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2005年06月20日

 ■ 誰が「ニート」「フリーター」になるのか?
再生産される日本の階層社会

 若者バッシングの新たな言葉?

 「ニート」と言う言葉が流行っている。きっかけは一年前に玄田有史が『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』(幻冬社)を出版したことによる。

 「ニート」とは、「Not in Education(学校教育) Employment(雇用) or Training(訓練)」の頭文字「NEET」を取ったもので、もともとはイギリスで低階層の若年無業者の就業支援をするための政策用語だった。

 それが日本で驚くほど急速に広く「受容」されたのは、低階層の若年無業者への理解がイギリス以上に深まっていたからでは、もちろん無い。多くは、「ニート=仕事もしないで親や社会に寄生している若者」と言うイメージの下、若者バッシングの新たな言葉とし口にしているのが現実だろう。

 では「ニート」、それに九〇年代から増加し続けている「フリーター」とは、いったい何だろうか。何故、生まれたのか。そして、誰が「ニート」「フリーター」になるのか。その意味するところを考えてみたい。

 原因は「若者の甘え」か「企業」か

 まずニート、フリーターをごくごくおおおざっぱに定義しておこう。

 小杉礼子は言う。「学生でも主婦でも正社員でもない若い人で、アルバイとやパートで働いていれば『フリーター』、そうでない人は『ニート』だということ」(小杉編『フリーターとニート』勁草書房)。

 その数は、フリーターが二一七万人(二〇〇四年『労働経済白書』)、ニートが八五万人(二〇〇五年三月、内閣府『若年無業者に関する調査(中間報告)』、右記定義から求職中の失業者一二九万人を引いたもの)だという。

 次ぎにニートやフリーターが生まれる原因について。一般的には、若者にその原因を求める見解が多く流布されている。「若者の甘え」や「パラサイト・シングル現象」や「自分探し」など、一部研究者もふくめ、マスコミなどでは、若者の側の「就業意識の低下」を嘆く声がしきりである。

 しかし、九〇年代初期の「フリーター」や、現在の四大生の『就職が恐い』(香山リカ・講談社)意識の分析としては当を得ていても、ニート、フリーター全体の中では多数派である中卒者(高校中退者含む)、高卒者についてはそれは当たらない。

 なぜなら、彼らの多くは典型的雇用(正社員)での就職を希望しているにも関わらず、それが叶わないがゆえに「やむを得ず」ニート、フリーターになった者が多いからである。いわば、企業の新規高卒者の採用抑制の「犠牲者」なのである。(詳しくは橘木俊詔『脱フリーター社会』東洋経済新報社・所収の「フリーターの現状と若者の主張」論文参照、)。

 実際、新規高卒者への求人数は、一九九二年の一六〇万人(求人倍率三・五)をピークに減少をつづけ、二〇〇二年には二〇万人弱(求人倍率〇・五)にまで落ち込んだ(厚労省「新規学卒者の労働市場」)。ピーク時の八分の一である。

 代わりに企業は、高卒者から大卒者に求人をシフトし、さらに、非典型(非正規)労働市場でアルバイト、パートなどの労働力を調達し、人件費の削減を図っている。

 この趨勢は不可逆的で景気回復によっても元に戻ることはない、と思われる。

 この二月、NHKで放映されたドキュメンタリー『フリーター漂流、モノづくりの現場から』では、日本の基幹産業ともいえる携帯電話の組立工場が、請負会社のフリーターによって担われている様が描かれていた。フリーターをコンビニのアルバイト店員でイメージするだけでは追いつかない現実が、そこにはあった。

 「ニートは経済的に苦しい家庭に生まれる」

 それではいったい、同世代の若者の中で、誰がニート、フリーターになるのだろうか。もっと直截に言えば、どのような子が企業から「ハジかれる」のか。

 まずニートに関して言えば、先に紹介した内閣府の『若年無業者に関する調査(中間報告)』が「意外な」報告を出している。これは玄田有史が委員長となっている「青少年の就労に関する研究会」がまとめたものだ。

