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2005年04月04日

 ■ 3.21 憲法改正の「国民投票法」めぐり公開討論

 先月21日、東京で表題にある討論会があり、参加してきました。17~18年ぶりに新宿の街の空気を吸いました。高校時代に夏・冬・春休みのほとんどを東京でバイトをし、休日には新宿の紀ノ国屋で本を捜したものです。だから新宿は私にとって「青春の街」です。切ない思い出もありますし(^^;)。
 でも、久しぶりに訪れたら迷ってしまい、すんでのところで開会に間に合わないところでした。街も、時代も、人の記憶も、変わってしまうってことですね。
 以下は、その新宿で行われた討論会の報告というか感想です。




●真っ当なルールを求める声が与党案を圧倒

●改憲国民投票法めぐり公開討論会


 三月二十一日、「公開討論会/PANEL DISCUSSION、改憲の是非を問う国民投票 どんなルールで行うべきか」に参加した。会場の半分以上を女性が占めるなか、中山太郎・衆議院憲法調査会会長ほか、与野党の憲法問題責任者がズラリと顔をそろえて憲法改正のための「国民投票法」の中身について活発な議論を展開した。
 主催は「真っ当な国民投票のルールをつくる会」。コーディネーターはジャーナリストの今井一さんが務めた。

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 「国民投票法」賛成派の揃い踏みか? 
 
 最初に「国民投票法」を制定することの意義について意見を交わした。しかしこのテーマではパネラーの間で際だった意見の違いはなかった。
 本来ならこの入り口部分で「ルールの中身に関わらず改憲のための国民投票法には反対」という主張を共産党が展開し、それをめぐって議論が沸騰するはずであった。しかし共産党の二比聡平・参議院議員(北九州出身)が前日の福岡西方沖地震で欠席を余儀なくされ、意見を聞くことができなかった。
 代わりに今井一さんが会場からの意見を募ったが「国民投票法それ自身に反対」と主張をする参加者はいなかった。これは意外だった。
 一方、保守政治家は「国民が主権者」(中山太郎)、「憲法制定権は国民にある」(保岡興治・自民憲法調査会会長)との立場から「国民投票法」制定の意義を強調していたのは印象的だった。
 この問題では社民党の立場が注目されたが、パネラーの阿部知子・政策審議会会長は「国民主権を強化する内容であればOK」との立場だった。

一括投票か、個別投票かで鋭く対立

 と、ここまでは全政党・全パネラーが「国民投票法賛成」で揃い踏みである。しかし、昨年末に自公で合意した「国民投票法案骨子」をめぐっては意見が分かれた。野党のみならず会場の改憲派の重鎮からも「与党案を読んで、ぎょとした」という意見が飛び出した。
 大きく対立した部分は二ヶ所。一つは投票方法を「一括」にするのか「個別」にするか。与党の法案骨子では投票方法は「国民投票法」に盛り込まず国民発議の段階で「実施法」で定めるとしている。つまり「一括投票」を否定しない立場だ。討論会でも自民党の保岡議員は同様の立場をくり返した。
 これに対して、すでに日弁連などは「一括投票は投票者の意思を正確に反映しない」と「個別投票」を主張。この日参加した弁護士も会場から「一括投票は九条の改正と他を抱き合わせて得票を増やそうとする作為的なもの。アメリカでは一つのテーマについて個別に発議、個別に投票という法律がある。国民投票法では発議は原則個別とすべき」(折田泰弘・京都弁護士会)と発言した。
 また「国民の権利行使ということだけでなく、国民自身がどう責任をとれるかという観点からも個別投票が重要」(上原公子・国立市長)との意見も出された。民主主義を深いところでとらえた卓見だ。
 この問題では民主党と公明党の「ねじれ」が一瞬、露呈した。
 民主党の枝野幸雄・民主党憲法調査会会長は「理論的には全面改定の可能性を否定できない限り一括投票をあらかじめ否定するのは難しい」と腰が引けた発言をした。対して骨子案に賛成しているはずの公明党は「全面改正ではなく加憲という立場で個別的に発想してきた。セット販売は独禁法違反になる」(魚住裕一郎・公明党憲法調査会事務局次長)と会場を笑わせ、フリーハンドであることを演出した。
 枝野の意見は一見もっともらしく聞こえる。しかし全面改定の場合であっても、条文ごとに投票する方が、投票者は自分の意思をより正確に反映させることができる。
 国民投票法に求められるのは、発議者の意思を尊重する仕組みより、民意を正確に反映する仕組みである。民主党切っての「政策通」にはこの民主主義のイロハが理解できないのだろうか。

