日当制」の導入を決めた「矢祭町議会決意宣言『町民とともに立たん』」は、その狙いをこう宣言する。「これから議員になろうとする人も、欲の固まりのような金の亡者は消え、真摯に町を思う若い人や女性も進出しやすくなるなど、有権者の選択肢が拡大するに違いない」。
 「日当制」がストレートに「若い人や女性」の議会への「進出」を保障するかどうかは議論の余地がある。「夜間議会」や「議会保育」などの改革がさらに必要だろう。しかし、矢祭町がすすめる「役場と議会と住民の三位一体」(前出の宣言)となった町作りは、機能不全に陥った二元権力型の「地方自治」に代わる、新しいタイプの「地方自治」としてこの国の希望だ。それを下からの一元権力型の「住民自治(コミューン)」と呼ぶのはまだ早いとしても。

投稿者 mamoru : 2008年02月16日 01:11

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