 それによると、
・ニート(非<就職>希望型)の八割以上が中学卒もしくは高校卒。
・九〇年代には高所得世帯に属することも多かったが、二〇〇二年ではむしろ低所得世帯の割合が増えている。(世帯の四 割弱が年収三〇〇万円未満)
・四人に一人は本人が世帯主(一人暮らし)で、その場合は八割以上が年収二〇〇万円未満。

 つまり、「ニートは経済的に苦しい家庭に生まれる」のである。

 さらに、こんな報告もある。前出の小杉編『フリーターとニート』で、首都圏、東北、関西の五一人のニートに聞き取り調査をした結果を、宮本みち子がまとめている。

 「中卒、高校中退、高卒者を見るかぎり、高学歴者とおなじような意味で親への依存期が長期化しているとは必ずしも言えない。高校在学時にすでに親から小遣いをもらう段階を終了し、自分のアルバイト収入でまかなう者も少なくない。わずかとは言え、家計にお金を入れていたり、食べ物など、基本的なものの購入を自分でやらざるを得ない者さえいる」。

 もうひとつ、耳塚寛明らの調査によれば、「無業者として卒業していく生徒たちの出現率は、社会階層と密接に結びついてい」るという(『世界』二〇〇三・二「誰がフリーターになるのか」)。

 「父親の職業が専門・技術職、管理職などのホワイトカラー家庭で無業者となった者は一四%、これに対して、いわゆるブルーカラー家庭出身者のそれは三一%だった。高卒無業者への道は、明らかに相対的に低い階層を出自とする若者に、より開かれて」いるのだ。

 これをさらに大卒者とくらべ、フリーターもふくめた比率をみると「大卒者で卒業直後に、パート、アルバイトあるいは無業者となったのは二三・八%、これに対して高卒者では五四・〇%におよぶ」(同)。

 これを逆に正社員率でみると高卒者で「父親の学歴が中卒の場合は、正社員率は二割を切る」。

 永山則夫の子どもたち

 フリーターを「永山則夫の子どもたち」と呼んだのは平井玄である。(『現代思想』二〇〇五・一「特集 フリーターとは誰か」)。平井の言説はいささか思弁的すぎるが、永山則夫を二〇〇万人と言われる「集団就職者」の一人と見れば、ニート、フリーターを「永山則夫の子どもたち」と呼ぶことは、見えない日本の階層構造を浮かび上がらせる現実的なテコとなる。

 問題はこうである。ニート、フリーターが「経済的に苦しい家庭」や「相対的に低い階層」の出身者に多いことはわかった。では、それはどのような「家庭」であり「階層」のことなのか。それはいつから存在しているのか。

 埼玉県の高校教師・小川洋(よう)は、『なぜ公立高校はダメになったのか―教育崩壊の真実』(亜紀書房、二〇〇〇)で、郊外に新設された公立高校を舞台にして頻発した「校内暴力」「対教師暴力」など「荒れ」の背後に、教育、しつけ、学校、学歴関心などに対してまったく対照的に異なった考えをする「二つの社会階層」が存在していることを活写している。

 一つは、都市出身、高・大卒者、大手企業就職者によって構成される「新興中間層」である。
 高度成長とともに一定の学歴と社会的な地位、一定以上の住宅を得たこの層の人たちは、親の地位を子どもにも獲得させようと「教育ママ」となる。

 もう一つは、農村出身の中・高卒者で、個人商店、零細企業、町工場などに就職した「集団就職層」である。
 その多くは、高度成長で企業が都市出身者、自宅通勤者を吸い上げるこで「人手不足」となった零細な産業、職種に配備された。「住み込み奉公」などに代表される「近代的な労使関係」からはほど遠い環境の中で働いた。