改憲派の重鎮も「メディア規制」を批判

 議論が大きく紛糾した二つめは、法案骨子が細かく定めた「国民投票運動」の「規制」をめぐってである。法案骨子は、まず公職選挙法の規制を国民投票法に横滑りさせ(投票者の年齢・国籍制限、教師・公務員・外国人の運動制限、個別訪問の禁止など)、さらにメディアに対しては特別な規制(「予想投票の公表の禁止」「新聞紙・雑誌の虚偽報道の禁止」「新聞紙・雑誌の不法利用の制限」)をかける構造になっている。
 年齢制限に関しては「二十歳」(保岡)、「十八歳」(魚住、阿部)、「義務教育終了者」(枝野、山中)など色々出されたが、どのパネリストにも真剣味が感じられなかった。外国人の投票権にいたっては賛成したのは社民党だけ。教師・公務員・外国人の運動に関して、社民は「原則自由」、自民・公明は「規制は必要」、民主は「規制は不可能」。いずれにしても公職選挙法に「準ずる」規制に関しては、賛否の力関係は固定しているように見えた。
 これに対して新たな「メディア規制」については、従来の「左右対立」の枠をこえた批判が噴出した。与党のパネラーは「メディアは、まったく自由というわけにはいかない」と消極規制を装った。しかし法案骨子では「何人も国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって、新聞紙または雑誌に対する編集その他経営上の特殊の地位を利用して、報道及び評論を掲載し、または掲載させることができない」と堂々と新聞の「論説」規制を宣言している。違反者は「二年以下の禁固または三〇万円以下の罰金」だ。
 これに対して、会場から「この条文を読んで、ぎょっとした」との発言が飛び出した。改憲派の重鎮である小林節・慶応大学教授である。
 「この条文では編集長が改憲・護憲を目的とした編集をしたら引っかかる。マスメディアがオピニオンを主張するのは当たり前。朝日新聞は朝日新聞的な、産経新聞は産経新聞的な価値がある。両方あるから民主的な社会だ」。
 この時期にこの発言。憲法九条の評価では立場を異にするが、この改憲論者の「真っ当な」発言には深い敬意を覚えた。
 野党である民主と社民のパネラーもメディア活動の「原則自由」を主張。 枝野は「発議の日から投票日までを特別に定めて言論活動を規制するのは不可能。外国のメディアに関しても日本の国民投票を評論するのを禁止するのは不可能」と切れ味いい批判を展開。
 阿部も「九条を変えることで利害関係のある軍需産業などがCMを流すことがあっても国民は気づく。それほどバカじゃない。ちゃんと判断できる」と頼もしい。
 こうした「左右」の批判に直面した自民党の保岡は「これは正式な条文ではない。野党の参加が得られれば一から議論したい」と防戦するのがやっとだった。
 この日の討論では一括投票にしても、メディア規制にしても、「真っ当なルール」を求める側の意見が与党側の意見を圧倒していた。正面から議論を闘わせばコンセンサスは無理でも、違いを鮮明にすることはできる。そのことがわかっただけでも、東京まで足を運んだかいがあったというものだ。
 なお、当然ながら討論会では他にも重要な論点が議論された。大まかな内容は「真っ当なルールをつくる会」のHPで見ることができる。
 http://www.geocities.jp/kokumintohyo/panel.html
 また、討論会の詳細については五月に刊行される『憲法改正国民投票のルールブック』(現代人文社)に採録される予定だという。ご購読をお薦めする。

投稿者 mamoru : 2005年04月04日 00:28

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