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2008年07月22日

 ■ 教員採用は「くじ引き」で

 大分県の「教員採用汚職」が大きな問題になっています。他の府県でも似たような状況であることが徐々に明らかになりつつあります。しかし、いったいこの事件、何が問題なのでしょう。

 教員という地位を手にいれるために「お金」が動いていた、というとことが一つ。それに「コネ」というもの問題です。でも「コネ」は、「自治体は民間を見習え」という橋下・大阪府知事流に言えば、「民間」のほうこそ先進です。採用に際して「コネ」が第一で「成績」は第二の世界です。教育の世界でも私立高校の教員の多くは「コネ」と「口利き」で採用されます。大学の教員も然り、ですよね。

 で、結局、今回の問題で、最後に残るのは「金で教員の地位を買うのが悪い」ということになります。では、どう「改革」したらいいのでしょう。多くの人々は、教員採用は試験の「成績順」にすべきだ、と思っていることでしょう。はたして、それでいいのでしょうか。

 教員採用の要件に、試験の成績「以外」の要素を入れることは、別に悪い話しではありません。それはすでに行われています。文科省や教育再生会議が奨励する「社会人教員」制度がそれです。これは教員免許を持っていない社会人を「特別枠」で教員にしようというもので、将来的には教員の2割にまで増やそうという話しです。採用に際して、ここでは「成績順」は適用されません。

 この「社会人教員」と比べれば、今回、「不正採用」された「教員」は、少なくとも教員免許を取得している人たちです。ですから「教員としての資質」は問題ないはずです。もし、問題があるとするならば、それは教員免許を与えるシステムのほうにある、ということになります。

 一方、「成績」以外の要素として「お金」と「コネ」が強い力を発揮するというのも、困ったものです。なぜなら、それは著しく公平性・機会の平等に反するからです。そこで人々は、反射的に「成績順に採用するのが一番公平だ」と思ってしまうわけですが、私は、その考えを採りません。

 むしろ、成績順による採用は「成績」に表れる階層的な有利、不利の「不公平」を不問するのでより悪質だと思っています。現ナマで露骨に地位を買うのはダメだが、所持する「文化資本」で「成績」を「買い」その「成績」で教員という地位を手に入れるのは「公平」だ、などと言えるはずがありません。

 私は、本当に教員採用に際して公平性を担保したいのであれば、くじ引きで決めるのが一番だと思います。「コネ」「金」はもちろんのこと「成績順」よりも偏りのない採用になるに違いありません。
 公立学校の教員採用をくじ引きで決めて、なにか不都合なことがあるでしょうか。

投稿者 mamoru : 2008年07月22日 19:48

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