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2009年02月15日

 ■ 正規と非正規の「所得格差」は放置していいのか―湯浅誠さんの講演を聞いて

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 2月11日、「建国記念日」のこの日、湯浅誠さんの話しを聞きました。大津市で開かれた集会です。自治労や日教組など連合系組合にキリスト者やその他の人々が加わった実行委員会の主催でした。私は湯浅さんの話しを直接聴くのは初めてです。「年越し派遣村」以降、最近はテレビに出ずっぱりの感がある湯浅さん。この講演は昨年の秋にセットされたとのことです。ひょっとしたら派遣村以降、初の地方での講演だったのではないでしょうか。

 湯浅さんは、最初はクールな表情で坦々と話していましたが、話しが進むにつれて段々と熱が入って来ました。終わってみれば予定時間を10分もオーバー。しかし長さを感じさせない充実した内容の講演となりました。
 私としては、質疑も含め、湯浅さんから聞きたかった大方のことは聞けたので大満足でした。集会の全体の様子や湯浅さんの発言の要旨は新聞報道に任せ(中日新聞と毎日新聞のWebを「無断転載」しておきます)、ここでは私が関心がある論点にしぼって、湯浅さんの発言を紹介し、コメントしたいと思います。

 「正規労働者」を敵にまわさない

 湯浅さんは「貧困」を問題にしています。それを無くしていく運動として「反貧困」運動を行ってきました。そして貧困を無くすための手段が「社会保障」の充実です。それを湯浅さんは「すべり台社会」に「階段」を付けると表現します。本来、それは公的機関の責任でなされるべきものですが、それが非在の場合は、民間が行う、「年越し派遣村」はそういう中で位置づけられています。
 ここで一つ疑問がわくのは、貧困は確かに「社会保障」の不備によって生じているのですが、一方、格差拡大の一極として存在していることも事実であり、だとすれば正規労働者=安定労働者層と非正規労働者=不安定労働者層の格差、とりわけ所得の格差を是正するという方向も「反貧困」運動にとっては必要ではないか、ということです。
 これについて、湯浅君は雑誌のインタヴューなどで否定的は説明をしてきました。今回の話しでも「400万円から800万円の所得がある正規労働者も、住宅ローン、高い学費、親の介護などでギリギリの生活をしているのが実感だから、所得を削ることはできない」と明確に語っていました。これは連合系の参加者に配慮しての発言ということではなく、彼がめざしている社会と、それにいたるプロセス・戦略を描いた上での判断だと分かったのが、今回の収穫でした。

 「中支出・中所得」社会

 湯浅さんは「所得格差」の存在は認めつつ、いきなりそれに手をつけるのではなく、「400万円~800万円」の所得が必要となっている、その背景にある「支出」を削減するところから手を付けるべし、と述べました。特に住宅費と教育費です。後者の教育費は日本はOECDでトップクラス。ヨーロッパはほとんど無料。まずそれに近づける。
 同時に社会保障=セーフテーネットを充実させ、「すべり台社会」に「階段」をつけ、就労支援を社会の責任として行う。湯浅さんはそうした社会を「中支出・中所得社会」と呼びました。ヨーロッパや北欧の「福祉国家(社会)」は目標たりえず、日本が置かれた条件を考慮すると「中支出・中所得社会」だ、と言うわけです。
 そして正規労働者と非正規労働者は、教育費の引き下げをふくめた「社会保障」闘争によって連帯する、という戦略です。逆に言えば「所得」の平等化をめざす闘争では正規労働者と非正規労働者は連帯できない、というふうに湯浅さんは見ている(見越している)ということです。そこを資本の側に突かれて隊列が分裂するような愚は冒すべきではない、ということでしょう。

 「豊かさを問う」反貧困運動へ
  
 これは湯浅さんらしい現実論です。テレビの討論番組などでも、湯浅さんの説得力が冴えるのは、湯浅さんが決して無理な論述を行わないからです。しかしこの「社会保障闘争」を優先させる戦略・運動論は、反貧困運動の論理としては(なるべく敵を作らないという意味で)妥当かもしれませんが、私は次の2点において疑問があります。

