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2007年04月25日

 ■ <観る前の映評>号泣しても、忘れてはならないこと/ 『俺は、君のためにこそ死にに行く』(新城卓監督)

 のっけから問題です。以下の言葉は映画やテレビドラマのタイトルを縮めて表現したものです。それぞれ正式なタイトル名を答えなさい。

(1)フユソナ
(2)キミヨム
(3)アイルケ
(4)オレキミ

orekimi.JPG 正解はこのエントリーの最後に書いてあります。今日、取り上げたいのは(4)の「オレキミ」についてです。『俺は、君のためにこそ死ににいく』。5月12日に公開される東映映画です。4月8日に東京都知事に三選したばかりの石原慎太郎が制作総指揮、脚本を担当し、話題となっています。

 本作は“特攻の母”として知られる鳥濱トメさんの視点から、若き特攻隊員たちの熱く哀しい青春や愛といった真実のエピソードを連ねて描いた戦争群像劇である。製作総指揮は現東京都知事であり作家の石原慎太郎。トメさんと長年親交を深めてきた石原氏は、隊員たちの心のヒダに入り込み彼らの想いを汲み続けた彼女自身の口から若者たちの真実の姿を聞かされ、8年前に本作を企画し、自ら脚本を執筆した。

公式サイトの「イントロダクション」より。

 18億円の制作費をかけて「無惨にも美しい青春」や「彼らを心で抱きしめた女性」を描いたというのだから、これはもう、涙なしには観れないでしょう。
 わたしは、岸恵子さんが演じる鳥濱トメさんが、攻隊員たちの手紙を検閲を受けずに出し、それを咎める憲兵にむかって「国のために死んでいく者に、なぜ、検閲が必要か!」と食ってかかるあたりで、ウルウルでしょう。
 泣いたからと言って恥じる必要もないと思います。これは特攻をネタにしたエンターテイメント=ビジネス。向こうは、泣かしてナンボの世界。「生」と「死」それに「母もの」が加わるわけですから、泣かない方がおかしいのです。大いに泣きましょう。
 その上で、私は、どんなに泣いても、次ぎの2点だけは忘れないようにしたいと思います。

 1つは、特攻隊員が飛び立つ瞬間は、実は、かなり悲惨だったということ。

 『「特攻」と日本人』(講談社現代新書)の著書がある昭和史研究家の保阪正康氏は、同じく『特攻とは何か』(文春新書)を著した森史郎氏との対談で次ぎのように語っています。
 

 僕は自分の本には書かなかったんだけれども、沖縄戦の最後の頃、失禁したり、腰が抜けて立てなくなったりする特攻隊員がいたりした。茫然自失しているのを抱え込んで乗せ、そして飛ばしていった、と学徒の整備兵が言うんですね。で、彼らはその乗せた罪というのをやっぱり今でも背負って生きている、と何人かから直接聞いている。

http://www.bunshun.co.jp/pickup/tokkou/tokkou02.htm より

 失禁は「生きたい」という思いの表れであり、生き物として正常な反応だと思います。ちっともカッコワルイことではありません。私もその場になれば、たぶん、失禁し、腰を抜かすと思います。こうした特攻隊員が(おそらく)多数いたことを忘れないようにしたいと思います。

 2つには、「特攻」は「計画を策定」し「命令」を下した者がいてはじめて現実化したということ。

 公式サイトの「イントロダクション」では、「特別攻撃隊の編成により、本来なら未来を担うべき若者たちの尊い命が数多く失われていった」と述べています。そして「封印されていた特攻隊員達の衝撃の真実が、今、明かされる」と。
 しかし、いったい誰が、9564名にものぼる「本来なら未来を担うべき若者」の「尊い命」を奪う作戦の責任者なのか、その「真実」は「明かされ」ているのでしょうか。
 公式サイトの「ストーリー」を読むと、特攻は大西滝治郎がはじめたことになっています。しかし戦後一般に流布された「大西=特攻の創始者」説が誤りであることは、さまざまな証言、検証によって明らかにされています。大西が最初の神風特攻隊を組織する一年以上前に「特攻作戦」は軍令部で「策定」されていたからです。

 特攻計画策定時の軍令部の幹部官僚は次ぎの者たちです。総長=及川古史郎大将、次長=伊藤整一中将、第一部長(作戦担当)=中沢拓少将、第二部長(装備担当)=黒島亀人大佐。

 映画が若い特攻隊員を「美しい日本人」として描けば描くほど、この無意味な作戦(「統率の外道」!)を策定し、命令を下した軍令部の無能なこの官僚たちの責任は曖昧になります。

 私は、映画を観て、若い純粋な若者たちの死に涙したあと、彼らに「命令」を下した幹部が、戦後のうのうと生き延びた(戦艦大和と共に沈んだ伊藤と、終戦の翌日に自死した大西を除いて)ことを、チョコッとだけ思いだそうと思います。


答え

(1)フユソナ―>「冬のソナタ」
(2)キミヨム―>「君に読む物語」
(3)アイルケ―>「愛の流刑地」
(4)オレキミ―>「俺は、君のためにこそ死にに行く」

投稿者 mamoru : 2007年04月25日 21:54

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» 練習機「白菊」特攻隊と戦争映画 from 土佐高知の雑記帳
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トラックバック時刻: 2007年04月29日 12:21

コメント

 私のブログに保阪氏の発言を引用させて頂きました。
 
>「生」と「死」それに「母もの」が加わるわけですから、泣かない方がおかしいのです。大いに泣きましょう。
 
 この作品の本質はそれですね。
「硫黄島」も若い層には受けたようです。私は退屈しました。

投稿者 きとら : 2007年04月29日 23:48

きとら 様

コメントありがとうございました。
保阪さんのこの発言は、つい先日(奥付では4月30日)出版さ
れた『昭和の戦争―保阪正康対話集』(朝日新聞社、1300円)に収録されています。

投稿者 mamoru : 2007年04月30日 18:46

特攻作戦は命令次第、やらせ方次第で無意味となった部分もあったでしょうが、このおおいに問題のある作戦はしかし、本土決戦の防波堤として全体として機能したということは事実ではないかと思います。けして一概に犬死にだったと言う事はできないし、それは犠牲を払った若者達の知性や名誉や尊厳を奪うことになるでしょう。
 「無能」と言うは易しですが、状況のなかでは選択肢はなかったかも知れません。無能というなら戦争を始めてしまったことが一等無能だったと思います。
 私は死という運命を引き受けていった若者達はたとへどんなに現実は「腰抜け」だったとしても立派だったと思います。

投稿者 chrysanthemum : 2007年05月21日 01:29

chrysanthemum 様

 コメント、ありがとうございました。ブログの方にもお邪魔しました。部分的に意見の違うところもありますが、基本的なところでは見解は重なると思います。私も、特攻戦死者を「犬死」と規定する立場には立ちません。「英霊」と祀りあげる立場にはなおさ立ちません。彼らのありのままの生き方、死に方、生還の仕方に、深く敬意を払いたいと思っています。

 そしてなによりも、戦争を始めた指導部、敗戦が分かっていながら特攻命令を出し続けてた指揮官たちへの「怒り」を、彼らと共有したいと思っています。これからもよろしくお願いします。

投稿者 mamoru : 2007年05月21日 18:40