 この「集団就職層」の中に永山則夫がいた。最後の集団就職列車が走った一九六四年、青森県から列車で上野駅にに降たった永山は、東京渋谷のフルーツ・パーラーで住み込みのボーイとして働く。しかし「ちょとしたこと」で叱られて「プイ」と辞めてしまう。以後、転職をくり返し、米軍基地で奪った銃で四人を殺害する。

 「永山が抱いていた強い疎外感は、義務教育終了と同時に追われるように都会にむかった集団就職者たちに多かれすくなかれ共通したものだっただろう」と小川は書く。

 それでも、高度成長による消費社会の出現は、集団就職者たちの「強い疎外感」を「中流意識」に置き換えさせるのに成功する。郊外に広がった都市で共存する「二つの階層」は、所得水準の違いはあっても、同じ電化製品をもち、同じスーパーで買い物をするなど、生活様式ではほとんど変わらないところまで「接近」する。

 教育を通じた階層の「拡大再生産」

 しかし、である。子どもの教育についての意識の面では、異なった二つの社会階層は、その溝を埋めることは、ついになかったのである。

 「新興中間層」のそれについては先に触れた。では「集団就職層」の教育に対する考えはどうか。

 多くが中卒である「集団就職層」の親は、自分の子どもについては高校までは進学させようと考え、実際そうさせた。しかし大学までを考えるのは少数派であった。

 それは、子どもの教育に削く時間的、経済的余裕が無かったこともあるが、そもそも「かれらの出身地の農村では、子どもに学歴を与えて子どもの将来に期待するという親子関係は、一般的ではなかった」ということが大きかったのである。農村と都市の教育・文化の違いである。

 そういう環境では、子どもたちも勉強や進学の動機を持てないのは自然のことだった。

 親の学歴や階層と子どもの学力が密接に連関してことは、一〇年ほど前から教育学の中では言われ続けてきた。子どもの勉学にむかう「意欲」そのものに階層の違いが現れる、と。(苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』中公新書)

 私たちは、ニートやフリーターが「経済的に苦しい家庭」や「相対的に低い階層」の出身者に多いことを見てきた。そして、そうした「家庭」や「階層」をさぐる作業として「集団就職層」の存在を見てきた。

 しかし、その二つがイコールかどうかは今のところ断言できない。断言できないけれども、その一部が重っていることは経験的に明言はできる。

 だとするならば、ニート・フリーター問題とは、団塊世代の「勝ち組」「負け組」である「新興中間層」と「集団就職層」が、学校教育を通じて、そのジュニア世代において「拡大再生産」している問題である、と言えないだろうか。この階層の「拡大再生産」にどのように対応するか。

 「希望格差社会」論の落とし穴
 
 「日本社会は、将来に希望が持てる人と将来に絶望している人に分裂しているプロセスに入っているのではないか。これを、私は「希望格差社会」と名づけたい」。

 山田昌弘は『希望格差社会』(筑摩書房)の中で、「リスク化」と「二極化」という分析装置を用いて、日本社会の暗澹たる現実と、そう簡単に明るくなりそうもない近未来を描いて見せた。

 産業構造のシステム変更は雇用形態の二極化を生む。そして、将来に希望が持てる人は「ニューエコノミー」の「中核的労働者」だけで、その他は「使い捨て労働者」として将来に絶望せざるをえない存在として描く。

 また、教育「パイプラインシステム」の「漏れ」という比喩も巧みだ。「中核的労働者」をめざしている学生もいつの間にか「漏れて」フリーターになってしまうかも知れない、という恐いお話し。

 山田が階層社会化、二極化社会に警鐘を鳴らしているのはわかる。しかし「希望」について語る時に前提にしている「中核的労働者=ハッピー」「ニート・フリーター=アン・ハッピー」という見方は、山田自身が持つある価値感に基づくものではないか。何に希望を見いだし、幸せを感じるか、という問題は多様であり一律に裁断することはできないはずだ。

