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2004年10月10日

 ■ 映画 『リストラと闘う男』

―フジ産経グループ記者・松沢弘の「ニコニコ笑顔」の解雇撤回闘争

 市民団体「ドキュメント・フェルム・ライブラリー」8月例会(22日)の作品。題して『リストラと闘う男』。タイトルからして「言いたいことはわかるけど、こういう時代だからねエ~」と、なんとなく観るのを遠慮したくなるような題名。

 でも何故、観ようとという気になったのか。

 それはこの「男」が果敢に闘っている相手が「フジ・サンケイグループ」という、日本の巨大な最右派言論機関である、というのが大きい。アリと像の例え話を想像して、自分の中にまだかろうじて残っている「義憤」にかられてしまったのだ。
 しかし、映画は、そんな時代がかった義憤なぞ、まったく必要としない、明るい作りになっていた。確かに、描かれたストーリーは暗くて重い。産経新聞系の日本工業新聞の記者・松沢弘さんが、産経本社のリストラ計画に抗するために仲間と合同労働を結成し、それを理由に懲戒解雇され、その撤回を求めて…云々。これは、私(たち)が、80年代末から90年代半ばにかけて体験した「8名の不当解雇撤回闘争」とまったく一同じ経過である。映画の中にも、私たちが争議中にお世話になった「知った顔」もたくさん登場しており、親近感が増した。

 しかし、くり返すが、映画は明るいのだ。それは、被解雇者の松沢弘さんが、常にニコニコ顔で登場してくるからだろう。これがこの映画の「売り」だと思う。国労のドキュメント『人らしく生きよう』と違う所かもしれない。闘争者のキャラクターは、闘争にとっても、映画化にとっても、決定的だ。

 松沢さんは、映画の中だけで、明るいのではなかった。本物は、もっと、明るかった。書き忘れたが、この上映会は、松沢さんのトークとのセッションであった。このトークがまた、よかった。普通、こういう組合せでは、映画の登場人物が、撮影後の闘争の経過などを報告しながら、最後に支援を訴えるというパターンが常だが、今回は違った。それは、トークと言うより大学の「講義」だった。題して松沢弘の「企業ジャーナリズム論」。(因みに、松沢さんは食うために、中央大学で講師をしている)。

 その内容は「産経」記者の眼からみた「日本の企業ジャーナリズム(マスコミ)批判」と言ったところか。それは、有る意味では、眼からウロコであった。松沢さんは、「朝日」が「左」で「産経」が「右」という見方は表面的すぎるという。そうではなく、企業ジャーナリズムの頂点には「朝日」が君臨し、中間に「毎日」、下に「読売」、最下層に「産経」が位置するのだという。なぜなら「支配的な社会的意識」を形成し得る力を持つのは「朝日」だけだからだ。その朝日の横には、銀行で言えば東京三菱、省庁で言えば大蔵省がならんでおり、それらのトップは相互に、東大法学部をベースにした「試験合格者共同体意識」で結びついている。

 「産経」はそうした支配体制に抗して生き残っていくために、自分に残された「右」という最後のポジションを演じるほかないのだという。薄々と感じていたことであるが、こう明瞭に語る人には初めて出会った。
 松沢さんについて語る時、もう一つ上げておかなければならないことは、学生時代(早稲田で60年代の中頃)に三里塚闘争に関わっていたことだ。20代の前半に、三里塚闘争で逮捕―不当拘留―裁判闘争の経験のある私とは、この点でもおおいに共感した。ただし、同じ時期に北総大地を駆けまわることはなかったようであるが。
 それにしても、いつもニコニコの松沢クン(といっても57歳だという)。その若さの秘密はなんなのでしょう、と不思議に思っていたら、今年の4月に35歳の女性と結婚しました、と「松沢サポーター・クラブ」という支援組織の「会報」(21号)にあった。22歳年下だ。松沢さん、オメデトウ。
 映画の紹介というより、松沢弘論になってしまった。いいドキュメントであることは間違いない。機会があったら観てほしい。

■『リストラと闘う男-フジ産経グループ記者・松沢 弘-』(2003年10月、70分)
 ・製作:ビデオプレス
  http://homepage3.nifty.com/videopress/matuzawa.html

投稿者 mamoru : 2004年10月10日 21:05

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