 まず、労働運動として見ると著しく「正義」に欠けるということです。例えば今、公共サービスを担う労働が次々とアウトソージングされており、そこから官制ワーキングプアが生み出されています。今までと同じサービスが、民間委託によって大幅にコストダウンする。こうしたことを労働組合は建前では認めませんが、現実には是認し、是認した後にその職場の労働条件に関心をよせ、その向上=均等待遇のために闘う、ということを自治労なり自治労連はほとんどやりません。現場での「連帯」を放棄した上で「社会保障」という場での「連帯」や「所得再配分」についてだけ闘う、ということは自己矛盾であり、既得権を守るための詭弁とならざるを得ません。

 もう一つは「豊かさ」を問う視点の欠落です。「中支出」の実現は、個人の支出を社会が肩代わりすることで実現されますが、その際、享受する「豊かさ」の水準・総量は変化しないと想定されています。これは環境の視点からするとちょっと現実的ではありません。
 例えば地球温暖化防止。2050年までに二酸化炭素の排出量を半減させることが必要です。財であれサービスであれ全体的に見ると縮小していかざるを得ません。そこで問われるのはマイナスをどう公平に配分していくのか、です。逆に言うと、市場から調達する財・サービスが減り、手作りの財とサービスの時代がくるということです。それは一面では不便な、しかし市場に生活が左右されないという意味では自由で豊かな時代の再来かも知れません。戦後の5年間がそうであったように。

 正規労働者層が高額な所得を維持して行くことは、労働運動の「正義」との観点からも、環境の視点からも、もはや限界です。「社会保障」による「脱貧困社会」の実現のためには、制度に先行して社会の中に、労働者の連帯と、自然との共生の芽が育っている必要があるのだと思います。

<中日新聞> 「すべり台社会」に警鐘 大津で「派遣村」の湯浅氏講演 2009年2月12日

 失業者や貧困層を支援する「反貧困ネットワーク」の湯浅誠事務局長が11日、大津市のピアザ淡海で講演した。

 湯浅さんは30代の男性が「生きていけない」と電話相談をしてくる実例を紹介。非正規労働が拡大し、雇用保険や失業者用のつなぎ融資も機能しない現在の社会を「すべり台社会」と説明。親の世代が子どもに教育費を掛けられず、貧困が再生産されていると訴えた。

 貧困層の現状について「社会のすべり台を落ちた人は実家に帰るか、自殺、犯罪、ホームレス、劣悪な環境のノーと言えない労働者になるかの5つの道しかない」と解説した。

 自身がかかわった東京・日比谷の「年越し派遣村」について「集まってきた本人に問題がある」と批判があったことに、「社会から余裕が失われ、ほかの人のことを考えられずに自己責任論が強くなっている。突き詰めれば、貧困に生まれたその人が悪いということになってしまう」と警鐘を鳴らした。(小西数紀)


講演:反貧困ネット・湯浅事務局長、
派遣村から見た日本社会を語る
(大津 /滋賀)

 年末年始に東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」村長を務めた反貧困ネットワーク事務局長・湯浅誠さんの講演が11日、大津市であり約450人が参加した。

 湯浅さんは「派遣村から見た日本社会」のテーマで講演。▽非正規労働の拡大▽不況下の派遣切り▽生活保護費の受給を制限する行政の「水際作戦」--などを挙げ、「現代社会は一度滑り出したら止まらずに貧困に陥る『すべり台社会』」と分析。「教育費をかけてもらえない家庭では、貧困が世代間連鎖し、『貧困の再生産』を繰り返す」と指摘し、「正規雇用者と非正規雇用者が一体となり、不器用な人も守ることのできる社会にしなければならない」と話した。【豊田将志】

毎日新聞 2009年2月12日 地方版

投稿者 mamoru : 2009年02月15日 22:12

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