 例えば「二極化=階級社会化」では大先輩のイギリス社会。
 林信吾によれば、「最下層」のワーキングクラスの労働者は「…中産階級が自分たちを見下していることは承知している。しかし、反面、中産階級風の『気取った言葉使い』『見栄っぱりな暮らし方』をバカにして、毛嫌いしている」という。(『しのびよるネオ階級社会・イギリス化する日本の格差』平凡社新書)

 同じくイギリスの階級社会を評して、橘木俊詔も語る。
 「…能力のある人はそれは一生懸命頑張って、エリートになるかも知れないけれど、能力のない、教育を受けていない人がアンハピーと感じているかと言ったら、彼らは、それほど、アンハッピーとは感じていないように思えるんですね」。(『封印される不平等』東洋経済新報社)

 また、直接に山田の主張に疑問を提起する人も出てきた。
 ニートの若者達の再出発の支援をしているNPO代表の二神能基は、山田が言う「格差」を単なる「選択肢の違い」に過ぎないと主張してこういう。

 「収入がより多いひとが、そうでない人より幸福だとは限らないからです。最近よく逮捕される大企業の社長さんたちの顔をみていれば、それはよくわかります」(『希望のニート』東洋経済新報社)。

 これは微妙な意見だ。しかし私は支持したいと思う。なぜなら、社会の二極化や格差を批判する時、ややもすると「上層」の価値観に基づいて「下層」を評価(卑下)してしまいがちであるが、二神の立場は、そこから身を引き剥がすことに自覚的だからである。

 二極化が進行し、階層の「拡大再生産」の段階にはいった今、ノン・エリートとして生きる者に必要なことは、少なくともエリートの価値観を共有し、自己卑下する過ちに陥らないことだ。

 その上でノン・エリート独自の文化・価値観を発掘・獲得することだ。それは、決して難しいことではない。日本には「職業に貴賎なし」と言う美しい言葉がある。また「ボロは着てても心は錦」という歌もあった。
 今や死語となった感もあるが、庶民の世界にはノン・エリートへの応援歌が満ちあふれている。それらに再度魂を吹き込めば、職業、職種による差別を当然だとする歪んだ現実を射ることはできるだろう。

 「下働きに悔なし」という生き方に学ぶ
 
 最後に。今年の五月、『朝日新聞』の投書欄に、「下働き半世紀 悔いなかった」と題する投書が載った。投稿者は佐世保市の六六歳の男性である。

 私は、人生の大先輩から「永山則夫世代」への激励と受け止めた。そして、「永山則夫の子どもたち」にも激励のおすそ分けをしたいと思い、この場を借りて再録させていただく。

 *  *  *
 
 「この春、パートの仕事も辞めてとうとう無職になった。昭和三〇年、中学を卒業以来半世紀も働き続けてきた。父は戦死、四人の子どもを育てるのに母の苦労は相当のものだっただろう。イガグリ頭の私は商店に住み込んだ。

 はんてん、前掛けで御用聞きに回った。米、麦、みそ、しょうゆ、薪、石炭をリヤカーで配達した。道すがら宮城まり子の『ガード下の靴みがき』、春日八郎の『別れの一本杉』を口ずさんだ。初任給五〇〇円はそのまま母に手渡した。

 一八歳になるのをまって自衛隊に入隊した。その後もトラックの運転手、工員や店員などの職業を転々としながら今春まで休まず働いてきた。

 後塵(こうじん)を拝してばかりの不器用さで、下働きのままで仕事を終えたが、自分に正直に精いっぱい頑張ってきたので悔いはない。しかし、趣味とてなく、無職となった現実には戸惑いがあり、暇な日常に試行錯誤の毎日。

 いろいろな思いが走馬灯のように駆けめぐっている」


この文章は、『グローカル』680号(05/06/27)に掲載されたものです。

投稿者 mamoru : 2005年06月20日 22:01

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