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2011年01月23日
今日(23日)「京都みなみ会館」で上映されている映画『小屋丸』を観てきました。
「小屋丸」とは新潟の豪雪地帯にある集落の名前で、ここの四季と村人の暮らしを二年間にわたって16ミリフィルム(モノクロ)に収めたドキュメントです。監督はフランスを代表する(と紹介されている)現代美術作家ジャン=ミッシェル=アルベローラさん、という人です。
宣伝のコピーにこうあります。
「なつかしいユートピアがここにある」
「パリの街と新潟の里山が映画でつながる」
「なつかしいユートピア」などと聞くと、山里や棚田に憧れている都会人むけの「ロハスな芸術映画か」と懸念してしまいますが、そうではありませんでした。
作り手(監督やナレーター)は明らかに、米国に加工品を売る替わりに農産物を輸入して日本の農業を破壊してきた戦後の工業化・近代化路線への批判を意識しています。
そして、サブプライム・リーマンショック以降、それすら立ち行かなくなった今、めざすべき方向は、「土着」をこえて自覚的に土に着く「着土」(祖田修・福井県立大学学長=ナレーターの一人)であるとして、小屋丸の生活を描いているのです。だからこの映画は、ポスト金融資本主義、ポストグローバル経済の映画と言っても過言ではないでしょう。
実は小屋丸は、私が生まれ育った村のとなりの村です。距離はそうありませんが山を一つ超えなければなりません。映画の中でも村人が「昔は買い物のため一日がかりで池之畑と小荒戸を通って町に行った」と、私の村の名前(小荒戸)を上げていました。ここから中学校に通ってきていた同級生たちは冬の間だけ「寄宿舎」生活をしたほどです。
映画が描く現代の小屋丸が「ユートピア」というのではありません。しかし、村人たちがカメラの前で坦々と語る、昔の自給自足、雪と共存しながらのコメ作りの話は(それは私の子ども時代の記憶そのものですが)、過去の価値のないものではなく、来るべきポスト経済成長の時代の生き方のヒントとして描かれています。
故郷がこんな風に評価されて映画になり、商業会館で見られるようになったのは嬉しいことです。一方、その故郷を棄ててニューレフトの運動に飛び込んだという「原罪」を背負って生きてきた自分としては、複雑な思いもあります。
映画の後半の方で、この映画のコーデネェーターであり、ナレーターでもある北川フラム氏が、現代の日本の社会危機の根本に「農業という血液、循環器を壊したことがある」と批判した後に、「それを取り戻す機会が一回だけあった」と続け、「それは三里塚です」と語った時、小屋丸と小荒戸(私の村)と三里塚が、自分の人生の中で一瞬で重なり、涙をおさえることができませんでした。
みなさんも、機会があれば、ぜひご覧になってください。
(東京近辺での上映は、昨秋一通り終わっているようです)
映画「小屋丸―冬と春」
http://www.echigo-tsumari.jp/artevent/koyamaru.html
○京都みなみ会館
1月22日(土)~1月28日(金) am10:20~
1月29日(土)~2月4日(金) am10:00~/pm18:15~(1日2回上映)
京都みなみ会館HP:http://kyoto-minamikaikan.jp
(当日のみ/一般1500円、専門・大学生1300円、中・高・シニア1000円)
○大阪・第七藝術劇場
1月15日(土)~21日(金) pm18:30~
1月22日(土)~28日(金) am10:30~
大阪・第七藝術劇場HP:http://www.nanagei.com
(当日のみ/一般1500円、専門・大学生1300円、中・高・シニア1000円)
投稿者 mamoru : 2011年01月23日 18:24
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