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2007年04月08日

 ■ 【書評】『全国学力テスト、参加しません。』/『奇跡と呼ばれた学校―国公立大合格者30倍のひみつ』

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 2007年4月24に行われる「全国いっせい学力テスト」に不参加を決定した愛知県犬山市の教育委員会が緊急出版した『全国学力テスト、参加しません。』(明石書房、1200円)を読みました。とてもいい本でした。

 そこには、「教育」という営みは「競争」とは相容れないものだ、という確固とした信念が書かれていました。私たちは、子供を「競争」させれば学力が向上すると思いがちですが、それはまったく根拠のない話しなのです。「競争」はむしろ初期段階の子供たちを勉強嫌にし、子供が学ぶ楽しさを体得することに対して、マイナス作用しかもたらさない、とのこと。確かにその通りですよね。

 また、戦後日本の公教育(学校運営)の主体は、地方自治体であり、文科省と方向が違った場合、自分たちが正しいと思う方向に進む権利がある、と語られていました。今回の学力テスト「不参加」の決定は、犬山市が「特別なこと」をしているのではなく、文科省や犬山市の小中校を除く、全国の99.96%(学力テストに参加する学校の率)の学校の方が、戦後教育の原則から外れた「特別なこと」をしているのだ、ということがよく分かりました。

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 犬山市の教育委員会について色々と感動したあと、わが街・京都市の教育について考えてみようと、『奇跡と呼ばれた学校―国公立大合格者30倍のひみつ』(荒瀬克己、朝日新書)を読んでみました。電車の中で30代中頃の女性が、小さな子供をほったらかしにして一心不乱に読んでいたのを目の当たりにして、これは目を通しておかなくちゃ、と思った本です。

 著者である堀川高校校長の荒瀬さんという人は、悪い人ではない、という印象を持ちました。与えられた職務をまっとうするために、努力をする人のようです。また、堀川高校のモットーである「すべては君の『知りたい』からはじまる」も、犬山市の「自ら学ぶ力をもった子を育てる」方針と、重なる部分があるように思います。ひところ盛んに言われた「新しい学力」概念ということなのでしょうか。

 しかし、本書を読んで(読む前から)疑問に思うことは、「国公立大学への合格者を増やすことは、そんなに価値あることなのか?」ということです。荒瀬さんは、そうし批判を心得てか、合格者を増大させることが目的ではなく、あくまでも生徒の進路希望をかなえることが学校の役割だ、なんて、カッコイイことを言っています。

 しかし、こうした本が出版されるのことも含め、堀川高校が注目されるのは、国公立大学への合格者の増大があったればのことです。ここがやっぱりポイントなのです。だから京都市教委は、自分たちがすすめてきた「教育改革」の成功例として堀川高校を前面に押し立てるのです。

 しかし、国公立はおろか、およそ大学進学というものに興味がなかった私のような者には、「国公立大学の合格者が30倍、―それが何か?」(大前春子)です。堀川高校の教育目的は「次世代のリーダーの育成」だそうですが、この目的達成の数値基準が、国公立大学への合格者数だとすると、堀川高校は、次世代のリーダーの条件は、国公立大で教育を受けたもの、と言っていることになります。

 格差社会が問題になっている中で、堀川高校がいったいどのような役割を果たそうとしているのか、ホノ透けてみえる本でした。

投稿者 mamoru : 2007年04月08日 16:34

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