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2008年10月02日

 ■ 「規制された資本主義」への転換か?

 アメリカ発の金融危機が凄まじいです。『日経新聞』が9月下旬に4回に渡って連載した特集のタイトルは「金融資本主義の誤算」。「グローバル経済の発展を支えてきた市場主義はどこで歯車が狂った(ママ)のか。マネーの膨張と収縮にゆれる金融資本主義はどこに向かうのか」。

 危機発生の地アメリカでは、75兆円の公的資金投入で不良資産を買い取る「金融安定化法案」が、民衆の突き上げによって、下院で否決されました。これをうけて世界的に株価が暴落(全世界で2000兆円の減価だとか)。再度、民衆の反発をかわすために12兆円の減税と抱き合わせの修正案が出され、上院を通過しましたが(2日)成立する保障はありません。

 民衆の怒りはもっもです。他人のお金でバクチして、大損して出来た穴を「税金」で埋め合わせる。すでに2つの政府系住宅機関の救済に22兆円、AIGの救済に9兆円。そして今度の「金融安定化法」です。リーマンを見捨てる一方で、この巨費(税金)の投入は、モラルハザード論が聞いて呆れます。なりふり構わず、とはこのことをいうのでしょう。それほど事態は深刻だということです。「小さな政府」を言い立てた金融資本主義(新自由主義的グローバリゼイション)が、結果として「大きな政府」を呼び寄せた、というのは、なんと皮肉なことでしょう。

 今は、金融危機の世界的な連鎖をくい止めるのに必死の様相ですが、それを食い止めることができたとしても、実体経済へのダメージは、すでに世界中に出始めています。アメリカの消費が落ち込む中、日本の自動車、半導体、家電メーカーは、いずれも米国市場での販売実績を軒並みマイナス10%~20%に落としています。その影響で、トヨタは中国工場での1割減産をはじめました。その中国(経済)はアメリカへの輸出が落ち込み黄色信号です。インドの成長も止まってしまいました。世界経済が縮小し始めています。

 「日本経済は全治3年」。知ったかぶりをしてこう言いまわっている麻生ですが、不思議なことに「病名」を言いませません。所信表明で言うかなと期待しましたが、やっぱり言いませんでした。「病名」も告げずに手術をする医者はいません。アメリカの当局者が「100年に一度の危機」と言い、「29年世界恐慌以上」と言っているのに、日本だけ「全治3年」のはずがないでしょ。29年恐慌の傷が癒えるのに少なくとも10年はかかっています。日本にもバブル崩壊後の「失われた10年」という言葉があるじゃないですか。

 私は今、歴史が大きな転換期に突入したように感じます。

 20世紀に入り、自由放任経済のツケが29年世界大恐慌となって爆発しました。そのなかから市場を国家によってコントロールする「新しい資本主義」=ケインズ主義が生まれました。ケイズ主義は戦後、世界に広がり、需要創出策はインフレと同時に「豊かさ」(福祉国家)を生み出しました。しかし、オイルショック(73年)を契機にインフレが「豊かさ」と結びつかなくなります。スタグフレーションです。

 このスタグフレーション打開の中から、ケインズ主義に代わる「新しい資本主義」=金融資本主義が生まれ出ます。お金と国家が堅く結びついていた時代(固定相場制)から、お金が国家を超えて世界に自由に展開する(変動相場制)時代が到来します。お金が交換の道具、蓄積の道具から、お金自身を買う道具に変化します。その極点に位置するのがデリバティブ、レバレッジ…ようするに、他人のお金でバクチをすること。「金融工学」などと難しそうに言いますが、ネズミ講とお同じゃないですか。いつか破綻することは分かっていました。

 そして、時代は、再び、お金の自由をコントロールする「新しい資本主義」を要請しています。

 フランスのサルコジ大統領は、23日の国連演説で、「『1930年代の経験(大恐慌)以来最も深刻な金融危機の教訓』を検討する必要があるとし、『金融活動が市場の相場師の判断だけに委ねられない、規制された資本主義』の再建に取り組むべきだと述べた」(2008年9月24日 読売新聞)

 「規制された資本主義」。これはアメリカ型の「市場万能」資本主義へのアンチであり、オルタナティブです。サルコジだけではありません。ブッシュ政権自身もサブプライム危機以降、投機を規制する法案を議会に提出しています。次期大統領を目指すオバマもマケインも「規制」を打ち出しています。日本だけです、「実需か投機かお金に書いてないから規制はできない」(伊吹文明)などと、時代錯誤のおとぼけで逃げいるのは。

 「資本主義の規制ではなく廃絶を!」。左翼たるものこの原則を忘れてはいけませんね~(^^;)。しかし、私は、いま起こっている「危機」だけではなく資本主義の「転換」の大さに身震いします。

 思えば、高校を卒業した年が73年でした。19歳。ネクタイの営業で大阪の街を走り廻っていました。その年の秋にオイルショックが起こり、アジェンデ政権が暴力的に破壊されました。あの時はまったく気付きませんでしたが、あれが、金融資本主義=新自由主義的グローバリゼイションの始まりだったのです。そして、それは、破綻しました。そして、29年恐慌の後にケインズ主義があらわれたように、サブプライム危機の世界的波及の中から、再び「規制された資本主義」を歓迎する声があがっています。

 しかし、この「転換」がどれくらいの深度になるのか、あるいは、すべきか。正直言って、事態の急速な展開に、頭がついていきません。整理すべきことが盛りだくさんです。例えば、サブプライム危機は、繰り返されてきたバブルの一つの崩壊に過ぎないのか、それとも、バブルを生み出す構造が破綻したのか。投機の規制というけど、投機にだけ限定すべきなのか、資本の自由な移動それ自身を規制(固定相場制の復活)すべきなのか。

 一つだけ確かなことがあります。アメリカ一極集中が、経済的に終わろうとしていること。その中で、アメリカに依存(輸出)して成長してきたグローバル企業の縮小は必至だということ。麻生自民党にしても、小沢民主党にしても、これが所与の現実です。このステージでは、「改革」政治はもはや通用しません。グッドバイ小泉。大きくか、小さくかは別にして「転換」は必至です。だから総選挙で、自民と民主のどっちが勝っても、日本は「変わり」ます。

 いま起きている資本主義の変容・転換は、日本の総選挙よりはるかに壮大です。衆議院解散も、ジワリ、ジワリと延びまじめました。

投稿者 mamoru : 2008年10月02日 21:56

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